「慰安婦問題」 過去と現在、加害責任主体の混同

過去と現在の切り分について、もう少し。
巷の反「慰安婦」の人たちの声をちらりと聞いてみると、
「祖先の名誉を回復し、子や孫にこの屈辱を味あわせないために、
慰安婦のウソを暴き…」というようなことを言っている。
冷泉さんが、アメリカ人には時間と加害責任主体の混同が理解不能だ、
というときの、まさに見本のような「主張」である。

「過去の悪しき日本」と「現代の友好的な日本」を、
アメリカ人は切り離して考えられるだろうけれど、
そうはできない人たちがいる。
まず実際の被害者、「慰安婦」である。
彼女たち当事者は被害の主体であり、連続した時間を生きているからだ。
彼女たちに切り離せと言うことはできない。
同じ意味で、加害の主体に対しても切り離すことは許されない。
当時の日本の政治主体にとっての責任は、確かにあるのだから。

そのうえで、何故多くの次世代、次々世代の日本人が、
本来なら過去と未来を切り離すことが出来るはずの人たちが、
この問題では時間と責任主体を混同したままなのだろう。
欧米とは異なる精神風土ゆえにだろうか。
この国は、子供の犯罪で親が自殺したりする国である。
親の生活保護不正受給で、子供に社会的制裁を加える国である。
親の因果が子にたたると、本気で考えている人もいるのかもしれない。

が、それにしても、彼ら彼女らの執拗さ、
といって悪ければ熱心さは、尋常ではない。
なぜあれほどに、過去の加害責任を否定しなければいけないのか。

彼らは自分も当事者だと思っているのだろうか。
過去の慰安婦の存在で今の自分自身の名誉が汚されたと、
慰安婦像や非難決議も、自分に対する攻撃と、感じるのだろうか。

彼らは、実際に韓国(の当事者)から自分に対して、
そのような批判や攻撃があるのだ、
だから最初に仕掛けてきたのは向うだ、と言うのかもしれない。
そしてそれは自分に身の覚えのないことだから、
そんなことはやっていない、と否定しているだけなのかもしれない。
とすれば彼らの言動は、偏狭なナショナリズムというよりも、
むしろ、病的な被害妄想に近い。

そうであるとすれば、彼ら、彼女らの、
感情のフックをあのように釘づけたままの、
売買春や人身売買に当たる(国家)犯罪の「理念」的な非を
正面から見つめられない理由も、わかる気がする。

このような発言をしている女性がいた。
「慰安婦には日本人もいた、他の国の人もいた」と。
だから韓国人「慰安婦」が、自分たちだけが犠牲者だと言うのはウソだ、
ということらしい。
周囲には「慰安婦は嘘」というプラカードが掲げられていた。

彼女は、「慰安婦」という言葉を途中から「売春婦」に置き換える。
日本の遊郭を例に引きながら、たとえ親に売られたとしても、
給料をもらって働いていたのだから、
それは現代の自分の労働と同じだ、という論を展開する。
売春婦で何が悪い、立派な家も建てたんだし(だから今さら文句を言うな)、と。
そして、日本の「慰安婦」はたぶん過去は忘れ、平穏に生きているだろう、
だから韓国の「慰安婦」も、同じようにしてください、と続ける。

まともに取り上げるのもかったるい言い分ではあるが、これを最後に。

まず、彼女は「慰安婦の中には日本人もいた」と言うことで、
韓国人「慰安婦」の存在を認める。
そして、両者ともに少なくとも「売春婦」であった、ということも認める。
発言の中で「親に売られ」と、人身売買があったことも認めている。
そして、日本人「慰安婦」のように、韓国人「慰安婦」も黙っていろ、
と結論づける。

これまでの記事で述べてきた、
全ての売買春と人身売買は人権否定であり認められない、
という近代の世界共通の理念から見ると、
こんな暴言が通らないことは言うまでもない。
彼女は明らかな人権否定である売買春と人身売買を擁護し、
ご丁寧なことに、「黙っていろ」と、
今現在の人権抑圧で締めくくっている。

ただ、世界に通じないのは、彼女が意図している、
「慰安婦問題」はウソであり、日本は不当に非難されている、
という部分であって、別のメッセージは見事に伝わる。
つまり、日本は過去だけでなく今も人権無視国家であり、
近代社会共通の「理念」すら共有できない国なのだ、ということだ。

これほど意図するところと180度反対の効果が出る発信というのも珍しい、
と感心してしまうほどだ。

不思議なのは、この女性が、
自分たちの同胞も被害者であることを挙げたその直後に、
加害者の側に、何の疑いも迷いもなく身をひるがえして、
一体化していることだ。
そして、「慰安婦/売春婦で何が悪い」と言い放つ。
「慰安/売春」を擁護する側に立って放たれた言葉の暴力性に対する、
なんという無自覚さ。

普通であれば、我が同胞も犠牲者であるとするならば、
「黙っていろ」ではなく、
「彼女たちの名誉も回復されるべきだ、救済されるべきだ」
という言葉が続くのではないだろうか。
あるいは、日本人「慰安婦」の声が出てこないのは何故か、
という問いに進むのが、自然な思考の流れではないのか。
答えは、その後の生活に満足しているからだ、
というような都合のよい解釈でないことはもちろんだろう。

ところがこの女性は、韓国人だけでなく、日本人「慰安婦」もまた、
同じ人権否定で切って捨てているわけだ。一人の女性が、
どのような感性と知性の下にこのような思考回路をたどれるのか、
私にはまったく理解できない。

なぜなら、彼女が回復したいと願っている名誉は、
かつての女性に対する性的搾取を、
当時の国際法でさえ違法とされていた人権否定の下に行った
軍国日本のものであり、寄って立つ原理は、
「慰安婦」は許されなくても「売春婦」なら(今の日本であっても)許される、
とする、(現代に残る)人権否定・性的搾取擁護の男性原理であるのだから。

この女性は、いったい何を求めているのだろう。
回復されたいとする彼女自身の不名誉とは、
本当のところ何なのだろう。「古い悪しき日本」と、
「現代にも残る悪しき部分」に一体化するという倒錯は、
なにゆえ生じているのだろう。
いくつもの論理矛盾を覆って余りあるどのような磁力に、
彼女はひきつけられているのだろう。

 

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