今日のエジプト関連ニュース・記事では、
何といってもこれが目を引いた。
・エジプト:謎の集団が双方銃撃 衝突の引き金に…目撃証言 (毎日jp 7/16日)
(8日に50名以上の死者を出した衝突時)武装集団は、緊張状態にあった軍側とモルシ派を衝突させるため、意図的に双方を銃撃した可能性が高い。3人の証言者はいずれも、武装集団がモルシ派に見えたと話す。
可能性としてはあり得ると思っていたけれど……。
しかしこれ、エジプトでも報道されていることなのか?
毎日新聞では、12日の、同胞団内部の改革運動について書かれた記事も良かった。
内側に踏み込み、裏側に回り込んだ視点があるように思う。
(同胞団のデモ隊の中に、白装束の殉教者姿が現れたことを書いていたのは、
どこの記事だったか。
あまりにランダムに読んでいるので、覚えていられない。
メモのためにこうして書いていても、書くそばから忘れているし。
ちなみに調べてみたら、白装束は7日の朝日の記事だった。)
上記毎日の記事によると、同胞団改革派の幹部批判の一つに、
武力衝突の危険性があることを承知でデモを扇動している、
という点があった。
同胞団も平和的なデモを呼びかけてはいる。
これを徹底させてほしい。
もし、同胞団の一部が過激武装化するだけでなく、
指導部が(暗に)武力衝突を容認・奨励するようなことがあるとしたら、
同胞団は、民主国家で一翼を担う組織とはみなせなくなる。
将来的にも、穏健なムスリムたちの支持を得ることも、
出来なくなるのではないか。
イスラムをどう解釈して行動に正当性を与えるかは、
イスラム社会にあって、世俗派であろうとなかろうと重大なことだ。
私がエジプトで感じたことは、たとえ敬虔なイスラム教徒でなくても、
多くの人がイスラムの価値観の下に生きている、ということだった。
その意味で、イスラム政権が包括的で多元的な価値観を提示できるかどうかは、
イスラム民主主義のバロメーターになるように思う。
モスリム同胞団は、この点でどうであったか。
ぱらぱらあちこち流し読みをしていて、
エジプトの『アル=アハラーム』紙の7/11日付け記事が目に留まった。
・諸政治勢力が包括的な和解を求める(日本語で読む中東メディア)
エジプト人の血を流すことを止め、暴力を避け、祖国の統一を守るための真剣な努力の一環として、多くの政治的勢力や党派が包括的な国民和解を早急に実現することを要求した。
アズハルと(サラフィー主義組織である)ダウワ・サラフィーヤはこの国の現在の危機を解決するため、賢人委員会を作ることで合意した。
ギリシャ正教会のアレクサンドリア総司教区は声明を発表し、そのなかで、神が愛するエジプトを守ってくださるよう、そして国民、軍、警察のなかに亀裂を入れることを目的とした内乱を回避させてくださるよう、そのすべての教会で祈りをささげると語った。
司法省は軍最高評議会に、この国の人々が納得するような一致をもたらす解決策に到達すべく、対話を行えるよう、アズハル、教会、司法、軍、そしてさまざまな政党、政治潮流、革命推進勢力といったこの国のすべての支柱を代表する人々を招くことを求めた。
…またすべての陣営に対し、はびこる悪の拡大を抑えるために、暴力を捨てること、理性に訴えること、対話のテーブルに着くことを強く要求した。会議党の党首であり救済戦線の指導者でもあるアムル・ムーサー氏はできるだけ早く国民和解委員会を立ち上げる必要性を強調した。
弁護士組合の自由委員会は、包括的な国民和解のため、そして流血を止めるよう、積極的な策を急ぐことを求めた。当委員会はその声明のなかで、現在の危機から脱するための理想的な解決策とは対話のテーブルに着くことであると強調した。
共和国ムフティーであるシャウキー・アッラーム博士は、(10日から始まる)ラマダーン月を、不和を正す機会、包括的な国民和解を実現するための 真剣で喫緊の努力をする機会にするようにと、すべてのエジプト人に呼びかけた。それは、合意の成立したプログラムに到達し、祖国を危機から救い出し、正し い道筋に置くことによって、一つの国の人々のあいだでの相互理解の型を生み出すためであると語った。
ここに名前のあがらないモスリム同胞団は、
ムルシ氏が解放されれば、早期の大統領選挙に応じる、
と言い出している。(同『アル・ハラーム』7/14日)
とにかく、「包括的な国民和解」を目指すべく、歩み寄ってほしい。
流血により分断を煽るような行為は、徹底的に糾弾してほしい。
白装束殉教者の記事を書いた朝日・川上中東支局長の、
『エジプト政変 二つの群集、階層間の対立』(7/15日)
というコラムも目に留まった。
これもまた、裏側に回り込んだ視点で書かれた記事のように思える。
けれども、「二度目は茶番」という言い方に、まず違和感を覚えた。
今の段階で、このように断定的な言い方をしていいのだろうか。
(そういえば少し前の川上氏の『中東ジャーナル』の記事にも、
私は、なにかが違うのではないか、と感じたのだった。)
モスリム同胞団は、非合法組織である時ですら、
貧困層に福祉の手を差し伸べていたという。
だが、貧困層=ムスリム同胞団というのは、
あまりに単純化・一元化しすぎているようにも思う。
それに、売る相手によってモノの値段が違うのは、
エジプトでは当たり前のお約束だ。
それをもって、「二つの群集は、紅茶一杯の値段そのままに、異なる世界に住む」
と決めつけてしまうのは、少し乱暴ではないのか。
確かに、二つの民衆に、階層の違いはあるのであろう。
同胞団支持に貧困層が多いのも、そうなのであろう。
氏は、ムルシ政権が新年度に始める予定だった貧困対策、
社会保障年金や寡婦支援金政策などが、
政権を追われたために潰えてしまったことを指摘している。
氏は、世俗派や軍の言う「民意」に、
モスリム同胞団支持の貧困層がカウントされていない点を、
厳しく批判している。
その批判には私も同意するけれど、性急な批判のあまり、
何かがずれてしまっている、
あるいは抜け落ちているような気がしてならない。
氏の言説はとてもすっきりとわかりやすいだけに、そのことが気にかかる。
特に昨日、エジプトの様子を半年以上前にさかのぼって見た後では、
一層氏の見方が、いま目に見えるものだけからの判断に思える。
(昨日読んだ情報は、ただ一人の人の目を通したものであるから、
色もついているだろうし、一面的でもあるだろうけれど、
過去はその後の事実や現象で検証できるので、
それほど大きくはずれていることはないと思う。)
ムルシ政権への反発は、すでに去年12月の憲法制定から始まっている。
政権は、30%の投票率で憲法の制定を強行した。
その後、ポート・サイド暴動首謀者21人への死刑判決があり、
民主的な政権ではないではないか、という批判が高まっていったその上に、
物価上昇とガソリン不足などの経済的困窮が重なった。
とどめは、経済問題であった。
食料品が1.5倍、2倍、と上昇する物価の、一番の犠牲者はどの層であろうか。
氏の言う「民意」に、ムスリム同胞団以外の貧困層は、
どうカウントされているのだろう。
人口増もあって、小麦を大量に輸入せざるを得ないエジプトで、
政府が補助しているパンは安価に購入できる。ガソリンも同じだ。
けれどもそのパンと油を買う外貨が、底をつきかけていた。
IMFへの支援要請は頓挫していた。
何故なら、支援を得るためには、手厚い援助をやめなければならないからだ。
援助をやめるということが、この状況の政権にとってどれほどの打撃になるかは、
部外者でも想像できる。
あとは湾岸諸国からの支援だが、応じてくれそうだったのはカタールだけで、
これもすんなりとは進んでいなかった。
エジプトがまず解決しなければいけないのは、
年金よりなにより、目先のパンと油だった。
もう一つ、氏の記事の中に、モルシ政権は反政府デモを規制・弾圧せず、
メディアもそれを流し続けた、という指摘がある。
ゆえに氏は、「政府を批判する自由があれば、政治の危機は続いても、
体制の危機はないと思った」と続け、
(それなのに)「軍事クーデター」がそれを覆してしまった、
「エジプト革命で始まった民主化プロセスは崩れた」と断定する。
氏の言う「民主化」がどういうものであるのかはさておき、
ここでは二つのことを思った。
まず、昨日読んだ佐々木氏だけではなく、半年前から、
ムルシ政権に対する批判勢力の動きや経済状況から、政権の先が長くないこと、
その際にはまた軍が出てくるだろうことを予測していた人たちがいる。
だが、川上氏にはその視点がなかった、ということだ。
もう一つは、モルシ政権がデモを規制・弾圧しなかったのは、
政権が民主的であったから、という主張に対する疑問である。
実はモルシ氏は軍に、デモの規制を依頼したのだが、
軍とは国外の敵から国民を守るものだ、デモの規制は訓練もされていないし、
その任にはない、と断られていたようなのだ。
軍は悪者になりたくなかったのだろう。さらには、政権の先行きを見据え、
遠からず出番が来ることを読んでいたのかもしれない。
では、警察はどうか。
給料の遅配や無配が続き、彼らは任務遂行の意欲を失っていたという。
それが治安の悪化を招きもし、デモ規制にも影響していたと想像できる。
これらの要因があり、タハリール広場は二年前とは異なった、
ある種の穏やかさにあったのだ、ということが言えるのではないか。
つまりムルシ政権は、規制・弾圧をしなかったのではなく、
できなかったのである。
しなかったのか、できなかったのか、この違いは大きい。
しなかったのなら、政権は安定しており、包括的な能力を持っていたことになる。
よほど自信があったということだ。
できなかったのなら、すべてはその逆だ。
不安定で孤立しており、政治的能力を失っていた。
私は後者だと思う。
私も川上氏の言うように、この反政府派とモルシ支持派の対立を、
「イスラム主義対世俗主義」に収れんさせてしまう考え方には反対だ。
だが、だからといって、これが単なる「階層間の対立」だとも思えない。
宗教と世俗を横断する問題、階層を縦断する問題がここにはある。
その問題に端を発したものが、
たまたまムルシ氏が同胞団に支持された大統領であったために、
世俗対イスラムのような対立に見えるのだ。
表面的にはどうであれ、根本的な問題は世俗対イスラムではない。
このことは、イスラムのアズハルや、
少数派のサラフィー派が反同胞団側にいることからも明らかだ。
以上のように考えると、エジプトの今回の動きは、
政治と経済と社会改革の、大きなうねりの中に位置づけられるような気がする。
その意味では、「民主化のプロセスは崩れた」と簡単に断定することはもとより、
「茶番」などと切って捨てるような言い方は、ちょっと違うのではないかと、
思うのである。
『エコノミスト』のこの記事が言うように、
「混乱と流血、民主主義の後退はある。
しかし民主化のプロセスは時間がかかるものだ。希望を捨ててはならない」と、
私も思う。
・アラブの春は失敗に終わったのか? (The Economist 7/15)
少し前のこの記事にも考えさせらた。
・選挙政治の是否が問われるエジプト (NewsWeek 中東徒然日記 酒井啓子 7/2日)
そもそも、デモの圧力に屈して辞任するような政権ではない。議会選挙でも大統領選でも過半数を得て成立した政権である。「民意」を背負った自信に、溢れている(つまり、身近によくある「賛成していないのに選挙で圧勝する与党」だ)。これは、同時期に反政府デモが噴出したトルコでも同様である。
「賛成していないのに選挙で圧勝する与党」–まさに日本でも、である。
選挙のうまい政党がいて、彼らに有利なシステムがあったりもする。
選挙は民主主義のキモだけれど、だからと言って究極の民主的手段なのかどうか。
ただ、よりマシな方法であるというだけではないのか。
いずれにしろ、選挙は100%の信任ではない。
そのことに政治家が無自覚なのは、彼も我も同じであった。
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