いやあ、面白かった。
昨日2日は恒例のTK院初詣。実家の母と妹と。
お昼はやっとみつけた鮨屋でお持ち帰り。
久しぶりのお寿司で、それなりに美味しかった。
今日は夫に誘われてS神社に初詣。
今年はいかなくてもいいやと思っていたんだけれど、
行けばやっぱり恒例のミニだるまを購入。
中国茶館でお茶。そのあとバーゲンをのぞく。
あまり行かないモールに軽い気持ちで立ち寄り、
結局一軒のお店でパンツ3本、セーター一枚を購入
(その前の店で帽子も一個)。
これまた久しぶりのノリ。
思ったのは、こういうのってやっぱり必要なんだよな、ということ。
無条件に、理屈ではなく、活性化されるものがある。
夜、中学生の学園ドラマを見る。
鈴木先生、かっこいいじゃん。
時代はここまできてるんだねえ。
学校の性教育では「やるならつけろ」と避妊を徹底的に教えている。
ところが、そう教える教師が避妊せずに出来ちゃった結婚することになる。
生徒たちの反発から、クラスではこの担任教師を被告に「裁判」となる。
中学生に、すでにセックスそのものはまったく問題ではない。
避妊しさえすれば。
そう生徒に教えながら、教師は自らは避妊せずに婚前セックスをしていた。
このことを、教師はどういう形で生徒たちに正当化するのか。
それぞれがそれぞれのセックスをしている中学生。
「裁判」のなかで、性に対する男女の立場なんかもクリアになっていくし、
隔世の感がしたことは確か。
女だって、(ゴム)なしのほうが気持ちいいんだよ、
それは体だけのことじゃなくて、気持ちの上で、
なんて言い放っちゃう女の子がいたりして。
つまり時代は、真剣であれば、覚悟があれば(=「愛」があれば)、
セックスは、(たとえ避妊しなくても)断罪されるものではない、
ということを、中学生レベルから認めるところまではきているんだね。
そうするとこのあとはどういうことになるんだろう、と一瞬思った。
でもなあ、セックスは「愛」なんてものとはまったく関係なくあるものでもあるぜ、
と、男だけでなく女も公然と言い放つのは、
やっぱりそんなに簡単ではないだろうなあ、とは思ったのであった。
そうなってはじめて、性に囚われない、ピュアな、
男と女、男と男、女と女の関係ができるんだよ。
いや、性に囚われないんじゃなくて、
性を超えて、性を包摂して。
まさにこれが、私が書きたいテーマそのものなんだけどね。
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