エジプト 「大統領が泥棒だった国」『リビアの小さな赤い実』

この記事を読んで、こんな法律あったんだエジプト、と驚いた。
動乱エジプト:「元首侮辱罪」を軽く 禁錮から罰金刑に (毎日jp 8/10)

人権団体「アラブ人権情報ネットワーク」によると、モルシ政権下の1年間に少なくとも24人が大統領侮辱罪で立件された。ムハンマド・アリー朝の1892 年に「元首侮辱罪」が創設されてから、ムバラク政権までの115年間、元首に対する侮辱罪で立件されたのはわずか23人。ムバラク政権(約30年間)では 6人、ナセル政権(約14年間)では立件がなく、モルシ政権は突出して多かった。

それより驚くのは立件された人数。
ムバラク政権下ですら30年間に6人だったのが、
モルシ政権では1年間で24人。
作家サーダウィが、前政権より人権で後退した、
と語ったことの証左の一つだね、これも。

2012年2月、ガイドの口から前政権批判を聞いた。
今年の3月も同様で、タハリールのデモに参加したアムロ君だけでなく、
年配のガイドも、「この国は大統領が泥棒だったからね」、と語った。

外国人に対して、しかも日本語だから、
よけい語りやすかったのだろう。でもそこには、
そのように口にする、口にできる嬉しさのようなものも、滲んでいた。

***

エジプトの隣国リビアでは、独裁制の下、監視体制が張り巡らされていた。
そのことの内実を知ったのは『リビアの小さな赤い実』という小説でである。
以下、2010年の終わり頃に読んだ時のメモ。

図書館でこの本を見つけたとき、新聞の書評がぼんやりと記憶にあった。
なぜか女性だと思い込んでいた著者、ヒシャーム・マタールは男性で、
ニューヨークで生まれたリビア人。
英米文学の棚にあったのは、ロンドン在住だから。

一家は彼が幼い頃トリポリに戻るが、
外交官だった父親は反政府分子として目を付けられ、
暗殺を恐れてエジプトに脱出。
にもかかわらず、カイロで何者かに拉致され、
以後消息不明となってしまう。

この小説は、その体験を折り込んで書かれた著者のデビュー作だが、
最近読んだ中で私のトップスリー、
いや、ナンバーワンと言ってもいいほどの作品。

主人公は、まだ幼さを残しながらも、
大人の世界に(否応なく)足を踏み入れていく小学生。
夏休みのトリポリの、乾いた街路、空、海、
桑の木に登り、熱射病になりながら、真っ赤な実を一人で貪り食べる少年…… 。
熱い風と強烈な日差しが、ひりひりと感じられるような描写だ。

貿易の仕事でしょっちゅう家を空ける父。
母は息子と二人になると、とたんに精神的に不安定になり、
「薬」と偽り、密売の酒に溺れている。

彼女には深いトラウマがあった。
少女の頃、顔見知りの少年とカフェでコーヒーを飲んでいた姿を見咎められ、
貞操を疑われ、しばらく家に監禁された後に、
父と兄によって選ばれた男と、無理やり結婚させられたこと。
母親は息子に、繰り返し、普段は心の底に沈んでいる、
けれども酔うたびに攪拌されて浮かび上がる、痛みと嘆きを語り続ける。

ある日少年は、出張でいないはずの父を街角で見かける。
確かに自分と視線を交わしたはずなのに、
本当に気づかなかったのか、それとも気づかない振りをしていたのか、
父は他人のような冷たい後姿を残して消えた。

母の鬱屈と父の「秘密」をくるむように、物語にはある緊張が漲っている。

近所に住む、家族ぐるみでつきあいのあった一家の長が、
突然逮捕される。
この国は、彼のような「犯罪者」の尋問がTVで流されるという、
異様な社会だ。

やがて少年の父親の「秘密」が、逮捕された隣人と同じ、
反政府活動であることが明かされる。
どこから洩れたのか、監視と密告の網にひっかかったのか、
父親も逮捕されてしまう。

私がうちのめされたのは、親しかったおじさんや父の逮捕をめぐる、
少年の気持ちや行動の微妙な揺らぎだ。
その揺らぎが、図らずも父の逮捕に道筋をつけることにもなる。
それらが、独裁体制の尋常ではない日常にあって、
人間の弱さや残酷さ、おろかさとして描き出されている点だ。
しかも、それを少しの非難も正当化もなく。

母は、ケーキを焼き、夫の釈放を頼みに、
町内の秘密警察の一員に会いに出かける。
父の非現実的な理想主義に対して、母の現実主義が力強く目覚めていく。
そこにはもう、酒に溺れていた姿はない。

釈放された父は、暴行を受けており、
肉体の傷が癒えたあとも、かつての気概を取り戻せずいる。
母は父のかつての活動仲間のエジプト人と、
弁護士をしていたその父親に息子をたくし、リビアを出国させる。

少年はカイロで勉強を終え、働き始めていた。
両親とはときどき電話で話すことしか出来なかったが、
寄宿した家族は温かい愛情を注いでくれ、
彼は立派に成人した。

リビアが国民の海外旅行の規制を弱めたために、
ようやく母親は息子に会いに来ることになった。
バスターミナルで母を迎えた青年は、
彼女の姿を驚きとともに眺める。
母はこれほどに美しく、若かったのか、と。
明るさに満ちたラストシーンだ。

酒井啓子さんの評。

原題は、「男たちの国で」。殺される運命にあって、物語だけで生き延びることに成功した『千夜一夜物語』のシェヘラザードが、しばしば引用される。男たちの世界に振り回されつつも家族を守り続けた、若き母の芯の強さへの、息子からの賛歌でもある。

***

1.25革命の前、独裁政権の頃、
エジプトの表現の自由はどの程度あったのだろうか。

しばらく前に読んだものに、ナウル・エル・サーダウィーの、
『カナーティルの12人の女囚たち』という戯曲がある。
自ら政治犯として投獄された体験をベースに書かれた戯曲で、
政治批判とフェミニズムの視点が、非常にストレートに描かれていた。
印象に残っているのは、様々な罪を犯した女性たちの個性豊かさ、
対話により理解や連隊が芽生えていくこと。
ただ、メモを取らずに返却してしまって、細部がおぼろなのが残念。

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