今日はまた一段と情けなさに身もだえする話を聞いた。
しかしこれは、情けないだけでなく、暗澹とする話だった。
あまりにバカなやつの話なのに、
そのバカに「気をつけなければいけない」というところまで、
もう私たちの社会が来ている、という意味で。
実はそういう輩に友人がネット上で攻撃を受け、
それに対して上司や周囲が、
そんなバカなこと言わないでくださいよ、と言えずに、平身低頭している図。
これではどんどんバカが増えてしまう。
私たちは、ますますバカなやつらの攻撃におびえ、
言いたいことも言えずに身をすくめているしかなくなる。
恐ろしい話である。
実際に彼(ら)がどう言っているのか、検索してみた。
最初の出所らしい2ちゃねるでは確認できなかったけれど、
それを引用したブログが複数ヒットした。
非常に短絡的な、表層的なものだった。
もしかしたら、限られた人数(あるいは同一人物)が、
たまたま引っかかったネタをいじくりまわしているだけかもしれない、
とすら思うほどに、言い方が同じだった。
彼らの攻撃が日教組とからめてというのも、
考えてみたらとても不思議だ。
日教組って、そんなに脅威的なアイコンなのか?
(いや、これはあるかもしれないなあ。
君が代・日の丸というアイコンに対して、とかね。
やっぱり、教育は常に「洗脳」の場だし…)
そういえば、右翼団体一水会の創設者鈴木邦男氏が、
公安警察官に「日教組の本部に突っ込んで、男を上げろ」と言われた、
という話があるけれど…。
ちなみに、友人と日教組はまったく関係がない。
もうひとつ驚いたのは、彼らの年齢層である。
検索するまで、こういう輩は若年層だとばかり思っていた。
思慮の浅い、ただ景気づけにネトウヨやってるだけの、独身でヒマな若者たち。
けれども、この件に関しては、まったく違った。
彼&彼女たち、立派に人の親なんだよ。
考えてみたら、ひきこもりだってもう40代だもんね。
この、人の親たちは、確かに、すでにネットを駆使できる層ではある。
昨日書いた中学ではやってるヤンキー教育といい、
このさき、こういう親の子どもたちあたりからが、
ある意味、一番やばいかもしれない。
とすると、ほんとに100年だめかも、この国。
しかし、なんつうか、「きちがいに刃物」状態を遠巻きにしてるみたいで、
どうしたらいいんだろうと途方にくれるけれど、
私たちはこのやばさを、まともな人と少しでも共有していくしかないとも思う。
そうそう、ちょうど今、ロマ/ジプシーの本を読んでるんだけど、
著者は若いときアメリカに音楽留学して、人種差別のすさまじさを身をもって体験した人。
ゆえに、ジプシー差別にこういうかたちで迫る本が書けたんだと思うけれど、
先のブログの反応の根っこに、在日韓国人に対する差別感情がすっごく出てるの。
何なんだろう、これって。
自らの差別性にこれだけ無自覚な人ってなに?
自分が受けた差別に対する批判精神の欠如・放棄が、
身近で言いやすい差別に拡大再生産されてるとしか思えない。
とことん悲しく情けないのは、
そうやって「テキ」を攻撃してるあんたを、あんたが擁護してるやつらは、
守ってくれないってこと。
やつらが一番最初に切り捨てるのは、あんたたちなんだよ!
ついでに以前からおかしいと思っていたことも書いておこう。
従軍慰安婦について、強制連行はなかった、という件について。
しばらく前にNHKで、「克服できるか 日韓の歴史認識」という、
日韓の論客が対話するドキュメンタリー番組があった。
「克服できるか」というからには、克服を模索する論客を招くべきところ、
中に一人、対立強硬姿勢の「ジャーナリスト」が混じっていた。
彼女は論理明晰で、細部にわたる事例をとうとうと並べるので、
かなりの説得力をもつ。
ゆえに、「こういうふうに考えたい」「こうであってほしい」という人びとに、
熱狂的に支持されている。
今回彼女が熱を込めて語ったのは、従軍慰安婦の問題だった。
いわく、強制連行はなかった、そういう証拠がない、
女性として慰安婦には心から同情するし、
人権問題ではあると思うけれど、
それを国家の責任として保障をもとめるのは筋が違う、
というものである。
私は大いに違和感を覚えた。
巧妙な論理のすり替えを感じた。
ただうまく言葉にできなかった。
それが、ああ、こういうことなんだと解かったのは、
吉田茂を主人公にしたドラマを見たときだった。
近江文麿が、駐留軍のために慰安所をつくれ、と言う。
「良家の婦女」を守るためだ、と。
そして、売春婦にならざるを得なかった女性の悲哀が描かれる。
(ドラマの中では、この女性の描かれ方が一番良かったかも)
この現実的な事象と、彼女たちの存在を否定することは出来ない。
私はこのとき、従軍慰安婦問題と一緒だ、と思った。
国家が女性の性を、差別構造の中で踏みにじっていくという意味で、
論理としてはまったく同じなのだと。
糾弾されるべきは、この国家の論理である。
強制連行の証拠云々のレベルの話ではない。
この国家の論理を批判的に省察できない限り、
私たちは同じことを繰り返すし、その論理は他者だけでなく、
自らにも及ぶということなのだ。
国際的にはこういうへ理屈は通らないということを、
問題を強制連行の有無に矮小化しているひとたちは肝に命じて欲しい。
件のジャーナリスト女史がいみじくも口にしたように、
日本は韓国の女性たちに対して、
そして敗戦下の日本女性たちに対して(だけではないが)、
まさに人権問題である人道的罪を犯した。
そのことの非は認めなければならないし、
当事者の糾弾の声には、真摯に耳を傾けなければならいと思う。
蛇足で付け加えるとね、
足踏まれた人が痛いって言ったら、
すなおに謝れってこと。
強制連行の有無に拘泥する人って、
そんなつもりじゃなかたったから自分に非はないって言い張る、
どセクハラおやじと同じレベルなんだよ。
p.s.
検索していて出会った以下のサイト、
(ネトウヨの矛盾を突いて)かなりの労作だったので、メモ。
http://www.geocities.jp/ondorion/now/mougen.html#1
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