『砂漠と文明』

—- アフロ・ユーラシア内陸乾燥地文明
嶋田義仁 岩波書房/2012.9

なんとか読了。
去年からずっと延長を繰り返して、(図書館で)借り続けていたもの。
最初は半分ほど読んで挫折。しばらくして、
そこから読み継ごうとしたら前半の記憶がほとんどない。
仕方なく最初から読む羽目に。

とっかかりはそこそこ面白かった。
和辻哲郎の『風土』への言及は共感できたし、
西欧の時間軸でしか見ない文明論は片手落ちだというのも、
そうだそうだ、と読んだ。
『銃・病原菌・鉄』はまだ記憶に残っているしね。

途中、実際のフィールドワークで、
マリのトンブクトゥやジェンネが出てくるあたりも、興味深く読んだ。
トゥアレグ族とか、ベルベル人という呼称が出てくるだけでも嬉しい。
彼らについての情報が、あまりに不足しているので。

でも、あまりに長大な文明論なので、
微細な私の興味は宙ぶらりんのまま。
それをこの本に求めるのは違うんだろうけれど。

とにかく、北アフリカからアラビア半島・中東からヒマラヤ山脈を超え、
モンゴルや中国にいたる大乾燥地帯を、
ひとつの文明と捕らえようというのだから。
つまりこれは、欧米のこれまでの文明の発達史、
未開から文明へと至る時間軸に、
地理的な観測を加えようという試みなのだ。

そのときの切り口は牧畜。
牧畜による生産力、軍事力、そして移動交易力の獲得が、
文明を生んだということ。
あまりに大雑把なまとめで申し訳ないけれど、
まあそういうことでいいだろうと思う。私的には。

もうひとつ、アフリカが、サハラ以北だけでなく、
黒アフリカと呼ばれるサーヘル・スーダン地区でも、
ヨーロッパ列強に侵略されて固有の文明が破壊されるまで、
いくつもの文明国家を作っていた、という指摘は非常に重要だ。
イスラムは古代ローマ崩壊後から入っていたわけだし、
交易はずっと行われていたからだ。
あたりまえだけれど、「未開社会」ではなかったわけだ。

その交易の重要性。

移動、物資の運搬、商業活動は森林地帯では発達しなかった。
家畜の敵、ツエツエ蠅のせいもあって、
手段となる家畜がいなかったからだ。
うん、説得力がある。

以下はメモとして。

アフリカにまでわたしが行きたいと思ったのは、そこに普遍な人間性を見出したいからではなかった。アフリカ固有の風土と歴史の中で育まれた、独特な人間性。独特な生きざま、独特な価値観、つまりわたしのまだ知らない人間の可能性を見出したいからであった。そこから、人間とは何かを、もう一度考え直してみたかった。

モロッコは、サハラ砂漠を中心にアフリカ北半分にはりめぐらされたグローバルな文化・経済システムの文明のセンターになった。
このことを象徴する二人の人物がいる。一人は、タンジェ生まれの旅行家イブン・バットゥータ(1304-1368)。イブン・バトゥータは、21歳のときの1325年から1254年までの30年間にわたって世界を歩き回った。中東、インド、中国、そしてアフリカ大陸と、アフロ・ユーラシア大陸全体にその足跡はおよんだ。モロッコに戻ると、モロッコ・マリーン朝皇帝の命により、1355年旅行記『大旅行記』を書きあげた。家島彦一氏によるその旅行記の日本語訳は全八巻にも及ぶ。
もう一人は、『歴史序説』の著者、イブン・ハルドゥーン(1332-1406)だ。イブン・ハルドゥーンはチュニジア生まれで、マリーン朝、ハフス朝などのマグレブ王朝に仕えた後、カイロにおもむきマルムーク朝の大法官になった人物である。
彼の歴史理論によると、都市・国家文明は砂漠地帯の剛毅な遊牧民が豊かな農耕地帯に攻めこんでつくりあげる。しかし、都市生活によって砂漠の民は軟弱化し、新たな砂漠から責めあがる剛毅な民によって滅ぼされる。歴史はその繰り返しだ。

人類の移動史的観点から見ると、文明の形成と呼びうるような人類史の大革命は、人類の移動の歴史が、一方向的な「拡散の時代」から、双方向の「交流の時代」へと転換することによって成し遂げられた。これにより、諸地域と諸民族・諸部族の経済的、文化的、社会的交流がはじまり、この上に階層的な社会関係を特徴とする都市・国家社会も成立した。
したがって都市は点として存在したのではなかった。その背後には広域にわたっての、諸部族や諸地域の枠を超えた産業経済のネット・ワークや、このネット・ワークの安全を保障する政治的秩序が存在していた。初期の国家は都市国家として成立したが、その政治経済的支配圏あるいは後背地は、都市の城壁を越えてひろがっていた。そうでなければ、都市が富を蓄積することも、第一次生産に従事しない都市の生産人口をやしなうこともできない。

大型家畜は、人類がはじめて自由にかつ大規模に利用できた自然エネルギーであった。
石油・石炭・天然ガスという化石エネルギーを使用する以前、人類が使用しえたエネルギーの第一は、薪炭という植物エネルギーであった。薪炭を燃やして料理をし、陶磁器をつくり、金属を精錬し、鍛治によって金属製品を加工してきた。……
しかし、最大のエネルギーは家畜エネルギーであっただろう。現在でもエネルギーの単位に馬力というウマのエネルギー単位を基準とした単位名がつけられている。そのエネルギーは移動・運搬力としても、軍事力としても用いられた。大型家畜は、犂耕作の牽引家畜として耕地の拡大や、深井戸の水の汲み上げ、などにも役立った。このエネルギーを所有し使用しえた地域や民族が、都市・国家建設者となり文明建設者となった。

人類文明の形成と発展の中心地域が、アフロ・ユーラシア内陸地域であることを論じてきた。では、16世紀以来のヨーロッパを中心に展開してきた近代文明は、この観点からどのように理解できるのであろうか。

・・・・・・西洋近代を支えたのは、その始まりの時代が大航海時代と呼ばれたことに象徴されるように、それまで人類が使用していなかった大西洋、インド洋、太平洋という海洋(オーシャン)の交易・運輸の媒体としての発見・開発であった。家畜の背に頼ったアフロ・ユーラシア内陸乾燥地域の物流システムを、速さにおいても、経済効率性においてもしのぐ、海洋船舶中心の物流システムが構築され、これによる世界再編が試みられた。・・・・・・
近代システムは軍事力においても強力だった。・・・・・・帆船はやがて蒸気機関をそなえた大型の黒船に変った。海洋システムは化石エネルギーの支えによってさらに増強された。その結果、大洋沿岸地域は軍事的にも経済的にもヨーロッパに支配され、近代システムに統合された。そのかわり、アフロ・ユーラシア内陸乾燥地文明は、経済的にも政治的にも衰微してゆくことになる。

ヨーロッパが世界へと進出した近代においては、ヨーロッパ的な文明(科学技術、政治経済制度、芸術や文化、キリスト教など)をどれだけ取り入れるかが、進歩のメルクマールとされてきた。しかし、それ以前に、中国文明を取り入れること、イスラーム文明を取り入れることが、「進歩」であり、「文明化」であり、「近代化」であるような地域がひろく存在してきた。西ヨーロッパでさえも、ギリシャ・ローマ文明が文明のお手本であり、宗教さえも地中海文明起源のキリスト教をモデルとした。
しかも、これらの文明形成運動は、各文明がそれぞれ独立に形成する閉鎖的孤立的な形成運動ではなかった。これらの諸文明はアフロ・ユーラシアの内陸乾燥地域を共通母体して形成され、アフロ・ユーラシアの内陸乾燥地域の交易路網や巨大帝国形成による政治統一、世界宗教、文字文化のひろがりなどを媒介にして相互に連動していたからである。巨視的に見れば、アフロ・ユーラシアの内陸乾燥地域を中心とした、アフロ・ユーラシア大陸文化諸文明のグローバル化があった。そのなかで、中国文明、インド文明、イスラーム文明、あるいはローマ地中海文明、黒アフリカ・イスラーム文明等の巨大地域文明が形成された。
・・・・・・現代の諸文明の衝突と称されている問題の起源はむしろ、ヨーロッパを中心に形成された「近代システム」が、これらの地域文明を近代化に反する文明・文化として破壊し、各地域文明に蓄積されてきた文明知の多くを消滅させようとしてきたところにある。

西洋中心の「地球文明化」はまず、アフロ・ユーラシア内陸乾燥地文明と西洋近代化文明とのあいだに激しい対立を生み出した。なぜなら、アフロ・ユーラシア内陸乾燥地域を中心に形成されてきたグローバル文明は、西洋を中心に形成された、新たな、より大規模なグローバル文明によって、破壊されることになったからである。
現在、サハラ砂漠から中東、中央アジアを経てモンゴル・中国に至る地域は、世界の宗教的民族主義的な紛争地域であり、「砂漠化」という環境破壊にもさらされた世界の貧困地域でもあるが、それは、西欧近代文明のグローバリズムによって破壊しつくされんとしているアフロ・ユーラシア内陸乾燥地文明の断末魔状況であるともいえる。
この地域はアメリカ大統領によって「悪の枢軸」とさえ呼ばれたが、それはそれだけ、アフロ・ユーラシア内陸乾燥地文明の頑強な抵抗が今も続いていることを意味している。それは政治的抵抗に限らない。

イスラームやキリスト教、さらには仏教というような世界宗教が成長した地というのはほとんどが乾燥地域であることにも、思いを致す必要がある。そこには共通して、多様な民族の共存や貧しい人々への思いやりの思想が見られるからである。イスラームに至っては、貧者や障害者への喜捨がその教えの中核にある。片倉もとこは、その『「移動文化」考–イスラームの世界をたずねて』(1998)で、土地にも所有にも執着しないイスラーム文化を描き出している。資源が不足した世界でどう生きるかという知恵がむしろ蓄積されているのが乾燥地域である。・・・・・・
これに対して、森やフロンティアの世界では、資源の豊かさを前提にした、個人主義的で孤立主義的な文化が形成されがちである。・・・・・・そのような文化から生まれる発想は、地球規模での資源の不足や人口過多が問題になる現代社会の問題解決にはあまり役立たないのではないかと危惧している。

それにしても私は何故、あのあたり、
北アフリカから中東の砂漠地帯に惹かれているのだろう。
最初視界にあったのは、せいぜい地中海世界だった。
つまり、古代ローマ文明の遺跡があるところ。
古代ローマは魅力的だけれど、でも、その遺跡があるのは、
古代ローマやギリシャのあった西欧世界だけではない。
そこに、ぞくぞくするような何かがある。
このことを、考えてみなければ。

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