ムスリム同胞団に解散命令が出た。
これは、左派政党からの訴えに対する判決なので、
同胞団側は控訴すると言っているし、
どのような形で実行されるのかはよくわからない。
が、その内容は、全ての活動を禁止し、
資産を凍結するというかなり厳しいものだ。
・エジプト裁判所、ムスリム同胞団に活動禁止・資産凍結を命令
(ロイター 9/24)
エジプトの今回の政変では、当初、
マスコミの「軍によるクーデター」批判と、
同胞団に民主的正統性があるとする擁護論調に違和感を持った。
ムスリム同胞団が真に民主的に民衆を代表し、
民衆の要求に応えてきたようには見えなかったからだ。
2200万のムルシ退陣の声という「路上民主主義」は、
形としては「軍によるクーデター」で現実のものとなった。
この上は、政変の中身を本物の「民主革命」にすることによって、
彼らが言うところの「エジプト第二革命」と、
胸を張って言えるものにしてほしい、そう願った。
そのためには、軍・暫定政権側と同胞団・モルシ派が歩み寄り、
同じテーブルに着くことが必要だ。
対話の呼びかけや、同胞団の穏健派若者層の座り込みからの離脱など、
包摂に向けての動きがあると、それらに望みをつないできた。
けれども、そんな願いや望みは、
利害の部外にいる第三者の身勝手な思い入れに過ぎない。
エジプトで政変が起きたと知ったとき、
2011年の「1月25日革命」の最終的な勝者が同胞団になったように、
今度もまた若者たちや民衆が政治の中心から周辺へと押しやられ、
革命の主要な部分は軍に乗っ取られてしまうのではないか、
という危惧を抱いた。
私が勝手な希望的予想と危惧の間をゆれている間に、
「民主/民衆革命」は、結局、軍と同胞団という、
二つの大きな政治組織の権力争いとなってしまった。
軍が圧倒的な勝利をおさめたのは見ての通りだけれど、
では、朝日新聞の川上さんの当初からの主張のように、
これは「民主革命」の後退、あるいは敗北なのだろうか?
それにはやはり、1.25革命とその後の民主化プロセスが、
真に民主的でなければいけない。この思いに変化はない。
しかしここにきて、新たな疑問が浮かんでいる。
そもそも1.25革命は、本当に「民主革命」だったのだろうか。
実は、しばらく前に読んだこの記事が、ずっと引っかかっていた。
私たちが使う革命やクーデターと、
エジプトの人たちが用いるそれらを意味する言葉の差異を突いて、
非常に考えさせられるものだ。
・【イスラーム世界は今】 アラブ民衆は、民主主義を望まない?
(Asahi 中東マガジン 9/3)
アラビア語で革命を意味する「サウラ」は、もとは「蜂起」を指す言葉で、
ゆえに、1.25革命とは人々が蜂起した日である1月25日から名付けられた。
政権が倒れ、革命が成就した日(ムバラクの退陣した2月11日)ではない。
「第二革命」も「6月30日のサウラ」と呼ばれるが、
これも「蜂起」の意味で用いられている。
またこの「サウラ」は、かつて、
軍事クーデターで政権を転覆した際にも用いられ、
「自分たちの行動を自賛して「革命(サウラ)」と呼ぶこと」が、
「通例」となっていた、という。
このような点から小杉泰氏は、「6月30日のサウラ」は、
「軍部の政治行動を正当化するかつての「革命」の語法を復活」させたのか、
と問うている。
2011年革命の参加者の中には、シーシ総司令官が率いる体制を「反革命」と断じる派もある。「革命的社会主義者」と名乗る人びとは、8月14日の声明で 「我われはムルシ政権にも反対したが、現在の流血の軍事支配も認めない。反革命の指導者シーシを打倒せよ」と主張している。
実際のところはごく少数派で、今時のアラブ世界で「反革命」というような語に敏感に反応する人びとはほとんど見当たらない。ムルシ支持派は、軍部やその支持者を「クーデター派」と呼んで、拒絶してきた。クーデターを意味するアラビア語「インキラーブ」は、回天、政権転覆などを含意し、「革命」の意味で使われることもある。
エジプトでは「反革命」という言葉自体が流通していないのだ。
また、フランス語が語源のクーデター coup d’ E’ta は、
イタリア語だと corpo di stato 、英語ではそのまま使われている。
直訳すると「国家への一撃」となる。
政権内部からの非合法の軍事力による政権転覆、という解釈でいいだろう。
だがこれも、アラビア語の語法では微妙にずれているように思う。
いずれにしろ、「革命」や「クーデター」を意味するアラビア語は、
私たちの語法と違う用いられ方をしている。
とすれば、欧米日のジャーナリストたちは、
土台となる言葉の認識のずれの上に記事を書いてきたことになる。
私の考察も同様ではあるけれど、
考えてみたら、これはとんでもないことである。
もうひとつ、反モルシ派の中の若者組織の一つ「タマッルド」について。
(タマッルドとは)革命/蜂起を指す「サウラ」に似ているが、非なるものである。アラビア語の政治的語彙の中に、「反乱」を美化する用法はこれまでなかった。
この語を聞いた時、私は中国の文化大革命の時の「造反有理」を思い出した。「体制に逆らうことに理がある」という意味で、「タマッルド」を「造反」と訳すことも可能かもしれない。6月に巨大な「反乱/造反」をぶつけられたムルシ政権には、困惑した様子がうかがえた。イスラーム政治の伝統では、そしてそれを継承するムスリム同胞団では、「指導者に従う」ことが大事な原理の一つとされる。ましてや、国民の選挙で選ばれた指導者である。
「なぜ、従わないのか」、否、従わないどころか堂々と「反乱/反抗」を掲げるとは何事か、承服できないと思ったであろう。
とすると、私たちが使っている「革命」は、語法的には、
「サウル」ではなく「タマッルド」のほうに近いのかもしれない。
が、若者たちの新しい語法はどの程度市民権を得ていたのだろう。
ムルシ政権が困惑したということは、少なくとも、
同胞団には伝わっていなかったということだ。
もしかしたら同胞団は、若者たちの示威行動を、
「民主革命」や「民主化」要求とは、捉えていなかったのではないか。
こうして見てきた中で、「民主主義」を訴えるスローガンや語彙が希薄であることに驚く。私たちは「アラブ民主化」と括っているが、エジプトやアラブの人びとは、本当に民主主義を望んでいるのであろうか。
ここに、「民主革命」や「民主化」要求という意識を持っていたのは
一部の若者たちだけで、もしかしたらデモに集結した広範な層には、
そのような意識は希薄だったのかもしれない、という仮説が成り立つ。
同胞団は、選挙で選ばれたという「正当/正統性」を掲げて徹底抗戦した。
私はそこに、ジハードや殉死という言葉が出てくることに、
民主主義とは相いれないものを強く感じた。
民主主義は民衆の「ノー」によって審判されるものだ。
たとえ選挙で選ばれた政権であっても、
2200万の署名の意味を真摯に受け止めるのが民主主義だろう。
とすればまず最初に、モルシ政権は、
政権内改革を検討すべきだったのではないか。
どこに落としどころを見つけるかを探り合い、そのうえで、
いずれもが何かを譲り合って合意に至る、あるいは、
その過程でもう一度選挙にもっていく、というのが民主主義だろう。
決して、人々の素朴な信仰心に付け込んで、
捨て駒のように武力弾圧の最前線に立たせることではない。
もちろん、治安部隊によるデモ隊の武力排除は、
決して許されるものではないし、認めることはできない。
けれどもそこに、同胞団側の責任が一切ないかと言えば、私は違うと思う。
彼らは自分たちの支持者を、死なせずにすますこともできたはずだ。
民主主義では、信頼を失ったら野に下り、次の機会を待てばいいのだから。
同胞団には、200万ともいわれる団員と、広範な支持層があった。
積み重ねてきた草の根の、貧困層救済の活動があった。
慈善活動の恩恵は、多くの人が身に染みてわかっていたはずだ。
その遺産を、もっと大事にしてほしかった。
モルシ政権は、同胞団結成85年を経て、はじめての政治的勝利であった。
その勝利を二度と手放したくないと思ったのなら、
それが彼らの敗因だったのかもしれない。
一方で、同胞団の徹底抗戦に感じたのと同様に、
軍・暫定政権による徹底弾圧と、
そのことに対する民衆の支持に対しても、違和感があった。
暫定政権は同胞団=テロ組織だと、大々的にプロパガンダを流した。
人びとは、一年前に自分たちが一票を入れた組織をテロ集団だと、
本当に信じたのだろうか。
彼らにとっては、目の前で行われている権力闘争の、
勝ち馬に乗ることだけが重要であるように見える。
「民主革命」と呼ばれた革命の「民主性」は、
どこに行ったのだろう。
若者たちの「タマッルド」が望んだものも、本当に、
政権運営に一度失敗した同胞団の、完全な消滅なのだろうか。
小杉氏は最後に、「民主主義を通した社会主義はできなかった」
というチリのアジェンデ政権を引き合いに出し、
「アラブ諸国では、民主主義を通したイスラーム政権はありえないのか」
と問うている。
私は、エジプトには、欧米日のマスコミが言う「民主主義」とは違う、
イスラムの「民主主義」が必要なのではないか、
この二年半も、6月からの混乱も、
すべてこの「イスラム民主主義」の獲得のための苦闘なのではないか、
と思ってきた。
小杉氏の指摘は、ある意味ではこのことの証のようにも思える。
が、彼らの言う「民主主義」は、語法的に、
欧米日だけでなく、私の言う「民主主義」とも、
大きくずれているのかもしれない。
ところで、小杉氏は、
「アラブ諸国では、民主主義を通したイスラーム政権はありえないのか」
と、アラブ諸国をひとくくりにして問いを立てている。
ただし、トルコ以外には、と限定して。
トルコは、ケマル・アタチュルクによって、
上からの民主化と政教分離を成し遂げた国だ。
ということは、アラブ・イスラム世界の民主化は、現段階ではまだ、
上からのアプローチによってしか成し遂げられないのだろうか?
というもう一つの問いを生む。
この問いは、シリアの混迷にも当てはまるような気がしている。
【追記 9/25】
エジプトの社会連帯大臣は24日、判決は1審裁判所のそれであり、最終的に判決が確定するまでは、同胞団の解散は延期すると発言したとのことです。
・同胞団解散命令の延期
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