今日で1年半、「3.11後」をあらためて意識する

「今変わらんで、いつ変わるねん」
-7.29脱原発国会包囲デモで踊る人

この一年半、朝日新聞の原発関連記事を切り抜いている。切り抜いてダンボールに入れていく。
それらはとっくに箱をはみ出し、仕事の資料のとなりに積みあがって、崩れかかっている。
どうするんだろコレ、と毎日思いながら、
今日も切り抜いている。

デジタル版を追加すればいいんだろうか。
だけどなあ、その料金、フリージャーナリストやネットメディアに回したいよなあと、
つい思ってしまう。
「3.11」直後からビデオニュース・ドットコムの会員になり、先日上杉隆のU3Wにも登録した。

今回の事故直後にはっきりとわかったのは、
ネットメディアやフリージャーナリストの言説と、
大手メディアの報道に大きな開きがあるということ。
まず取り上げる取り上げないの差、
横並びの、提供された情報をそのまま流す記者クラブ報道か、
それともしっかりと取材し、”信頼できる”識者にインタビューした、
掘り下げた報道であるかという違い、
そして、ネットで指摘されたことが、
かなり時間がたってから新聞に掲載されるというタイムラグ。

かといって「プロメテウスの罠」という力のこもった連載や、
東浩紀からバトンタッチした高橋源一郎の論壇時評など、
読み応えのある記事もあるので、新聞もなかなか止められない。

今年になって、たまたま知人がFacebookのヘビーユーザーだと知った。
一年ほど寝かしておいたアカウントで彼と繋がったのが、間違いのもとだった。
彼は原発容認だったくせに、事故後には東電批判を舌鋒鋭くぶち上げる人になっていた。
「自分は間違っていた」との深い反省を経て、である。

つい私もコメントを入れた。
FBに足を踏み入れるとき、
「友達」は実際に知っている人に限る、という自主ルールを課したのに、
私のコメントに「いいね!」してくれた、
”考えや感性が似通った”数人には、つい「友達」申請してしまった。
これが二つ目の間違いだった。

「友達」はいつのまに60名を超えた(これ以上増やしたくない)ものの、
大半は発信者ではなく、受信オンリー(「いいね!」すら押さない)だったりするので、
ニュースフィードは静かなもの、のはずだった。
が、”考えや感性が似通った”「友達」数パーセント(旧知の知人も入るが)の発信が、
想像を絶する質量だった。

かくして私は、新聞を切り抜き、FBをチェックし、
ついでにTwitterでフォローしてるフリージャーナリストや、福島の現場作業員や、
”考えや感性が似通った”学者知識人のツィートをざっと流し読みし、
(フォローしているのは十数人なのに、これまたすごい質量のツィートなのだ!)
面白そうなシェアやリツィートされた元記事を読み、
ビデオニュース・ドットコムやU3W(加えてニコ生やユースト)を視聴することになった。

最低の仕事と、最低の家事と、最低の外出と、
最低のリアル人間関係以外の時間が、こうして多量に奪われることになった。

もし福島の事故がなかったらと、ふと考えた。
私は今原発関連を追っているこの膨大な時間とエネルギーを、
何のために費やしていただろうか、と。

もっとたくさん本が読めたかもしれない。
もっとたくさん何事かを書けたかもしれない。
もう少しは仕事をしたかもしれない。
あるいは、日々のグチや考察を、
以前よく出入りしていたネット上のある場所で、
ある人々を相手に、おしゃべりしていたかもしれない。

私の時間・エネルギー配分は、あきらかに「3.11」以降変わってしまった。
私の人を見る目も変わってしまった。
「3.11」以後の、ある種ふるいのようなものが出来てしまった。
いつのまにかふるい落とされてしまった人間関係や、「場」がある。
ずっと変わらぬ友人も、見直した友人もいる。

福島の人たちが「3.11」前に戻れないように、
私もまた、「3.11」前には戻れない。
事故が無ければ、原発ごときに、
これほどの時間・エネルギーを奪われることはなかったのに、
そうぼんやり思ったあとで、
いや、それは違うだろうと、思い直した。
私たちが住む国に原発が54基あるということに、
「3.11」以前も以後もない。
私たちはおめでたくもまっすぐに、
「3.11」後に続く道を歩んで来たにすぎない。

この道のさきが、それでも少しは緩やかになり、
希望のようなものが見えるようになるのか、
それとも、さらに険しい道になるのか、
一年半たった今もまだ、定かではない。確かなのは、
「3.11」以前とは変わってしまった自分を抱え持った人たちと共に、
「3.11後」の世界に、生きていくしかないということ。

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1 Comment

  1. 今日も切り抜きながら考えた。
    フクシマ後は、私が死ぬまで(本当は死んだ後もだが)続く。
    廃炉40年、100年という人もいる。
    (その意味では、今生きている全ての人にとって、生涯がフクシマ後なのだが)

    私のフクシマ後があと何年かはわからねど、
    このまま切抜きを溜めていくのは、あまり現実的ではないのではないか。
    増えれば増えるほど、ごみ化するのは必至。
    やっぱりデジタル版、検討するか…。

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