オウムについて② 思い出した… 宗教の時代と行ってしまった友人のこと

オウムとISが「似ている」ということについては、宗教を掲げての殺人行為や、理想の共同体を暴力もいとわず目指す点、優秀な若者たちが参加していることや、彼らを勧誘するための「洗脳」(に近い)手法など、項目としては確かに同じ言葉を挙げることが出来る。だが、「似ている」で納得してしまえば、似ていない点、まったく違う点に視座が動きにくい。一旦納得してしまえばその先の、項目が同じでも内実はどうなのかを、問わずに済ますことも容易だ。
というように、差異と内実を見ようとしないことに引っ掛かりを覚え、記事も書いたけれど、考えてみたら「似ている」のは、ISとオウムというよりも、むしろISとオウムに対するこのような項目的なくくり方、くくって済まそうとする側の姿勢のほうでもあった。そして、そういう私自身も、オウムについてはマスコミ報道だけでほとんど何も知らず、何も考えずに来たことに気付いた。

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太極拳を学び始めたのは、麻原彰晃がヨガ道場を始めた頃だった。友人にもヨガをかじっている者がいた。私が太極拳になびいたのは、TVコマーシャルの太極拳を踊る?少女の姿が悠々と美しかったからだ。やってみると予想にたがわずとても心地良いもので、悩んでいた肩こりも治った。数年後には辞めてしまったけれど、あの頃、西洋近代科学や合理主義に対して、東洋的なものや、科学で説明できないものを見直す機運が、確かにあった。友人の連れ合いは大学卒業後に進路をがらりと変えて鍼灸師を目指し、開業までこぎつけた。大学の友人もこれまた職業分野をがらりと変えて看護学校に入りなおし、なんと助産婦になった。ここで見直されたものは、なによりも「身体性」であった。

「身体性」を取り戻す行為とは、身体に「精神性」を取り戻す行為でもあった。同時に、純粋な「精神性」に向かう志向性も、社会全体に広くあったように思う。超能力や超常的なもの、精神世界に対する関心は絶えずメディアを賑わしていたし、宗教の台頭は日常的なレベルで肌身に感じられた。玄関には、無料で聖書を配る子連れの女性がよく訪れたし、ピンクの肌と栗色の髪のモルモン教の若者が、二人で自転車を走らせているのをよく目にした。バス停には「生長の家」の機関誌が置かれ、「世界人類が平和でありますように」というステッカーが、あちらこちらに貼られていた。オウムがヨガ道場から宗教団体に変容して行った頃、 オルタナティブな価値観と精神世界を踏み台に、時代は確かに宗教に傾いていた。

鈍い痛みと共に思い出すことがある。あのころ、高校時代からの友人が、離婚を機に私の住む町に引っ越してきた。実家のある町でなかったのは、父親とそりが合わないということもあったけれど、仲の良い私がいるからでもあった。彼女は私の仲間たちにも好意的に迎えられた。仲間とは、先に書いた連れ合いが鍼灸師になった友人や、助産婦になった友人であり、ヨガや自然食や自然回帰志向の強い人たちや、音楽をやっていたり、イベントを企画したり、市民運動的なものにかかわっていたりする人たちもいた。彼女自身、引っ越す前は漢方薬を扱う薬剤師だったし、確かヨガもやっていた。志向的には重なる部分が多く、私も一層近しく感じて、けっこう頻繁に会っていた。

それが、何かきっかけがあったのかなかったのか、ある時から彼女を遠く感じるようになった。彼女が遠ざかったのではなく、私が遠ざかったのだったかもしれない。ある日長い手紙が届いて、そのままいなくなった。どこかの新興宗教団体に入ったと理解したのは、その手紙に書いてあったのか、それとも風の便りに聞いたのだったか。この町にオウムを見かけることはまだなかったし、たぶん別の宗教団体だろうと推察している。30年を経て、やはり彼女は行方知れずのままだ。

成績優秀で国立大の薬学部にすんなりと入ったような人だった。前記事で触れたVideonews.comの討論で、宮台真司が、何故エリートがオウムに惹かれるのかについて、エリートだからだ、と答えていた。受験競争の勝者は、大学の先の「上り」の就職を果たし、ふと周りを見回したとき、自分の勝ち取ったものが「こんなものなのか」と落ち込むのだという。そんなに素晴らしいものじゃなかった(たとえそれが一流会社や霞が関官僚だとしても)という、エリートならではのがっかり感である。

友人にそういう失望があったかどうかは知らない。けれども家族や結婚、とくに男性(父親と夫)に失望していたのは確かで、社会に失望していたことも(私もそうだったし)あったと思う。加えて、次第に、この町での人間関係や、友人としての私にも失望したのだろう。当時はこの事をなかなか認めることが出来ず、私は彼女が去っていくがままにした。私の心の中からも、である。

あの頃、誰もが宗教に通じる道のすぐ脇を歩いていたり、宗教の軒先に雨宿りしていたり、そこから中に少し入ってしまったり、あるいは本格的に入ってしまった家族や友人がいたりしたのではないだろうか。当時盛んだった自己啓発セミナーも、宮台氏も指摘しているように、宗教的な側面を持つ。なのに私は、友人が去っていくがままにし、自分はこれまで宗教とは一切無関係にきたかのように、思い込んでいた。

個人的には、宗教は苦手である。一番いやなのは勧誘である。「良きもの」を押し付けようとする「善意」と、その微塵の疑いもない晴れ晴れとした「純粋性」に辟易としてしまう。「絶対性」を受け入れることにも拒否感がある。それが教祖という個人であればなおさらである。友人は私に、勧誘どころか、宗教の話すらしなかった。言っても無駄だとわかっていたのかもしれないが、それよりなにより、私や仲間たちをあきらめていたのだろう。もらった手紙は手元に無く、友人の言葉どころか自分の感情すら覚えていないけれど、はっきり言えることは、私もまた彼女をあきらめた、ということだ。そのことに、うしろめたさはあった。今もある。あるけれど、中途半端なことは何も言えないし出来ない、してはいけない、とも思っている。

向こうに行ってしまった人と、こちらに留まる人の共存は可能だろうか。彼女の絶望や諦念、そして理想や希望を、想像してみることは可能だ。共感できる部分もきっとある。けれども、一線を超えられない者に彼女の行為をとやかく言うことが出来ない以上、私たちはあちらとこちらで遠く隔たって、ずっと平行線のままなのだろう。とはいえ、遠く隔たっていても、私たちは互いに死ぬまで、同じこの世に生きていかなければならない。否応なく共存していかなければいけない。私は彼女の選択を否定せず、尊重している。これはあきらめとは矛盾しない。超えた先の世界が心安らかで充実したものであるのなら、それでいい。超えない私についても、同じように思ってくれたら嬉しい。

けれどもここに、信じる者と信じない者の非対称性がある。信仰の自由というのは、世俗国家にあっては、信仰を持たない自由も含まれる。また信仰の自由の上に別の価値観も置かれている。例えば表現の自由とか、人権とか、国家とかいったものである。ところが信仰を持つ者として突き詰めていけば、信仰はこれらすべての上に立つものとなる。神は、社会や国家や、この世やあの世を超えた全宇宙の頂点に立つ「絶対」だからだ。また、信じる者の選民意識は、信じない者に対する排他性を生み、信仰を持たない自由を認めないことにもつながる。共存のためにはこの非対称性を、信じないものが突き詰めないと同時に、信じる者も突き詰めないようにしなければいけない。

共存は、時に暴力的に覆されてもきた。オウムの事件が明るみに出た時、「人を救うべき宗教が何故こんな殺人を重ねたのか理解できない」という論がマスコミに出た。私はこれに心底驚いた。歴史を見ても、宗教は信じる者の「平和」のために、あるいは政治目的の旗印となって、数々の殺戮を行ってきた。魔女裁判や異端審問、十字軍、インド・パキスタンの独立時の宗教戦争、イスラエル建国、9.11……。宗教が危険なものでもあるのは(排外的な民族主義やイデオロギー、強権独裁国家と同様)自明なことだろうと思っていた私は、これらの事例を皆すっかり忘れてしまっている、あるいは結び付けられないことに、とても驚いたのだ。

先に、新興宗教に入った友人の選択を尊重する、と書いた。ではその宗教がオウムだったら、私は同じように彼女の選択を受け入れることが出来ただろうか。あるいは自分の息子だったら……。理屈の上では、彼らが成人した大人であるのなら、自己の責任においての選択なのだから尊重すべきだ、となる。けれども感情はまた別だ。

オウムに関しては、勧誘から入信、出家に導く過程や手法に、頷けない点が多い。詐欺まがいのものもある。本人の意志ではなくて「洗脳」され、「マインド・コントロール」されているのだという見方も強い。さらに、坂本一家の失踪事件への関与も早くから疑われており、ハタから見ればオウムは、反社会的でいかがわしい犯罪集団に、既に見えていた。友人や家族がそのような集団の一員になってしまうのは耐えがたい。が、なによりつらいのは、やはり家族のきずなを否定されることだと思う。

だから先日見たTVドキュメンタリーで、父の奮闘によってオウムを抜けることが出来た息子の姿に、動かされるのだ。父とはオウム真理教家族の会(当時はオウム真理教被害者の会)の会長、永岡弘行氏である。この父と息子で重要なのは、父が真剣だったとか精力的だったということではなく、自らの在り方を変えたことだろう。息子が家族や社会を捨てた理由があるのだから、そこが変わっていなければ、たとえ彼が教団の内部で違和感を感じるようになっていたとしても、もしかしたら戻って来なかった(来れなかった)かもしれない。

オウムに入信した若者たちには、家族との軋轢、齟齬、愛情や親密な関係の不在、満たされない承認欲求などを抱えていたことが指摘されている。これらが有意な共通性なのかどうかはわからない。何故ならこれらはオウム信者だけの問題ではないからだ。とはいえオウムをめぐっては、「受け皿がない」(Videonews.com)社会の問題であると同時に、家族の問題としても考えるべきだとは思う。愛情をそそぐとかそういう話ではなくて(それも大事ではあるが)、彼らの求めるものが何故家族やこの社会で得られないのかを共に悩み、共に考えることだろう。だが、若者は純粋で柔らかく性急であり、大人は世俗にまみれ強張っていて鈍重である。世代も価値観も立ち位置も違う人間が、同じ問題で共にもがくことなどできはしない。できるのは、若者が突きつけいている問題を自分の中に落とし込み、自分なりにもがくことくらいだ。

永岡氏はそれをした。息子からのSOSの電話は、重要な局面にある仕事を仕切っている職場にかかってきた。父は仕事を放りだして駆けつけただけでなく、オウムの報復や奪還を恐れて家には帰らず、そのまま息子との逃避行を続ける。永岡氏はまた、家族会の代表を買って出、オウムのVXガス攻撃で生死の境をさまようような体験をしたのちも活動を辞めず、今までずっと会長の座にある。彼はオウムからただ自分の息子を「取り戻す」という自らの救済だけでなく、他の救済のためにも惜しみなく動いている。これは、オウムに入信する若者たちのもう一つの動機、社会の矛盾に苦しむ人たちや、誤った道を歩む社会そのものを救いたいという利他心にも通じるものだ。

家族会のHPには、「信者の皆さんへ」として、次のような呼びかけの言葉が掲載されている。

最終解脱をしたと主張する松本智津夫氏自身は在家信者であり、さらにいうと家族と一緒に生活していたように、家族と断絶しなくても修業はできるはずです。・・・別にご家族とべたべたした関係でなくてもいいのです。お互いに離れてはいても心を通わせることができ、連絡したいときには連絡をすることができれば、それだけでも大いにすばらしいことだと私たちは考えています。
オウム真理教家族の会

「取り戻す」「子供を返せ」などと声高にシュプレヒコールをあげているだけでは、彼らは帰ってこない。そのことを会はよくわかっている。彼らの修行や求道、自己/他者救済への思いを否定することは決してしてはいけない、ということもだ。

あのころ、友人と志向性において共通したものを持っていたのに、私は宗教に傾かなかった。必要なのは自他の(精神の)救済よりも社会的な思考の変容ではないかと、考えていた節がある。苦手意識があったことは前に触れた。だがそれ以上に、漠然とした感覚的なものではあるが、手法として(道として)の宗教に大きな違和感を持っていた。だから、身体に「精神性」を取り戻すという宗教へのとば口ともなるところにいたのに、興味を持ったのは、瞑想から神秘思想につながるヨガではなく、鍛錬である太極拳であり、宗教性を拒絶する野口整体だったのだ。本当はこの部分を書きたかったのだが、長くなってしまったので別記事にしよう。また、80年代から90年代にかけて拡大した「ヤマギシ会」についても、「受け皿」として、あるいは手法その他をオウムと対比的に考えてみたい。

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