世界と日本の気になることあれこれ・・WPと本&音楽、時々旅 ・・・ by vaivie

Selections 3


  • ウソの上の国会、ウソの上の内閣 — 「森友学園」書類改ざんは自衛隊日報隠しとおなじ

    2018/03/13
    「森友学園問題」では一年前に、不正土地取引疑惑だけではなく、
    もっと本質的な問題があるだろうと書いた。
    疑惑がこのように報じられなかったら学園は開校していたかもしれない、
    そのことの問題性があまりに報じられないのが不思議だったのだ。
    「森友学園」で怖いのは、疑惑(不正)がなければ開校していただろうということ
    なぜ、安部総理は自らの、あるいは夫人の関与をなかったことにしたいのか。なかったことにしたいのは、政権トップとその家族がとある幼稚園の新設に便宜供与を計ったということだけではなく(それも大きいが)、どのような学園を応援していたか、ということでもあろう。
    国会の証人喚問で籠池氏は、昭恵夫人秘書からのFAXを示した。籠池氏の要望に従って経産省に問い合せた、その回答に関するものだった。だが政権は夫人の関与を否定し、秘書はその後海外勤務に栄転という形で遠ざけられた。
    その後加計学園の獣医学部認可では、官邸の圧力があったという文科省からの内部告発まで飛び出し、森友より更に深い便宜供与が問題化したのに、解散・総選挙→自民圧勝で逃げ切られた感があった。
    このままうやむやにされてしまうのかと危ぶんでいたところ、「朝日はフェイク」と政権によってマイナスイメージキャンペーンを張られていた朝日新聞が、3月2日に改ざん疑惑をスクープした。これで事態が動いた。今現在も動いている。そのことについてのコメントを上記記事に書いていたのだけれど、長くなりそうなのでこちらに書くことにする。
    加計学園と森友学園では、安部総理・政権の、相手に対する態度が180度異なっている。加計氏はかばわれ、籠池氏は懲罰的な国会証人喚問ののち逮捕され、長期拘留されたままだ(すでに7か月超という異様さ)。総理は公の場で、かつて応援していた人を詐欺師呼ばわりまでしている。
    昭恵夫人ともども自分たちは騙されたのだ、利用されたのだと言いたいのかもしれない。けれども、夫人が名誉校長まで勤め、講演し、100万円寄付し(籠池氏談)、新設幼稚園に安部晋三記念幼稚園という命名まで考えらていたという事実を、忘れてはいけない。籠池氏の「愛国教育」に、日本会議や総理及び総理夫人が賛同支援していたということである。
    少なくとも加計学園には、地域に獣医学部が少ないからとかなんとか、新設によって国民に利益があるのだ、と言い張ることはできた。これが森友学園にはない。
    森本学園の決済文書からは、昭恵夫人や麻生大臣他政治家の名前が削られていた。もうひとつ注目すべきは、日本会議という安部政権を支える右派宗教政治団体名と、籠池氏や安部首相と日本会議の関係に触れた箇所も、ごっそり削除されている点である。
    安部首相と夫人だけでなく、「日本会議」も守る。守る必要はなくとも、秘する、つまり表ざたしないほうが得策と判断(もしくは指示)されたのではないか。
     
    まず言葉ありき
    南スーダンPKO派遣で、自衛隊の日報が破棄(その後データが「発見」)された事件を思い出す。共通するのは、まず言葉ありきということだ。
    PKO派遣の是非を問う国会で繰り返されたのは、南スーダンは戦闘状態にない、という稲田大臣の答弁だ。破棄されたのは、この言葉のウソがばれてしまうデータである。
    稲田大臣は問われるたびにウソを吐きつづけたが、それは自らの保身というよりも、安部総理を守るためのように見えた。森友学園問題でも同じ図式に見える。
    このたびの言葉は、自らや昭恵夫人が関与していたら「総理も議員も辞める」、との安部総理のタンカである。近畿財務局が決裁書類の改ざんに手を染めたのは、この発言後のことだ。安部総理を辞任に追いやってはならない。実にシンプルな話しである。
    総理のタンカは、売り言葉に買い言葉で発せられたものだ。もしかしたらあの人には、自分の言葉は発せられれば真実になる、との体感があるのではないか(たとえば「アンダー・コントロール」とか)。
    あながちはずれていないように思う。なぜならその言葉を真実にすべく、官邸は圧力をかけ、省庁は書類を破棄し、改ざんし、問われればウソの答弁をし、その答弁を整合性あるものにするために更に改ざんを重ねてくれるのだから。
    官邸が官僚の人事権を握っているのが悪いのだ、と多くの方が指摘している。それはその通りだけれど、そういう「仕組み」だけの問題ではないだろう、とも思う。握った権力をどう生かし、どう使うのか。品も格も志も理念も矜持も、みんなひっくるめての政治家としての、もっと言えば人間としての質の問題ではないのか。
    権力は腐敗し専制を目指す、ということ以上に、この政権に腐敗と専制は内在していたのではないか。麻生太郎氏が「ナチスの手口に学んだらどうか」と発言したのは2013年のことである。
    半藤一利氏が気づいた麻生氏の「ナチス手口学べ」発言の真意
    (NEWSポストセブン 2015.8.13)
    反対世論の多い法案も(国会審議前にアメリカで成立を約束し)、短時間で目くらまし的に法整備をすすめるために複数の法案を束ね、こじつけ理由と強行採決でつぎつぎに成立させ、野党の臨時国会開催要求は無視し続け、開いたとたんに内閣解散。消費税先送りで選挙を戦い、勝てば改憲にも支持を得たと言い放つ。この政権の真の問題は、その手法であろう。民主主義の下で見事に独裁専制をやってのけたナチスの手法に、確かに学んでいる。安保法制だけでなく共謀罪やマスコミ対策でも。
     
    なぜ、どこがリークしたのか
    朝日に改ざんをリークしたのは大阪地検ではないか(財務省かもしれないが)、という指摘がある。東京が動かないから、と。
    大阪地検特捜部は、籠池氏の詐欺行為だけでなく、財務省と国土交通省に対する背任罪および公用文書等毀棄罪についても捜査していた。二つの市民団体の告発を東京地検が受理し(受理まで4か月もかかったとか)、大阪地検に回したのは昨年の9月のことである。
    【森友問題】大阪地検、財務省を背任罪等の容疑で捜査へ…安倍首相の関与解明も
    Business Journal(2017.9.26)
    上記記事によると、関係省庁は他にもいくつかの不正疑惑で告発されている。籠池氏は補助金詐欺で早々に逮捕拘留されているのに、国の背任罪と公用文書等毀棄罪のほうについては操作の進展がほとんどない(報道されない)、ということのおかしさ。そこにどういういきさつ、あるいは圧力があったのか。
    だから地検がリークという形でしか動けなかった、というのはあり得るのかもしれない。いや、動かすためにリークしたのだ、という見方もあろう。いずれにしろ、企業が内部告発・リークでしか不正を暴けないということとはレベルが違う話ではある。
     
    失われたもの
    安部総理が(直接間接を問わず)図った友人や支援者に対する利便供与は、それ自体もちろん問題ではある。けれどももっと大きな問題は、自らの保身や政権維持のために取られたこれらの手法が、この国の大事な部分、行政や政治に対する信頼やシステムそのものを棄損し、死者をだし、多くの貴重な時間を国会審議=国民から奪ったということだろう。
    寺脇研氏が、文科省が加計学園認可に関して「官邸の圧力」をリークした時点で、財務省も書類改ざんをリークできなかったものだろうか、というような趣旨のツィートをしていた。確かに、それが出来ていれば、担当したお役人も自殺せずに済んだし、私たちが失うものも少なくて済んだのだろう。
    ここにきて、「会計検査院も2種類の文書に気付いていた」との47ニュース(12日夕方) 。問題が発覚するまでの長い、暗い道のりが、そのままこの国の大事なものの毀損の深さを語っている。
    古賀茂明「森友文書“改ざん”で白旗 霞が関崩壊を止めるには安倍総理退陣しかない」
    (AERA.dot 2018.3.12)
    ・・・官僚は、自分たちの立場が危なくなると、意外と愚かな行動をとってしまうということだ。これは当たり前のことかもしれないが、官僚というのは、「聖人君子」でも「悪人」でもない。「普通の人」である。そして、「普通の人」について当てはまるのは、「性善説」でも「性悪説」でもなく、「性弱説」だと私は考えている。
     つまり、官僚も弱い人間だ。自分の地位や所属する組織の存立を脅かすような事件を前にすると、普段はまともな思考をする人でも、尋常ではない不正をする誘惑に勝てなくなる。その時は、良心も、賢明な判断力も、正義を貫く勇気も全て消え失せてしまうのだ。
     したがって、官僚の「弱さ」を利用すれば、権力者が、霞が関全体を「不正遂行マシン」として使うことも可能になる。逆に言えば、最高権力者は、そうしたことを生じさせないように自らを律し、逆に官僚の良いところを際立たせるような指揮をとらなければならない。
     そうしたことを念頭に置いたうえで、仮に、今回の事件がこのままうやむやにされて、安倍政権が続くとどうなるか考えていただきたい。
     官僚たちは、安倍政権の強大さをあらためて思い知るだろう。その結果、安倍総理の歓心を買うためにその意向を忖度して不正まで行う。さらに不正を正そうとすることは身を滅ぼすことになると考えて、見て見ぬふりをする。そして、総理が関心をもたない大部分の行政分野で、せっせと自分たちの利権拡大に励む。
     この国の行政は停滞ではなく後退し、腐敗はその極に達するであろう。
     それを避けるためにはどうすればよいのか。もはや、微修正で済む段階ではない。
     安倍総理が退陣して、正義と公正を実現する気概を持った新たなリーダーを選び直すこと。日本の行政機構を救うには、それしか選択肢がないのではないだろうか。
     
    佐川氏証人喚問 2018.3.14
    佐川氏の国会証人喚問に、「野党の審議復帰を条件に交渉に応じる意向」との報。ただし、昭恵夫人に関しては否定的と。そうだろうなあ。とても危なくて出せないんだろうなあ。とはいえ世論も夫人喚問で高まるかもしれない。それでもあくまで拒否を貫いた場合、どうなるか。首相、そしてチーム安部は、国民の批判と不信と怒りの声に持ちこたえられるだろうか。
    昭恵夫人の他に話を聞きたい証人がもう一人いる。夫人秘書であった谷査恵子氏である。谷氏の海外駐在も、佐川氏の国税庁長官就任も、考えてみれば実にあからさまな人事だ。疑惑解明のカギを握る官僚が、こんなに見え見えの人事で動かされている異例さ。けれどもこの異例さも、安部政権のいくつかの掟破りと同様、メディアも国民もマヒしたように見過ごしてきた。
    佐川氏は、この時のためにこそ、つまり、辞任でも片が付かない場合、昭恵夫人の前に防潮堤として立つために、最後の捨て札として政権に囲い込まれたとも言える。なんという貧乏くじ!  今日の朝日は、決裁書改ざんは財務省からの指示だった、と報じている。ウソをつかせたにもかかわらず、自らの責はないと頭一つ下げず、平気な顔で罪を全部一個人に押し付けてくる政治家や組織。もう守るのは、自分の心と体と良心だけにしてください、佐川さん。
    もうひとつ。今日の朝日新聞で目に留まったのは、実は海外で(英米仏露中韓の新聞やローターやAFP通信など)この事件がどう報じられているか、という記事である。特にイギリス二紙の以下の部分。
    英紙タイムズは13日、「偽造された文書、ゆがんだ不動産取引、自殺、そして子どもたちが戦前の軍国主義を習う国家主義的な幼稚園――。1年間のスキャンダルの後、こうした疑わしい要素が一つになって、右派の安倍首相を脅かす政治危機となっている」とこれまでの経緯を伝えた。森友学園については「戦前の日本で主流だった愛国主義と自己犠牲を教える幼稚園」と描写した。
    英紙ガーディアン(電子版)も12日、
    「・・・森友学園の籠池泰典理事長について「大阪の右翼の学校運営者」と表現。「官僚は、保守ロビー団体、日本会議への安倍氏の支援に言及した部分も削除していた」と報じた。また昭恵夫人が森友学園の教育方針に感涙したと伝える記事の引用部分などが、財務省の文書から削除されていた(略)」
    問題視すべきは、「著しいひいきと隠蔽のスキャンダル」(AFP通信)だけではない。と朝日は(まだ)書けないのね。

  • スペインでいらなかったもの、足りなかったもの、忘れたもの

    2018/03/04
    超個人的(次の旅行用)忘備録。
    このたびの持ち物で一番迷ったのは服。
    次がカメラとレンズ、おまけにスマホ。
    いずれも迷って持って行ったものが不要であった。
     

    2/13日-20日、予報では最低が5度前後、最高が11度から20度までと幅が広い。バルセロナが低め、コルドバとセビーリャは高め、グラナダがその中間。朝晩は寒いが日中は暖かい。特に旅程後半の日中の気温の高さに、スーツケース集荷の直前に薄いコートと綿ニットのジャケットを追加。おかげで重さが14.5キロほどになってしまった。
    列車乗降時の積み下ろしなど同行者(ムスコ)に頼れるので、1キロ増えたところで問題はないのだが、要らぬものを持って行って持って帰ってきたことに変わりはなく、ちょっと悔しい。
    イタリアもそうなのだが、同じ18度でも体感温度は日本とかなり違う。日中18度あればライナー付のコートでは暑いだろうと思っていたのだが、これが日陰や建物内だとちょうど良いくらいであった。しかもインにダウンベストまで着ていても、である。11月のマルタが温かかったこともあって、その記憶にも引きずられていた。
    朝晩、特に朝はかなり寒いので、本来はそれを基準に選ぶべきである。朝の出発時に薄手コートやジャケットのみは、(私には)あり得ない。で、日中の強い日差しにはコートを脱ぐ。対応はこれしかなかった。実際はほとんど帽子と毛皮のティペットの脱着で温度調節が済んでしまい、コートを脱ぐほどのシーンはそれほど多くはなかった。
    ジーンズも不要であった。日本からの出発時の装いも、直前に、裏起毛パンツをヒートテックレギンズ+ストレッチジーンズに、厚手セーターを薄手カーディガンに変更。これもはずした。で、多くを一本しかない厚手パンツと一枚しかない厚手カーディガンで過ごす羽目になってしまった。出発時の最初の組み合わせがあればジャストだったのに。
    気温予想による装いでは幅を持たせて選択するので、たいてい「一度も着ずに終わる服」というのが出る。大島のチュニック&インの薄手タートルなどはこの意味で着なくても仕方なかったのだが(想定内)、これほど外すのは久しぶり。あんなに悩んだにもかかわらず。これもあちこちでヤキが回って来たことの一つ、だろうか。
     
    カメラとレンズ
    長らくの旅の供(友)カメラだったOLYMPUS E-PL6+14-150mmを、LUMIX  DNC-GM1+12-32mmに変更した。おかげで首にかかる重さが650gから300gと半分以下に。肩こりが随分軽くなった(これは、疲れてくるとデイバックをムスコにしょってもらっていたから、でもあるが)。
    出発前の悩みは二つ。果たして12-32のズームで足りるだろうか、ということと、お気に入りのLumixレンズ20mm/F1.7を使いたいときどうするか。
    カメラ変更後初めての旅であるからして、とにかく行ってみないとわからない。14-150mmズーム(300g)、OLYMPUS Airと20mm/F1.7(合わせて300g程度)も携行。
    結果、ほとんどをGM1+12-32mmで撮って終わった。20mm/F1.7は食事と夜の撮影にフィットするのだが、結局スペインでバックから取り出したのは2回だけ。それも1度はGM1がバッテリー切れとなったからであった。
    GM1はバッテリーがすぐなくなるとレビューで読んではいた。予備に一つ買っても行った。この予備が1つで足りない日があったのだ。到着翌日、バルセロナからタラゴナ(水道橋+ローマ円形劇場)を往復し、夕方カサ・バトリョ見学の途中。撮影枚数は360枚ほど。
    それでAirで撮っては見たが、モニター用に持って行ったDIGNOの反応の悪さからストレスが大きく、撮影意欲も減退。夜のレストランのようなところではまだ良いのだが、動きながらの撮影ではDIGNOではなかなか撮れないということが実証された(わかってはいたのだが)。
    あらためて一日の撮影枚数を見てみると、今回多い日で400枚超。前回のマルタでは400枚を超える日はなかった。増えたのは、一日の稼働時間がスペインでは長かったということと、カメラの軽快さもあったような気がする。加えて、ピント合わせの電子音とシャッター音を無くしたことも。これで余計バシャバシャと気軽に撮ってしまったというか。
    翌日からスイッチOFFをこまめにしていたら、なんとか予備バッテリー1本で賄えるようにはなった。もう1本必要かというと、充電の手間もあるし、いらないかな。
    14-150mmズームレンズは一度も使用(レンズ交換)せず。これも半ば予想通り。やっぱりね、いちいちレンズなんて交換しやしませんて。手振れ補正も無しだし。というか、これまでも交換しないできたのに、この期に及んでするはずもないということ。望遠が欲しいと思ったシーンはあったけれど、デジタルズームの2倍・4倍でお茶を濁して済んでしまった。
    それよりも、12mm(35mm換算24mm)の画角で撮れるメリット! 風景もホテルの部屋も12mmは良い!!  交換レンズで12-60mmというのがあるので、余裕が出来たら買おうかな。209gとそれなりに重い(本体とあわせて400gになってしまう)けれど、14-140mm(263g)よりは軽いし、12mmに価値があると思う。新品で4万強、中古で3万弱。
    もしくは、G X VARIO 12-35mm/F2.8 II 。これがあれば20mm/F1.7はいらないかもしれない。が、重い。304g。そして高い。Amazonで83,000円ほど。古い機種も新品値段はかえって高く、ただし中古で5万くらいから(重さは同じ)。

    評判はすこぶる良くて、そりゃきれいな写真は撮れるんでしょう。F2.8も大きいでしょう。でもねぇ、値段もだけど、重さがねぇ。
    話しは戻って、もうひとつGM1で驚いたのは、暗いところでもかなり撮れるということと、レストランの料理写真もそれなりにボケを出せるということ。それでよけいAir+20mm/F1.7の出番がなくなってしまった。で(例によって)疲れてくると、14-150mmの交換レンズも、Air+20mmもホテルの金庫に入れっぱなしになっていた。
    が、である。帰ってきて撮れた写真を見るに、やっぱりそれなりで、夜は20mm/F1.7を最初からつけてい行くべきだったと反省。というか、夜はAir+20を持ってGM1はリュックに入れる、でも良かったのかもしれない。足りないのは写真にかける情熱とエネルギー、ということか。
     
    スマホとタブレット&アプリ
    今回DIGNOの他にもう1機、Android(arp)を持って行った。ムスコが自分のiPhoneを事前にSIMロック解除をしておらず、万一現地ぶっつけ本番で出来なかったら、と心配だったのだ。LINEが別行動時の必需品であるし。結果無事解除も出来、Threeも問題なく使えたので不要ではあった。
    が、Air用にも予備的にももう一台スマホは欲しい。このたびもiPhoneのバッテリーが1日ぎりぎりであった。DIGNOがAirのモニターとして使えないということと、SIMもさせないことから、予備スマホとしてはいくら軽くても携行価値ゼロ。悔しいが仕方ない。
    となると、arpAndroidに頑張ってもらうしかない。ムスコがiPhoneを機種替えしたら7をもらい下げることになっているので、そのときまで。本当はiPhone SEが軽くて小さくて良さそう。楽天モバイルやY!mobile、UQ mobile で格安に入手できる模様なれど、乗り換えるのもかったるい。
    楽天以外は2年縛りにもひっかかる。そこを気分的にクリアできれば軽くて小さいiPhoneが格安で手に入るのは超魅力。実はガジェット欲がそそられている*。今後あの軽さも貴重となるような気がする。合理的にはモバイル充電器持参、なんだけれど(今回も持って行って、確か一回くらい充電した)。
    出番がなかったのはiPadも同様。WPに日記風記録を書いたのは行きの機内のみ。いつもはWebチェックインをiPadでやるんだけれど、イベリア航空(Vueling)もライアンエアーも日本でチェックインが出来てしまったので不要。ルフトハンザは前日にiPhoneのアプリからやった。スマホで何でもできてしまう。特にモバイルチェックインは本当に楽。とはいえ、記録や書類の携行用に、まだまだiPadを置いていく気にはなれない。
    その必要書類のチェックは100%Evernote(主にiPhone)だけ。ネット環境不要というのが大きいし、マルタで以前より使いかに慣れたせいもあった。Onenoteもファイルマネージャーも開かずじまい。
     
    SIM
    Threeは今回も快調だった。私の6はMVPNのプロファイルを削除する必要があったが、ムスコの7はそれもいらなかったようだ。
    1GB/30日有効のThreeは国内業者が販売しておらず、香港から届いた。その分到着まで日数が必要だったが、容量的には9日間でぎりぎり。今回ホテルWifiをあまり使わなかったからかもしれない。
    ちょっとミスったのは帰国後。羽田で空港フリーWifiをつなぎ、まずOCNのプロファイルをダウンロードすべきであった。が、プラスEXでの新幹線予約を優先してしまった。しかも品川まで時間がかかるのを忘れ、ぎりぎりの時間で取ってしまった。京浜急行ホームで予約変更をしようとしたらすでに空港Wifiが入らず。
    ぎりぎり新幹線には乗れたのだが、帰宅するまでネット環境も電話環境も無し。新幹線内のWifiは契約者のみとのこと。
    こんなときのためにOCNのフリーWifiを設定しておこうかと、先日自宅で試すもうまくいかず。実際に対象となるWifiが飛んでいないと出来ないのかな。今度どこかで試してみよう(と思っていたのだが、UQモバイルに乗り換えることにしたので、この作業も不要になった*)。
     
    忘れ物と落し物
    今回持っていくのを忘れたのはプライオリティカード。ラウンジ利用しないと楽天カード年会費のモトが取れない。悔しい。が、たっぷりあると思っていた乗り継ぎ時間が、特に帰路ライアンエアー(フランクフルトで)荷物ピックアップに1時間かかるなど、利用する時間もなかったのだが。やはり航空券を別冊で切ると乗継がネックだなあ。
    Covermarkメイクアップ用スポンジも忘れた。Canmakeのパウダースポンジが2個あったので流用。あとは爪切り。結局私は要らなかったのだが。
    現地に忘れてきたものはなし(と思う)。落としたのはコートのボタン。取れやすいんだよね、あのコートボタン。何個目だろうか。でもまあ、ボタンくらいで済んで良かった。
     
    *本日OCN解約、UQモバイル+iPhone SE で申し込む流れ。
    もうしょうがないのだ、流れには逆らえん…。
     


  • 西部邁「もう嫌になった」

    2018/01/23
    【追悼・西部邁…】というタイトルで、
    ビデオニュースから10年前の番組の無料放送が流れてきた。
    Part1を視聴。三人とも若い。西部氏の切れ味も鋭い。
    その後、自死だったと知る。
    彼の場合、弱さからではなく、強さゆえのものであったように思う。何本か記事を読み、直前のAeraの対談記事も読み、直前の西部ゼミナール等の番組も視聴。「こんな国に生きているのがもう嫌になった」というのを、桜チャンネルの司会者は半ば流しながらも、西部流の物の言い方半分、西部氏ならやりかねない半分で聞いていたようにも見える。
    私は、「こんな国に生きているのがもう嫌になった」というのを、聞く前から知っていたような気がする。西部ジャーナルでは、「言論は虚しい」とも言っていた。何も変えられないじゃないかと。怒りや絶望があって最後にくるのが静かな諦念で、そこに(自然死ではない)「病院死」拒否の死生観が重なれば、西部氏ほどの人なら結論はひとつなのであろう。自死には気力も体力もいる。それがあるうちでなければできない。昨年の10月22日に計画していたのが総選挙と重なったので延期したのだとも。
    「なんで死ぬ死ぬと公言するのかわからない。だまって死ねばいいではないか」と言う声を聞いた。が、それでは「死」はただの憶測で「いじり」まわされる。病院死の拒否は自らの死を「いじられる」ことの拒否であったのだから、メディアによる「いじり」を(避けられないことではあっても)なるべく自らの意思の下にコントロールしたいと思ったのだと思う。
    小林よしのりは「立派だ」と書いた。宮台慎司は「悲しくて泣いている」と。
    思うのは、この国は与えられた民主主義の民度・成熟に到達できぬまま、むしろ身の丈のサイズに納まりつつあるのかもしれない、ということ。
    西部氏は、もう一度戦争みたいなことがないとこの国はダメなのだ、というような言い方をしていた。そうなのかもしれない。
    にしても、良い戦争より悪い平和だ! と思う。民度が低くて、トップがウソつきのバカでも、生き延びれば違う朝を迎えられるかもしれないではないか。
     
    私、これ、視聴してたのになあ…。

    「あとは知ったこっちゃない」のあとの間!
     


     
     

FOCUS

よくこんな映画を作るよな!『歓びのトスカーナ』(日本語タイトルはひどいけど)

VedereAscoltare/視聴

もうほんとに胸の底にずしんと来た。 笑いもあるし、思わず一緒にガッツポーズとるところもある。 ほんと一緒に旅した感じ。久しぶりのロードムービー。 イタリアらしい、人間に対する深くてあったかいまなざしがあって、かつ痛快でもある。今年のナンバー1かも …続きを読む

DIESELのコマーシャル動画がすごい

VedereAscoltare/視聴

メイク ラブ ナット ウォール ! ってだけでやられたって感じ。 かつての WAR=今は Walls(知らない世代のためにひと言…)。 & これをブランドがコマーシャルでやるイタリアのすごさ!

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