エジプト 「革命」の行方

政変から三週間余り、ラマダンに入って三回目の金曜日。
数日前、シシ国防相が異例の呼びかけを行った。

「(軍に)暴力とテロに対抗する力を与えてほしい」と述べ、国民に対し、26日の金曜に行われる暫定政権支持派のデモに参加するよう呼びかけた。

表向きは中立の軍が、公然とデモの動員に動くのは極めて異例。26日には同胞団もデモを呼びかけており、反発は必至。大規模な衝突が懸念される。

(MS産経ニュース 7/24日)

この演説に先立って、
マンスーラという町で警察署を狙ったと思われる爆弾事件があり、
警官一名が死亡している。モルシ政権をめぐっての対立では、
6月28日以降死者が200名を超えた。
クーデター後のエジプトの死傷者数 中東の窓 7/25日)

各方面から融和が呼びかけられているにもかかわらず、
対話の糸口は見えず、ずるずると死傷者が増え続けている。

そんな中、民衆からは、市民生活に支障をきたすモルシ支持デモに、
批判の声も上がるようになった。
同胞団は、政権運営による不支持から、
さらに支持率を減らしているということだろうか。
とすれば、ここに、先鋭化の可能性が高まる。

このタイミングでのシシ国防相の暫定政権支持デモの要請と、
対暴力・テロ取り締まりに対する許諾要請である。

もしかしたら、今日が大きな転換点になるような気もする。
三週間前、大がかりなデモ(とデモを鎮静化できない政権)に軍が介入し、
あれよという間に「(事実上の)クーデター/二度目の革命」へと進展した。

2011年の1.25革命後、議会選挙、大統領選挙、憲法制定と、
民主化プロセスを進んでいたはずのエジプトが、なにゆえ二年半で、
自らが積み上げたものをご破算にするようなことになってしまったのだろう。

外からは唐突に見える政変だけれど、
メディア規制、大統領の拘束・権限剥奪、憲法停止、
暫定大統領選出、暫定内閣組閣、そして新憲法案の作成に着手と、
一気にことが進んでいく様を見ると、
計画は相当練られていたようにも見える。

政変の発表の場には、世俗リベラル左派だけでなく、
イスラム宗教指導層(アズハル)、
イスラム厳格主義(サラフィー)の政党ヌール党などのイスラム勢力の他、
コプト教徒(キリスト教)など、
同胞団以外のほとんどの政治勢力が顔を揃えていた。
これを、軍によるクーデターではないとするイメージ操作だ、
と言い切るには無理があるように思う。

この政変でまず感じたのは、以下のようなことである。

◆これはどう言い逃れしようとクーデターである、
また、せっかく勝ち取った民主化プロセスの崩壊であり、
1.25革命を踏みにじるものである、と断定することに対する違和感。

国際標準とは違うエジプト的民主化というもの、
あるいはイスラム社会的(イスラム教的ではない)民主主義
というものがあるのではないか。
結果だけを見て「クーデター」と決めつけるのではなく、
「第二の革命」「革命の第二段階」と呼ぶ人々の真意や生の声、
ここに至る道筋をもっと見るべきではないのか。

◆三月に訪れたエジプトで、ガソリン不足、物価高騰、仕事不足などについて、
ガイドは「すべてが前政権より悪くなった」と吐き捨てるように言った。
ガソリンスタンドの長蛇の列を目の当たりにもした。
生活の困窮が、これ以上耐えられないほど進んでいたのではないのか。

◆今年1月に読んだ毎日新聞の記事の意味。
エジプトの女性作家サーダウィーはインタビューで、
教育のいきわたっていないエジプトでは、
民主的な選挙が十全に行われたとはいえない、
新憲法で宗教による独裁性が前政権より悪化し、
人権は後退した、と述べていた。
選挙によって選ばれたというモルシ政権の民主的正当性は、
本当のところどうなのか。

そのことを、1.25革命のその後の進展の中で、
もういちど見てみる必要があるのではないか。
このような疑問を頭の片隅において、マスコミやネット情報などを追ってみると、
次第にはっきりと見えてくるものがあった。

実際のエジプトを取材したフリージャーナリストの記事や、
日々現地の情報に接していた研究者のブログでは、
国民のモルシ政権の失政に対する批判の大きさから、
政権の命運は長くはないこと、最悪クーデターの可能性もあることが、
今年に入ってから指摘されていた。

また、軍は、デモがある程度の規模を超えたら介入するつもりでいる、
という情報もあった。

では人々は、モルシ政権の何にそれほど反対していたのか。
1.25革命後から「第二革命」までの道筋はどのようなものであったのか。

これらについて、非常によくまとまった動画を見た。
「エジプト情勢 これからどうなる」① 鈴木恵美 早稲田大学イスラム研究会

鈴木恵美さんは、早い時点で、
エジプト革命はいかに宗教勢力に奪われたか―革命青年勢力の周辺化と宗教勢力の台頭―
(中東政治変動の研究―『アラブの春』の現状と課題― )
というタイトルで、1.25革命の推進勢力であった左派リベラル青年層が、
選挙と憲法制定までのあいだに、いかにして力を失っていったかを記しているが、
上記動画は、その道筋を「6.30第二革命」まで負ったものである。

以下、要点をまとめてみた。

●1.25革命後、リベラル左派青年層は組織化や連携に失敗。
一方ムスリム同胞団やサラフィー派などイスラム勢力は、
モスクを拠点に組織力を活かし、政治勢力として台頭、軍との交渉力も優れていた。

●具体的な成果を急ぐあまり、民主化プロセスが、
組織力のある同胞団に有利な順番で進むことになってしまった。
この結果、議会選挙と大統領選挙で政権を取った同胞団は、
その後大統領の権限を強め、イスラム色の強い憲法制定に成功する。

●選挙や憲法制定において、
左派リベラル側が同胞団側に協力するにあたっての取り決め
(フェアモントホテル合意)が、
ことごとく裏切られたこと。その結果、同胞団宗教独裁色が強まった。

このことについては、少し説明が必要だろう。
政党の立ち上げに失敗した左派リベラルは、大統領選挙で、
旧ムバラク陣営のシャフィーク候補に勝たせるわけにはいかず、
「毒を飲む思い」でモルシに投票することにした。

そのさい、次のような取り決めが交わされた。
・各政治勢力の入閣 ・非同胞団員の首相
・大統領顧問は各方面から人材を登用

つまり、同胞団だけで組閣しない、アドバイザーも各方面から入れるなど、
同胞団の独裁にならないようにするという合意があったのだ。

大統領選でモルシ氏は1300万票を獲得。
シャフィーク氏は1200万票であった。
朝日中東ジャーナルの記事
エジプト革命2年 政治的混迷の背景と今後を読む 2013.2.1)によると、
同胞団の組織票が800万とのことだから、上記合意がなく、
リベラル派の票の積み増しがなかったら、モルシ氏は当選していなかった。

フェアモント合意から二か月後の8月、
モルシ大統領は軍の権限をはく奪するような憲法宣言
(最高権力者が一方的に緊急時に発令できる宣言)を発令し、
軍や県知事などを同胞団系の人事で固め、独裁色を強めていく。

11月、司法掌握と大統領権限強化を目的とした憲法宣言を発令。
これは、憲法起草委員会の閉会期限が迫る中、
司法が憲法案に違法判決を出す恐れがあったため、
憲法成立のために強行したもの。

●選挙の実態が必ずしも民意を反映した結果ではないこと。

エジプトの場合、組織票で宗教団体が強いというだけではない特殊な事情がある。
識字率の低さである。
サーダウィーが教育がいきわたっていないと言ったのは、
議会制民主主義についての教育だけのことではなく、
そもそも政党名を書けない人たちが相当数いるということでもあるのだ。

エジプトの選挙を考える際に重要なのは、国内の人口分布と識字率を含めた政治環境である。人口比でみると票の7割は農村部にあり、識字率はエジプト全体で60%台であるが、農村部では35%にまで低下するといわれる(2011年時)。しかも、農村部では選挙の意味も十分に理解されておらず、全てにおいて宗教的価値に重きが置かれている。このような社会では、宗教を基盤にした組織にとって、大衆の動員は比較的容易である。

新体制の下での議会選挙は公正に行われたことは間違いないだろう。しかし、多くの議席を獲得した、宗教を基盤とした党の勝利が動員によるものであるなら、本当の意味で民主的な選挙ではなかったといえる。そして、農村部において選挙の意味も分からないまま投票が行われる事態が改善されなければ、エジプトの議会選挙で宗教を基盤としない政党が勝利することは難しいだろう。

(鈴木恵美さんの上記論文 「エジプト革命はいかに宗教勢力に奪われたか」より)

識字率は多少増えているかもしれない。
Wikipedia だったか、平均70%台の数字を覚えているが、女性は50%台だった。
だが、都市より農村、富裕層より貧困層、
男性より女性が低いことに変わりはないだろう。

●憲法国民投票もまた、国民の信任を得たとは言えないような数字だ。

賛成1000万票、反対600万票。投票率は3割強。
投票数から言えば過半数だけれど、
5000万人の有権者数からすれば2割でしかない。

成立の条件がよくわからないけれど、反モルシ派は、
投票をボイコットするか、反対票を入れるかで割れ、
戦略を統一できなかった。
いずれかに統一できていれば、結果は違っただろう。

●上記のような経緯を経て、
2012年末よりモルシ政権と同盟団に対する非難が強まり、
他のイスラム勢力やコプト教徒、世俗派などが反同胞団で結束。

2013年になり、ガソリン不足、物価高、治安の悪化、
基幹産業である観光業の不振等、
同胞団の政策に対する不満の高まりもあり、
若者層が反モルシ政権の署名活動を開始、2200万筆を集める。

●「我々人民がレッドラインだ」「街頭に出る」

これはムバラクを退陣に追い込んだ際にもよく言われたスローガンで、
まず人民の要求が一番重要であり、制度や仕組みは二の次だという、
エジプト独特の「路上民主主義」がある。
この概念は民衆だけでなく、司法の長などまで広く支持されている。

●軍は2011年民主化プロセスの失敗から教訓を得ている。即ち、
・プロセスの順番でまず憲法を制定しようとしている
・暫定大統領に最高憲法裁判所長官を置いたこと
→司法のトップを大統領に置くことにより、
司法は違憲判断を出しにくい。

 

以上のような点から、
エジプトの「革命」の行方はどうなると予想されるのだろう。

鈴木恵美さんは、楽観的要素がないと言う。暫定政権の組閣では、
(コプト教徒と女性は入ったものの)同胞団だけでなく、
結果的にヌール党も離脱し、
イスラムを基盤とする勢力が排除されてしまった。
このことが今後どう転んでいくのか。

不確定要素には、たとえば憲法制定後の選挙の時期などにもある。
農繁期や夏の暑い時期には選挙に行く人はぐっと減ってしまうらしい。

だが、一番重要なのは、経済問題をどう解決していくのか、だろう。
モルシ政権のIMFへの援助要請は、
補助金(パンやガソリンは政府補助により非常に安い)カットができず、
とん挫していた。

ナセルの時代からエジプトは所得税をしっかりと徴収できていないという。
エジプトは、税金を取ることが緩い代わりに、
国が面倒を見るという「レント国家」であった。
「レント国家」である限り、民主化はなかなか難しいのだ。

しかも外貨準備高は、ムバラク末期の300億ドルが、
今は150億ドルまで減っている。
経済問題は、政権が代わってもまったく同様に残されているのだ。

つまり、(西欧)国際標準の感覚や常識が、
エジプトには当てはまらないということ。

また、ムスリム同胞団は、
ガザのイスラム武力集団ハマスの母体でもある。
武力衝突を煽るような一部の勢力を、
軍はどこまで抑えることが出来るのか。

となると、シシ国防相の政権支持デモへの要請と、
暴力とテロに対する制圧を認めてほしいという要請は、
非常に危うい賭けのようにも思える。

今、エジプトに対して言いたいのは、
いずれの側に対しても、殺すな!という一言だけだ。

 

翻って、参院選を終えた日本の今を見た時、
エジプトの状況が全く他人事思えない、ということがある。

業界の動員票で勝った政権は、本当に民意を反映しているのか。
選挙の勝利は国民の100%の信任ではない。
にもかかわらず、政権は一旦権力を握ると、
民意を無視した政策を平気で進めようとする。
民意を無視して政権が暴走した時、
私たちはそれを止める手段を持っているのか???

 

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