『鑑定士と顔のない依頼人』のあと味

kanteishi

あのトルナトーレだし。
行ってみたらいつもの三倍の観客で、
そのせいか、3Fじゃなくて1F大ホールでの上映だった。
確かに、すごく面白かった。
「私にとっての今年の一作」になるかもしれない。
もう一回見たら、さらに面白いだろう。
でも…
観終わってあれこれ反芻して楽しんだ後、それでも(やはり)不自然さが残る。
作り込みすぎというか。

主役のジェフリー・ラッシュあっての映画だというのはその通り。
あと、プロットや細部の厚みとひねりは素晴らしい。

救いのように残るのは(人生における含蓄というべきか)、
贋作の中にすら真実が宿る、ということ。
それはまた、贋作(演技)であれ何であれ、
リアルを感じる(生きる)ことができる人間のすばらしさ、でもある
(ここにも、映画に対するトルナトーレ監督のオマージュを感じるのは私だけ?)。

・『鑑定士と顔のない依頼人』公式サイト

『鑑定士と顔のない依頼人』特集:表編&裏編~見方を変えれば180度違うストーリーに!?~ – シネマトゥデイ (ネタバレ注意)

 

【追記 1/09】

去年観たなかで、同じキーワードを持つ映画を思い出した。
キム・ギドクの『ピエタ』である。
『ピエタ』も、(奪われた/与えられなかった)愛と、復讐の物語だった。
そして、計られた愛に宿る真実、というテーマ。

でも後味はかなり違う。
『ピエタ』では、愛が復讐に転じ、また愛に帰る道筋に納得が出来た。
グロテスクでもある物語が、ラストで、ピュアなサクリファイスになる。
一方の『鑑定士と…』には、復讐に転じる彼の動機が、愛のような純度を持たない。
動機は傷つけられたプライドと、人生が失われたことへの恨み。

そのはかりごとに加担する人々の、そこまでする動機が単なる儲け話(とはかりごとそのものへの愛着もある?)であることに、後味が『ピエタ』のようなすがすがしさを持たない原因がある。

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