8日の衝突について、こんな記事を読んだ。
諸勢力の“情報戦”が、対立や不信を増幅させている側面もある。
8日の大規模衝突後、同胞団は「軍側に銃殺された子供」とされる写真をインターネットに公開した。しかし、軍の報道官は「以前にもシリア内戦の写真とし て使われたものだ」と指摘し、同胞団側が「銃撃で使われた空薬(やっ)莢(きょう)」と主張するテレビの映像にも疑義を呈した。
(軍クーデターから1週間 情報戦で強まる不信、衝突再燃も)
(msn 産経ニュース 7.9)
記事はこう続く。
5日夜、市民同士の衝突で10人近い死者が出たマニアル地区。暫定政権派の男性住民、マフムードさん(28)は当時の状況について、「タハリール広場に向かおうとした同胞団側が、それを阻止しようとする住民に銃撃してきた」と憤りをあらわにする。
これに対し、カイロ大に陣取る元国会議員、アブドゥーさん(53)は「同胞団の平和的な行進が暴漢団の銃撃を受けたのだ」と全く異なる説明をした上で、主要メディアが反同胞団の報道姿勢を強めていることに不満を示した。
こういう状況下では、いずれの側の情報にも色がついている、と、
『中東の窓』の野口さんが書かれていたことを思い出す。
今日いくつか読んだ中で、この記事に好感を持った。
・エジプト軍の7月3日声明について――これは「革命」か、「クーデター」か
『Asahi 中東マガジン』、7/9日 竹村和郎
さて、これは「革命」なのか、「クーデター」なのか?
もし「クーデター」というものを、比較可能な政治概念として、「既成の特定集団による既存の政治手続きをふまない政権奪取」などと定義すれば、こ の7月3日声明は、明らかにその条件に当てはまる。軍隊という特定の集団が、選挙によって選ばれた大統領を実力によって「解任」したという点では、現象としては、これは「軍事クーデター」と呼ぶことができるだろう。
しかし私が注意を喚起したいのは、これが政治的現象として「クーデターか否か」なのではなく、言語的・文化的・社会的現象として、「革命(サウラ)」と呼ばれることになるものなのか、それとも「クーデター(インキラーブ)」と呼ばれることになるものなのか、という点である。それはおそらく後世の 歴史家の仕事なのだが、同時代を生きる私たちとしては、この問いに早急な判断を下すのではなく、それがどのように語られ、どのように方向づけられながら進んでいくものなのか、注意深く観察していく道をとりたいと思う。
これに先立ち、氏はこう述べている。
エジプト国内においても、この出来事の評価はまだ定まっていない――あるいは、当事者であるエジプト国内においてこそ、いままさに、この出来事の評価を決める「理念の闘い」が繰り広げられているのだといえるかもしれない。
今回のエジプトの動きに、外部にいる私たちが、断片的で色のついた情報を頼りに、
自分たちの価値基準で断定的に言及することに、ずっと違和感があった。
同じ『中東マガジン』編集長川上泰徳氏は、9日付けの記事で、
「国際的な常識に照らして」今回の動きは民主主義を踏みにじる軍事クーデターだ、
との論を展開している。
エジプト国内で、今回のクーデターがあたかも民主化につながるような声が存在することは、民主主義に対する自分たちの無理解や未熟さを露呈すること以外の何ものでもないだろう。さらに外国の論者から、今回のエジプトで起こっていることを、同様に、やむを得ないというとらえ方があるとすれば、エジプトにはまだ民主主義を実現する段階にないと見下した見方に立つものでしかないだろう。
民主主義の実現はもとより一朝一夕にいくものではないし、ムスリム同胞団が主張しているように、選挙をすれば実現するというものでもない。しか し、エジプト革命によって初めて民主主義を実現する道が開けたことを考えれば、2年半にして、軍のクーデターで、その芽を摘まれてしまったことは重大であ る。さらに、エルバラダイ氏のように民主化を実現するべき人物が、軍の行動を批判も反対もしないという無神経さは、エジプトの民主主義の復活にとって、よ り大きな困難であると考える。
同じ『中東マガジン』内の、同日に出た記事だということが興味深い。
色々な見方が同列に並べられていることは好印象だ。
それはさて置き、この二つの見解の、
いずれがよりエジプトに寄り添ったものであるかは、
あらためて言うまでもないだろう。
疑問なのは、なぜこうも「クーデターだと認めろ!」と、
声高に叫ばなければいけないのか、ということだ。
私など及びもつかないほどに中東・イスラム社会に詳しいであろう方々が、
なぜ、「国際的な常識」だけを振りかざすのだろう。
どうして、クーデターと認めないことが、
「エジプトにはまだ民主主義を実現する段階にないと見下した見方」になるのだろう。
「国際的な常識」である「民主主義」以外は民主的ではないとするのは、
むしろエジプトの人々を「見下した見方」ではないのか?
6月3日に書いたことを思い出し、引用した二つの新聞記事を再読した。
『エジプトのイスラム政権』
記事の一つは、当時朝日新聞カイロ特派員だった石合力氏が、
カイロから書いたコラム。イスラム同胞団の内実を、
そこからはじき出された若者を例に紹介している。ハッサンさんは、
(宗教的禁止行為だとされる)音楽がなぜいけないのかと口にしたせいで、
組織の中で居場所を失い、自ら同胞団を脱退した。
かつての友人からは裏切り者として罵倒され、自宅で失意の5年を送った。
彼はやがて、一から友人関係や仕事をつくりなおすことを決意し、
映像ドキュメンタリー作家、ジャーナリストとして再出発するのだけれど、
これを読むと、同胞団の組織の強固さ狭隘さ、そして宗教的厳格さがよくわかる。
ハッサンさんは、「服従を求める同胞団という組織に40年以上もいたムルシ氏は、
機械の歯車にすぎない。洞察力(ビジョン)など持ちようがない」と述べている。
記事は、「タハリール広場にあふれた連帯の熱気は消え失せた。
経済と治安が悪化するなか、政権と国民の「アンフレンド化」が進む。
「アラブの春」の真の勝者はだれなのか。
穏健イスラム勢力だと結論付けるのは、早すぎる気がしてならない。」
と結ばれている。
もう一つの記事は、今年1月の毎日新聞『エジプトは宗教独裁だ』。
作家サーダウィ―がインタビューに答えたもので、
彼女は、ムルシ政権をムバラク軍事独裁よりひどい宗教独裁だと批判し、
新憲法は人権などの点で1971年制定の前憲法より後退している、と述べている。
さらに、「自由な選挙ではなく、民主的だったとは言えない」とまで言う。
サーダウィーは過激な言い方をする人ではあるし、
特に女性の権利に関しての後退が許せないということはあるだろう。
けれども、ムルシ政権に対するこのレベルの批判が、
すでに半年前に聞こえていたことは確かなのだ。
3月、ポートサイドの暴動に関する判決に対して、デモが広がっていた。
関係者21人の全員に死刑判決が出ており、それに対するものだった。
死者の出た暴動ではあるけれど、あまりに強権的ではないかと、私も思った。
さて、このような声に対して、
たとえどれほどひどい政治であろうと、日々どれほど困窮していようと、
改革は民主的な選挙で行うべきだと、「国際的な常識」は言う。
ただし、この正論の前提には、ムルシ政権が真に民主的な政権である必要がある。
だが、それを私たちが、あるいは「国際的な常識」が評価できるのだろうか。
いや、してよいのだろうか?
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