エジプトの混迷と私たちの混乱

エジプトがますます混迷を深めているようだ。

エジプト情勢(8日)

上記ブログの野口さんのこのコメントに同意しつつ…。

この様に流動的な時にちょこちょこと報道を見て何か書くことになにほどの意味があるのか、自分ながら甚だ疑問ですが、人間馬鹿なものでこういう時には何か書いていたいという欲求に勝てません。

たまたま私も、今回の軍の動きに対しての、
報道やその口調に感じていた違和感について書いていた。

これは(事実上の)軍事クーデターである、
軍事クーデターは認められない、とする単純化した非難がある。
せっかく勝ち取った民主化を無に帰するものだ、という批判がある。

けれども、エジプトにおける「アラブの春」において、
ムバラクを退陣にまで追い込んだのは、
民衆のデモだけではなかった。
デモを弾圧せず、最終的にムバラクを排除したのは軍であった。
民衆は常時、軍が国民に銃を向けるわけがない、
我々の味方だ、と信じていた。
実際軍はその信頼にこたえたわけだ。
このことを忘れるわけにはいかない。

たとえ軍産複合体が経済の多くを独占しているにしても、あるいは、
軍はアメリカの思惑を無視できない、ということがあるにしても、
もし二年前の軍の動きが、
反体制運動に呼応した革命であったとするならば、
今回は違う、クーデターだ、とする根拠はどこにあるのだろう。
少なくとも、図式としては同じではないのか。

今夜のクローズアップ現代では、
軍とムスリム同胞団が、歴史的にいかに対立関係にあったかを語った。
軍と同胞団の権力争いが、民衆示威行動を利用した形で顕在化した、
というわけだ。
とするならば、どちらがより「民主的」な正統性を持つのかという問いは、
成立しないように思える。
どちらも「民主化」など考えていないという点では同じといえるからだ
(「民主化」という言葉が、アラブ・イスラム社会で、
そのまま西欧社会と同じ意味合いを持つのか、という問いもあるけれど…)。

同時に番組は、国民の不満が臨界点近くにまで達していたことを追った。
経済的な困窮と治安の悪化、である。
特に経済問題は、私も見てきたことだけれど、かなり大きいと思う。
何より先に押さえておかなければいけないのは、
この点ではないのか。

つまり、民衆の暮らしにとっての正当性はどこにあるのか、
という議論である。
ここにきて、イスラムの正義、という言葉が浮かぶのである。
聖と俗とを横断する価値観、倫理観というものが確かにあると、
私のとぼしい読書と旅の体験が言うのである。

そのうえで、経済と治安問題に端を発した対立が、
ここまで来てしまったことの責任の一端は、
同胞団にあるのではないか、という疑念がぬぐい難い。

ムルシ氏は退陣を迫られたとき、
「ムスリム同胞団が黙っていると思うのか。
私が大統領でないとなれば、彼らはすべてを火の海にするぞ」と、
脅しの言葉を口にしたという。
彼がもしエジプトを代表する国家元首である(と主張する)のなら、
国民に選ばれた国家元首であるとの自覚があるのなら、
このような、一宗教団体の長でしかないような発言をしてはいけないと思う。
もしこの発言が真実であるのなら
(軍が流したプロパガンダという説もあるだろうけれど)、
彼はこの一言を発した時点で、大統領の資格を失ったと言える。
少なくとも、「(西欧)民主的」観点から見た国家元首ではなく、
単なる宗教的独裁者に過ぎない。
けれどもその独裁制は、かなり強固だ。

◆ムルシ氏解任前日の会話、地元紙報道 シーシ氏「おとなしく辞任を」
(朝日新聞 2013.7.7)

というような私の思考に何らかの整合性があるとするならば、
悲しいことに、この先のエジプトの混迷はさらに深いと、
言わざるを得ない。

願わくば軍と同胞団には、
アラブ・イスラムに特徴的な現実路線をとってほしい。
これ以上無駄な血は流さないという合意地点に、
少しでも早く達してほしい。
彼らのもうひとつの特徴である、ある種の原理性が前面に出ることを、
私は深く憂慮している。

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