ラマダンと観光、イスラムとの共存

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イスラムの国を旅する非モスリムの観光客は、ラマダンのこの時期、
問題なく食事をとれるのだろうか。
今日、関連記事を二つ読んだ。

まずは機内の食事である。

エミレーツ航空(EK)は、6月28日から7月27日までのラマダン期間中、イフタール(断食明け)用の特別機内食を提供する。毎日の断食終了時刻の直前にドバイを出発する便の搭乗客には、イスラム教徒がラマダン期間中、日没後に摂る食事として小さな箱入りの軽食を提供。機内で断食期間を終える搭乗客には、全クラスで大きな箱入りの食事を提供する。

同社ではドバイ天文グループと共同開発した、飛行中でも断食開始・終了時刻を正確に算定できる独自ツールを全便に搭載。機内で日没を迎える便の搭乗客に、機長からイフタールの時間を案内している。

そのほか、ウムラ(メッカへの小巡礼)を実施するイスラム教徒の搭乗客に配慮し、日中に離陸する全てのメディナ便とジェッダ便ではイスラム教徒以外の搭乗客に対し、通常のホットミールではなくコールドミールを提供するという。

エミレーツ、ラマダン期間中の特別機内食提供、7月27日まで

おそれいりました。
猛スピードで雲の上を移動する機内で、断食の開始(日の出)と終了(日没)時間をどう判別するのか不思議だったのだ。この計算システム、2012年に開発され、「飛行地点の経緯度と高度を計測し、飛行中でも高精度で正確なラマダン時間を算出可能」だという。

モロッコ市内では…。

カフェや食べ物を販売しているお店などでは、日中の時間帯はクローズし、日没後にオープンするケースが多くみられます。

なおホテルや観光地などのレストランは日中の時間帯もオープンしておりますので、外国人旅行者に大きな影響はありません。

この時期、町の多くの商店がいつもより遅い10:00頃に開店し、16:00頃には閉店してしまいます。銀行や郵便局、一般のオフィスなどでは昼の休憩時間を2時間繰り上げ、ビジネスアワーを15:00頃までとしておりますので注意が必要です。

日没後は、フトール(朝食)と呼ばれる日没後にとる最初の食事を一斉に済ませた後、19:00頃には町に人々が溢れます。カフェやレストランは深夜近くまで営業し、日中どこか閑散としていた町は活気を取り戻し、深夜近くまで賑わいます。

ラマダン明け当日は「イード・アル・フィトル」というお祭りが行われます。

この日は、お店はほぼクローズ、観光施設等の多くがクローズとなります。翌日以降に営業を再開するお店もありますが、ラマダン明け3日間は通常のようにお店がオープンしていないなど、観光に何らかの支障が出ることが考えられます。

モロッコ、2014年の「ラマダン」期間、並びに期間中・後の現地の様子と観光への影響について

ラマダンというのは聖なる期間で、同時にお祭りでもあるらしい。
エジプトの話だったか、この時期レストランはかき入れ時だという。
日没後は皆ふだんより豪勢に食べまくるのだとか。
でも、空腹のあとのドカ食いとなると…、それって…。

モロッコでは日中の労働時間が減るようだけれど、
エジプトでは労働時間中の労働稼働率も減るらしい。
まともに働かなくても、「だってラマダンだからね」で、
すべてが許されるという。
平和というか、何というか。

共通するのは、日中はなるべくエネルギーを消耗しないように耐え、
溜めたエネルギーは日没後に爆発させる、ということのようだ。
観光客もこの点は頭に置いておくといいと思う。
空腹で怒りっぽくなったり、注意力散漫になったりもするだろうし、
営業時間の短縮は観光スケジュールに影響がでる。

ラマダン中は、貧しい人には無料でラマダン食? が提供されたりもする。
また、みな分け合って夜の食事を楽しむという。
(マラケシュのフナ広場の喧騒は、いかばかりであろう。)

一か月にわたって、全イスラム社会でこのような行事が行われるというのは、
考えてみたらすごいことである。
だって、イスラム人口って、確か20億に迫ろうとしてるんだよ。

実際のところは…。
2010年、キリスト教徒22億人(世界の32%)、モスリム16億人(23%)。2030年には22億人(27%)になるという。増加率は世界人口で1.6倍、モスリムは2倍。
世界のムスリム(イスラム信者)人口は? (3)

信徒の人数は、遠からずキリスト教徒と肩を並べ、やがて追い抜くだろう。ハラール認証食とかイスラム金融とかがビジネスとして注目されるわけだ。

でも、キリスト教その他とイスラムの決定的な違いは、日常生活そのものである宗教行事や宗教的行為の大きさの違いだろうと思う。往々にしてそれらは、資本主義経済の生産性や効率主義とは相いれないものだ。また、民主主義や世俗主義とも。その点を十分に考慮する必要があるだろう。

ヨーロッパにおけるイスラム女性のベールの問題がある。
7月1日、フランスの、ブルカやニカブなど顔全体を覆うベールの着用を禁止する法律に、欧州人権裁判所が支持判決を下した。これは、フランスで2011年に施行された法律を、フランス在住のイスラム女性が「信教の自由や表現の自由を定めた欧州人権条約に違反する」と訴えていたもの。
(仏のベール着用禁止法、欧州人権裁が支持判決)

この件、別記事にしたほうがいいだろうなと思いつつ、少しだけ。
欧州のなかに、イスラムに対する敬意や尊重ではなく、イスラムフォビアがあり、イスラムや移民差別がある限り、彼らの(「世俗主義」の)「正論」はすんなりは通らないだろうと思うのだ。で、ずーっと平行線なんじゃないだろうか。そうして、別の、象徴的な意味合いを持ってしまう(すでに持ってしまっている)。

個人的には、イスラム圏以外に暮らす人の違和感はわかる。イスラムの国に出かけて最初のころは、特に顔を覆うニカブには、私もすごく違和感を感じた。でも慣れるにしたがって、逆に、イスラムの国でタンクトップで胸の谷間をのぞかせ、平気で肌をさらしている女性のほうに違和感を覚えるようになった。
これには慣れもあるけれど、それ以上に、イスラムに対する敬意があれば、もう少し配慮してもいいんじゃないの ? と思うようになったのだ。

彼らが、ぎょえー、何この裸のオバサン、と思うのをがまんして旅人を受け入れてくれているのなら、その寛容に見合う寛容を、キリスト教その他の世界ももっと持ってもいいような気がする。これからますます増えていくモスリムと共存していくためにも。でないと、モスリムが多数派になったとき、少数派の私たちにもベール着用が義務付けられたり、飲酒が禁止されたりして。それって、ものすごくいやだからね。

 

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