「慰安婦」「援交」「買春」

大阪市長の発言が暴言だとたたかれている。
アメリカからも抗議の声明が出た。
FBの友人I氏もここぞとばかりに市長をこきおろしていた。
当然と言えば当然のことで、もしこれが放任されるようでは、
日本はあまりに情けない国ということになるんだけれど、
でも、鬼の首をとったように市長の言説だけを責めればそれでいいのか、
という気もするのである。

私たちは、「慰安婦」という言葉が、たとえ「」をつけたとしても、
この国で違和感なく流通しているということをこそ、
このタイミングで考えてみるべきではないのか。

市長のへ理屈は、どの国も同じようなことをやっている、
かつてやっていた、だから日本だけが悪いわけではない、
それに「慰安婦」は必要悪だ、というもので、
同じへ理屈で、よりましな必要悪「風俗」を利用しろ、と言ったわけだけれど、
これは戦中戦後の「良家の子女を守るため」というのとまったく同根の考え方で、
あまりに時代錯誤な性差別発言である。

と、言う気にもならないでいたけれど(以前も書いたことではあるし)、
それでも敢えてもう一度言わせてもらうなら、今日の世界標準では、
「慰安婦」問題は、強制があったとかなかったかという問題ではもちろんなくて、
そのようなことが公然と国家管理により行われていたという人権問題であり、
性差別問題なのである。

加えて言えば、戦時には男は「慰安」を必要とするものだ、と言うことによって
(内心では、男は誰でも「慰安」を必要とする、と思ってもいるのだろうが)、
市長は、戦地において、あるいは戦地でなくても兵士であれば、
男はレイプするものだということを、認めたことになる。

まったく女を何だと思っているのか、という人権無視と性差別に、
強制だけでなく、国家管理の有無ももはや問題ではないことは、
あまりに自明である。

沖縄の米兵の性犯罪を嘆いてと言うが、
彼らの行為、あるいは衝動をまず認めるからこそ、
それに対して沖縄女性を守る、という理屈が出てくるのである。
そして市長自らが、沖縄女性をあらためて「慰安婦」に貶めてもいるということに、指摘されるまで気付きもしない。
ただ唖然とするばかりだ。

けれども、市長の今回の発言が、そこのところについての、
日本の国民的認識の不足、
あるいは甘さの上にあることも、確かだと思う。
だからこそ彼は、世界に向かって、はからずも、
日本が相変わらず人権や性差別に鈍感な、
この程度の国であることを、暴露してしまった。

その意味では、彼の「ホンネをぶつけて煽る」姿勢は、
男性諸氏を、冗談じゃないよ、私は彼とは違うよ、と、
抗弁しなければならない立場に置いたという点で、
近年まれに見るヒットだったのかもしれない。

で、思うのである。
これからは日本も、直接的な英語表記を和訳して用いたらどうだろう。
つまり「慰安婦」ではなく性奴隷と。
「援助交際」も「風俗」も止めよう。
どれも買春と言おう。
とキーを打って、はたと指が止まった。
春を、買う……、ここから変えないといけないか。
私たちはやっと、売春ではなく、買春という言葉を持った。
でも、買っているのは春などという良きものではないだろう。

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