サディスティック朝日たたきと権力としてのマスコミ

今日の朝日新聞の週刊誌広告、飽きずに朝日たたきの大見出し。
週刊新潮がことに酷い(笑ってしまうほど)。
が、タイトルを転記する気にもなれないほど不快なのは確かで、
かつうんざりしている。
けがを負って弱ってる相手に、喜々として棍棒を振り下ろし続けるの図。
これまでも週刊誌を筆頭にしたマスコミの”○○たたき”には、
いつもいや~なものを感じていた。
あれは社会的制裁などという正義面したものではなく、
集団リンチ、集団いじめと言ったほうがふさわしいものだからだ。
さらに紙面をめくると櫻井よしこの反慰安婦広告。
こういうのをやり方が汚いという。

朝日は自社の名誉を傷つけ、利益を損なう目的の広告は拒否してもいいんじゃないかと思う。どうせ何をやってもやらなくてもネガティブに書かれるんだから。と同時に、いい加減反撃もしたらどうかな。誤認誤報道捏造は他紙・誌もさんざんやってるんだし。でもこれをやると、潔くないとか、言い逃れとか言われるからねえ。腹をくくって、めんどくさいけど名誉棄損裁判やるしかないかも。

もう一つ、う~ん、とうなってしまったのは、読者の「声」特別ページ。朝日批判の投書を載せていない、という批判を受けてのものだろうけれど、これもまた批判されて訂正、や、批判されて撤回、の流れで、なんだか釈然としない。こんなふうな右往左往防戦でどうする ! と思うのだ。

それから投書の内容。信頼を裏切られた、というのはわかるけれど、そんなに信じてたのね、とちょっと驚いた。朝日といえども巨大マスコミで、マスコミというのはそもそも専横的な権力だからだ。しかも広告主の意向に逆らえず、だからずっと原発推進だった(朝日も)。日本の新聞メディアは記者クラブという報道統制システムも持っている。そもそも100%信じてはいけないのがマスコミ大手メディア新聞なのだ。報道には常に色がついているし、記事は常に恣意的なのだ。

朝日の購読を辞めます、という人がいた。この人は次に何を購読するのだろう。信頼に足るとして選択したその新聞を、今度も100%信じるのだろうか。恐ろしいことである。

福島原発事故に関して、TVニュースや新聞報道に飽き足らず、というか、いったい本当のことを伝えているのか ? という疑念を感じて、ネット情報や書籍をあさった。周りを見まわしたら、多くの人がそうしていた。マスコミ不信の声をよく聞いた。新聞購読を辞めよう、との呼びかけもあった。私も不足や不満を多く感じていたけれど、これらの声に、でも待てよ、とも思った。そうやって離れて行って御用新聞ばっかりになったらどうするよ ? 購読したうえで批判すべきじゃないの ? とか、新聞の役割ってのもあるじゃん、とか。

この間の朝日で私が一番評価しているのは、「プロメテウスの罠」という連載調査報道である。好きなのは高橋源ちゃんの「論壇時評」。もう別の書き手に変わっちゃったけれど、斎藤美奈子の「文壇時評」も面白かった。調査報道力と外部の書き手の質の高さは、間違いなく朝日の財産だろう。それから、良いなと思った記事が署名入りだったら記者名を覚えておくようにしている(朝日だけでなく)。信頼できるかどうかは、結局は書いている一人一人の記者の資質によるからだ。

朝日にがっかりしてる人たちにおすすめなのは、他紙も併読すること。日経は会員になると無料でオンライン記事を月10本まで読める。他紙も、購読しなくても結構ネットで読めたりする。海外紙も、海外のニュースだけでなく、日本についての記事がとても優れていたりする。福島原発の事故報道がそうだった。

もう一つのおすすめは、フリーのジャーナリストの発信にも触れること。チャンネルは複数持っていた方がいい。そのうえで、ゆめゆめ、マスコミは権力だということを忘れないこと。

私はかつて、読売新聞の某地方支局と喧嘩をしたことがある。取材されて思い知ったのは、記事はいかようにも恣意的に捻じ曲げられるのだ、ということだった。というよりも記者の頭の中には、すでに書きたい記事の下書があるのだ。取材対象にも、ニュートラルに向き合うのではなく、むしろ偏見もって臨んできたりするのだ(これも記者の資質にもよるが)。

事前に記事原稿をチェックしたかったけれど、もちろんそんなことは受け入れらなかった。危惧した通り記事は不本意なもので、タイトルや内容の酷さに謝罪と訂正を求めた時の彼らの態度を一言でいうと、「書いてやったんだから文句を言うな」であった。というわけで、正確には喧嘩にもならずにくやし泣き寝入りしたのだが(ちょっとおおげさ)、権力を持つマスコミの専横ぶりを知る良い経験にはなった。

権力は常に腐敗する、は、国家でもメディアでも同じだけれど、より強いものを叩ける権力を持った時のサディスティックな憎悪は一層腐臭ふんぷんで、これが個人に向けられた最も酷い例として、私はマイケル・ジャクソン報道を思い出したりした。

ここに大事なことがある。問題はマスコミにだけあるわけではない、ということだ。読者もまた、サディスティックな憎悪に感情移入している、ということ。新潮も文春も、売れるからああいう記事を書くのである。マイケルがなぜあれほど叩かれたかというと、彼が世界のトップスター、キング・オブ・ポップだったからだ。トップスターや有名どころの不祥事をたたき、失墜させることがそれほどに気持ちがいいという感情の倒錯と鬱屈が、ここにはある。

もう一つ、マイケルの場合は黒人差別もあった。けれども、元々、このようなサディスティック憎悪と差別感情は双子の兄弟のように親和性が高いのだ。朝日たたき派が喜々として慰安婦問題を利用するのは、それが同時に朝鮮・韓国ヘイト感情の発露にもなるからであろう。

朝日たたきに関しては、たたかれる朝日の萎縮や迎合を指摘する声も聞く。これで朝日がもう一つの読売になってどうする、というものだ。マスコミが全て大本営発表しか報道しなくなる恐怖というのも、確かにすぐそこにあるのである。ここが踏ん張りどころなのは朝日新聞だけではなく、読者も、ということだ。もちろんこれは、無批判な擁護や丸ごと信じての支持、というようなことではない。で、ついでに言っておこう。今踏ん張る必要があるのは朝日の読者というだけではない、ということ。

 

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