『アラブ革命の衝撃』

◆アラブ革命の衝撃—世界で今何が起きているのか
臼杵陽 青土社 2011.9

2011年の時点でのこの予想は当たらなかった。
その後のエジプトが、もしこの指摘のようであったなら、
今回の「クーデター/革命」の動きは違ったものになっていたのではないか。

ムバーラク政権が崩壊したのは明らかにイデオロギーに基づかない民衆の意志と力によるものであって、とりわけ中心的役割を担った若者が求めているのは権威主義的独裁政権の幕引きと民主化です。それがイスラーム化とイコールとは必ずしもならない現状があります。おそらくムスリム同胞団そのものの内部にも若い世代の新たな指導層が形成されているのでありまして、当然同胞団も若い世代から新しい世代へ交代するでしょう。また、同胞団から離脱して新たな政党が誕生したとも言われて言います。今後、同胞団がどのような政党の名前の下で選挙に参加して、政権の一角を担うことになったとしても、それがそのままイスラーム的な政策が前面に押し出されて体制そのものが急進的なイスラーム化の方向に向かうことには必ずしもつながらないというのが今の議論の主流になっています。

現実は次のようであった。
新たなイスラームの層があったとしても、
彼らは世俗的な若者の層とはつながっていないらしいこと。
選挙で政権を獲得したムスリム同胞団は、
当初幅広い層を政権に取り込むと公言していたにもかかわらず、
そうはならず、同胞団で政権が固められたこと。
また、憲法によってもイスラーム化の傾向が強まり、
経済問題の拡大と相まって、世俗的な若者たちだけでなく、
民衆の批判が高まっていったこと。

同胞団が組織力で選挙に勝った時、
最初に思ったことは、デモを扇動した若者たち、あるいは世俗派が、
政治的な力を持つ組織を作れないことの大きさだった。
残ったのは、軍と同胞団だけだったのだ。

このことが、今のエジプトの混乱を招いた一端であるように思う。
もちろん、どのような政権であっても、
新しいエジプトを作りあげることは容易ではない。
経済の立て直しも、同様に難しかっただろうとは思う。
けれども、トルコを見ても、イランを見ても、
イスラーム化に対する世俗派の抵抗と反発は、
一つのうねりをなしているように思えてならない。

イスラーム勢力のほうも、イランのアフマディネジャド大統領のような形で急進的な反米政策をとることが、必ずしも国家の将来にとってプラスの方向には働かないと考えており、かなり現実主義的になっております。

現実主義路線は、対米的にはそうであっただろう。
けれども、対内的にはどうであったか。

イスラームと民主化について。

イスラーム史はこの100年間、「解釈の革新」ともいうべき時代に入っているといわれております。「イジュティハード」という言葉があります。これは「解釈をする努力」という意味です。11世紀から13世紀にかけて、イスラーム法のありとあらゆる解釈の幅がずっと議論され、ある程度までいろいろなものの解釈の可能性がわかってきました。その中でそれぞれの法学派が形成されていくのですが、それ以降、イスラーム世界においては「イジュティハードの門が閉じられた」という言い方がされるわけです。つまり、議論はもう尽くされたので、これからは法の新たな解釈は一切認めないということで、イスラーム法の硬直化が始まることになります。

それが同時に、近代化におけるイスラーム世界全体の凋落とつながっており、ヨーロッパにおける合理主義的な考え方に基づく興隆と、ちょうど平行する流れになっています。ヨーロッパではありとあらゆる可能性が広がり「近代化」に向けての動きが起こったのですが、イスラームの場合は新たな解釈を認めないことよって、イスラーム世界の発展を内部において阻害することになりました。このままいろいろな議論がなされると、人間理性が前面に出てきてしまうことになり、神そのものを否定するような議論に至ってしまうため、イスラームの解釈を止めてしまったのでした。

イスラームは(このことにより)近代の新たな状況に対応できなくなってしまったので、イスラーム法の新しい解釈が必要になったのです。ということで、この段階でイスラームはイジュティハードの門を再び開けることになりました。この「解釈の革新」が行われた時点で、事実上本来のイスラームが否定されるような可能性すらも含みながら、新たな状況に順応するようになります。たとえば、新しいテクノロジーをイスラームの中でどのように考えていくのかというとき、やはりヨーロッパにおける考え方との整合性が問題になります。そうしたことを考えるのが、イスラーム改革運動と呼ばれる新しい動きであったわけです。

なお、現在の日本の場合、権力に対する言論の自由に法的な制約はありませんので(でも空気という制約はあるよね)イスラーム諸国のように少しでも法的な制約があると「反民主主義的」あるいは「反動的」と考えられがちです。しかし、「民主主義の本場」であるアメリカでも数年(?)前までは共産主義とファシズムの思想は禁じられておりました。言論の自由というものを考えるときには、そうしたことも考慮に入れて議論しなければなりません。つまり、言論の自由が「程度」の問題であるとするならば、イスラームが民主主義に反するかどうかというのは、かなり微妙な問題であるといえるかと思います。

イスラームと民主主義をめぐる議論の盲点として。

イスラームが今までイスラム―法を適用してきたのは、主として家族法などの私法を中心とする社会の問題に対してであって、政治に対する適用というのは近現代においてはまだ十分な経験がありません。今後新しい形でイスラームが議論される場合には、刑法や行政法など、国家あるいは国家と国民の関係をめぐる公法のレヴェルにおいてイスラーム法がどういうふうに適用可能なのかが具体的に語られなければならないのですが、それはまだ課題の段階にとどまっています。今の現実のイスラーム世界の中では、我々が考えるような実際の政治のレヴェルでイスラーム法が適用される事例というのは、とりあえずイランやサウジアラビアなどの少数の例外を除いて存在しないわけです。その点が、今後イスラームを語る際の問題となります。

アラブ・イスラム社会には、
ヨーロッパキリスト教社会の宗教改革やルネッサンスのような改革運動が、
かなり遅い時期まで興らなかった。
このことには、植民地支配も絡んでいるようにも思うけれど、
でも、イスラム内部からの改革運動は、
女性の人権という点でも必要だと思うし、
何より、イスラムを否定するのではない、
イスラム的「民主主義」を確立する必要性と、
合理的な世俗主義に対する解釈のし直し、
日常生活を縛る規範の見直しの必要が、あるのだと思う。

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