「慰安婦問題」についてのこの記事は、
日本の取るべき態度はまさにこれだ!と、深く頷けるものだ。
こういう視点がもっと語られるべきだし、
その意味で、もっともっと読まれるべき記事だと思う
が、ツイート11、FBおすすめ18 (9/17 14:00時点)。
・ 従軍慰安婦問題と日米関係、一つの提言 (2013.8.10)
一方、産経ニュースの9/16付けの記事は、ツイート4,228、FB6,079。
・河野洋平氏を提訴へ 「国民運動」談話撤回求める署名も3万超
もう唖然とする内容で、いちいち論評する気にもならない
(リンクを張る気にもならない)。
河野洋平提訴って、そもそも個人としての発言ではないだろう、
というのもあるけれど、
この主張も産経の「慰安婦問題」に対する一貫した姿勢も、
私には常軌を逸しているとしか見えない。
一つだけ、はっきりと言えることは、
彼らが取り戻したがっている日本の威信は、
こういう行為によってますます貶められる、ということだ。
威信を失墜させたとする批判が、事実の捻じ曲げと論理矛盾、
さらに人権感覚の(世界標準との)大きなずれによって構築されているがゆえに、
更に威信を失墜させる行為となっているという自己矛盾。
本当に日本が尊敬に値する国になるために、
冷泉さんの提言を、胸に手を当てて、よーく考えてみようよ。
従軍慰安婦問題ですが、アメリカのいくつかの州議会で「非難決議」がされたり、慰安婦像や記念碑が建立されたりしているのは事実です。
こうした「決議」や「記念碑」という問題があってもアメリカの世論における対日感情が悪化しているということは「全くない」と言っていいと思います。
では、この問題に関しては、騒いでいるのは「韓国系の活動団体」とそれに反対する「日本の右派」だけであって、アメリカのメインストリームの世論に関しては「心配ない」と考えていいのでしょうか? 当面はそうだと思います。ですが、こうした問題提起が今後も続いて、それに対する日本の政界の反応が「間違って行く」ということが重なって、ある臨界点を超えるようですと問題になることもあり得ます。
「間違って行く」とは、たとえばあの橋下発言。
そして、産経の記事にあるような動きのことだ。
彼らには、何が問題で、どこが「臨界点」かがわかっていない。
では、何が問題であって、何が問題でないのでしょうか? この点に関しては、そんなに複雑な話ではありません。
アメリカの政府も世論も、かつての日本という存在は、真珠湾を攻撃してアメリカに挑戦してきただけでなく、その後3年半にわたる熾烈な戦いの期間を通じて明らかに「最も忌まわしい敵」であったということは記憶しています。ですが、それは「古い日本」であって、戦後の「新しい日本」というものは、アメリカにとっては最も近く、最も親しみのある友好国だというのが共通理解になっています。
その「悪しき古い日本」と「親しみのある新しい日本」というのは、アメリカの政府と世論においては驚くほど明確に区別されています。それは、戦後において、アメリカが日本を占領し支配する中で、日本を変えることに成功したという 「手前味噌」で言っているという面は驚くほど少なく、むしろ戦後の日本が振舞ってきた平和志向の行動パターンや、ソフトパワーのためだと思います。
アメリカの政府と世論にとっては、「古い日本」の悪い面が明らかになるということは別に驚くに値するわけではないし、それによって「現在の新しい日本」に対して悪感情を抱くということもありません。「新しい日本」と「古い日本」はハッキリと区分けして考えられているからです。
問題は、「現在の新しい日本」に属している、あるいは責任のある立場にある人物が「古い日本」の名誉回復を志向したり、「古い日本」と同様の「悪しき価値観」を持っているという場合です。……基本的に不愉快であり、と同時に「理解できない」という距離感を持ってしまうわけです。
従軍慰安婦の問題は正にこのパターンに入ってきます。首相に再度就任する前の安倍首相が「河野談話の見直し」に熱心であったことはワシントンでは有名であり、現在でも警戒感を持たれているのはこのためです。 そこには「新しい日本」と「古い日本」の区分けがされていないからです。また橋下発言が激しい反発を呼んだのも同じ理屈です。
この問題に関しては、朝鮮半島における慰安婦の「募集」というのが「狭義の強制」、つまり軍や警察が「嫌がる女性やその家族を銃剣で追い立てて」集めたという「事実はなかった」という「事実関係の訂正」を行うべきだという立場があります。日本の保守派というグループはこの「訂正」を行うことで「名誉回復」 をするということに大きな関心を払って来ました。
ですが、こうした運動には二つの問題があるわけです。一つは、ここまで申し上げてきたように「悪しき過去の名誉回復」を「現在の新しい日本」が行うことが「どうして必要なのか?」という困惑があります。
そしてもう一つは「狭義の強制はなかった」という訂正は、「広義の強制はあった」ということを改めて認めることになるという点です。つまり「親の借金を肩代わりに身売りと言う名の人身売買が行われた」とか「売春業者の『財産』である女性の逃亡は財産権の侵害になるという理由で警察が妨害した」とか「安全確保を口実に派遣先からの脱走・逃亡は軍によって禁止された」という「事実」を「こっちが正しかったのです。良く理解して下さい」とアピールしても、「そんな非人道的なことを制度として認めていた社会の名誉をどうして認めなくてはならないのか?」という、より一層の困惑を引き起こすだけだということです。
ということは、この問題に関して「狭義の強制」はなかったが「広義の強制はあった」ということを、いくら声高に叫んだとしても日本のイメージについては、全く改善にはなりません。
まず、「古い日本」と「新しい日本」を切り分けて考えること。
この点に関して、今年6月のニュースが思い出される。
ケニアの元独立運動家が、植民地時代に受けた拷問などに対して、
イギリスを相手に起こした裁判についてのもの。
「ヘイグ英外相は6日、原告らに対して遺憾の意を表し、
5200人以上の被害者に計1990万ポンド(約30億円)を支払うと発表した」
(朝日新聞新聞 6/8)
その時の外相の議会での答弁が、過去と現在を切り分け、
未来のために過去にどう向き合わなければいけないかの、
お手本のようなものだった。
ヘイグ氏は議会で、「ケニア人が植民地の行政当局から拷問や虐待を受けたことを認める」「虐待が起きたことを心から遺憾に思う」と表明。今の英政府に法的責任はないと強調した上で、補償を決めた理由について「現在と将来のケニアとの関係を過去によって曇らせたくない」と述べた。
日本の政治家からも、こんな見事な言葉を聞きたいものだ。
冷泉さんの指摘からも、このヘイグ氏の発言からも、
「強制性の有無」に対する拘泥や「河野談話否定」が、
いかに焦点のずれた子供じみたものであるかがわかるだろう。
冷泉さんの、日本の悪しき過去によって、
現在の日本のイメージは損なわれていない、は、
とても重要な指摘だ。
つまり、「慰安婦問題」で今の日本の威信が損なわれている、
という認識そのものが、そもそも被害妄想の誤ったものであること。
そしてもう一つ、日本のイメージが悪化するのは、過去ではなく、
現在の振る舞いによってだけである、という点だ。
このことは、「慰安婦問題」だけでなく、
日中、日韓の友好信頼関係を築くうえで、
双方が前提としてよって立つ地点でもある。
さて、では日本はどうしたらいいのか。
冷泉さんの記事に戻ろう。
一つの提言をしたいと思います。それは「古い日本」の名誉回復をするのではなく、「現在の日本」の名誉を高める、いや名誉だけでなく実質的に社会を良くしていくということです。そして、この場合は「女性の人権」あるいは「女性の名誉」を改善するということを、改めて国策として打ち出していくのです。
そこには2つの問題を含めて行くべきと思います。一つは、過去の「慰安婦問題」の背景にある「管理売春という事実上の人身売買」を成立させていた風土を根絶するために「トラフィッキング(売春目的での人身売買の根絶」ということについて、アジアで最も進んだ国にするということです。
この問題に関しては、アジアから日本に入国した女性たちが人身売買さながらの身体的な拘束を受けていることが国連や米国国務省などから問題視されています。
(日本人女性に対しても同様に)暴力団に関係するような金融業者が、多額の債務を負った女性を「自己破産させないように脅し」て「結果的に風俗業に従事するように仕向ける」というような、現在では法の網に引っかからないような事象も、徹底して取り締まれるように必要なら法改正も行なって取り組むのです。
そのように「現在のトラフィッキング」を徹底して問題視していく視点の延長上で、改めて「広義の強制」がされた「過去の大規模なトラフィッキング」事例としての従軍慰安婦問題を捉えることができるように思います。「新しい日本」というのは「古い日本」とは「国のかたち」が違うので、「謝罪」の主体にはなりませんが、被害者には限りない同情を寄せつつ、過去の悪質な事例として記憶してゆく、そのような姿勢を国策としていけば良いのだと思います。
二番目には、社会における女性の参画をもっともっと徹底していくということです。そして、その延長上で「アジア的な少子化現象の克服という問題でのフロントランナー」になるということです。
この2つの問題で、日本は全く見違えるように変わったということになれば、その段階においては「慰安婦の問題」は現在形の問題ではなくなります。もっと言えば「新しい日本」としては、国際社会から非難されるような「隙(スキ)」はないことになります。そうなれば、韓国の一部の団体などが「過去の日本と現在の日本」をゴチャ混ぜにして「現在の政府による公式謝罪や公費での救済をせよ」というような主張をしても、事実上そうした主張は宙に浮くことになると思います。
冷泉さんの、特に最初の提言については、慰安婦問題とは別に、
もっと真剣に考えなければいけないと思っている。
橋下発言の底に見えるのは、
私たちの社会が、性風俗産業や売買春に対して、
女性に対する人権侵害に対して、とても甘い社会であるという事実だ。
その緩やかなコンセンサスの上に、橋下発言や、
「強制性の有無」発言が乗っているのだ。
暗澹たる気持ちになるのは、件の産経の記事でもそうだけれど、
多くの女性が、「強制性の有無」に与して、
自国の名誉を回復したいと訴えていることだ。
「慰安婦問題」は日本が韓国に対して行ったというだけでなく、
自国の女性に対しても行ったものなのだ。
人身売買と性的な搾取は、占領下の日本にもあった。
そして今もある。
自らの性が売買と搾取の対象であった/あることを見ず、
売買と搾取を行ったものを擁護・正当化するということに対しての、
あまりの無自覚さとナイーブさ。
この視点を欠いた、「他国もやっていた」批判は、
滑稽を通り越して哀しくすらある。
冷泉氏も最後に、ダメ押しのようにもう一度言う。
いずれにしても、改めて申し上げますが「狭義の強制はなかった。銃剣を突きつけて連行はしなかった。我々の先人がやったのは広義の強制であり、ただカネで人身売買をやっていただけだ。その点をどうか正確に理解して貰いたい」などという言動が、国の威信を高めることになるというのは、全くの勘違いなのです。
9/26 追記「慰安婦問題」が日本に問う「理念」
はてなブックマークを見ていたら、冷泉さんの他の記事を見つけた。
内容的には8月のJMMの記事と同じ主張だけれど、
同じことも少し違う言い方をされると、より分かりやすかったりもする。
”私は…「軍による強制連行はなかった」という立場を取ります。”
というのには驚いたけれど(もっと違う資料も読むべきだし、
少なくとも以下のような事実認識–従軍慰安婦 強制連行はなかったのか—
は欲しい)、そうであっても同じ結論になっているというのは、
論の構造が柱から何からしっかりしているからだろう。
・従軍慰安婦問題、いわゆる「河野談話」の訂正は可能か?
(Newsweek 1/7)
・上記記事のブックマークコメント
もう一つは橋下発言に関して。
1月に書かれた上記の記事を踏まえて、
アメリカがなぜこの発言を問題視するのか、
国内では(一部の人には)通るかもしれない歪曲した理屈は、
世界の歴史的な文脈の中でも、人権感覚から見ても通らない、
通らないどころか逆効果であり、問題を別の次元に引き上げてしまう、
ということを的確に分析している。
・「橋下発言」はアメリカからどう見えるか (Newsweek 5/16)
・上記記事のブックマークコメント
実は冷泉氏は、1月の記事でこのように書いている。
私は「談話の修正」には消極的な立場です。それは「事実誤認を放置する方が、問題を蒸し返すデメリットよりまし」という計算だけではありません。旧軍に対して過剰なまでに「名誉回復」を追求するという姿勢を続けることは、まるで日本の「国体=国のかたち」が戦前戦後で同一であるような誤解を与えるからで す。そうなれば、「現在の日本も軍国日本と同一の枢軸ファシスト」だなどという、中国などの理不尽な批判を勢いづかせることになるからです。
つまり、政治的戦略的にも「談話の修正」など持ち出さないほうが、
むしろ日本の利となるのだ、と。
が、この記事の数か月後には橋下発言があり、高市コメントがあり—
現在の事態は、この欄で過去に申し上げた「管理売春は現代の基準では性奴隷」という指摘、また「国境を越えたコミュニケーションでは理念型の発信しか通用しない」というコメントが生かされなかった点、何とも残念に思います。
いずれにしても、今回の一連の経緯により、売買春に関する価値観という問題と、第二次大戦の評価という問題で、日本という国のイメージは大きく傷ついてい ます。
この後、アメリカでは日本に対する「非難決議」が出されたり、
慰安婦像が設置されたりした。
という経緯を経て、8月のJMMの記事が書かれたのだ。
そして冷泉氏は、あの記事で、今のところアメリカの動きはローカルなもので、
全国レベルで問題化しているのではない、ただし、
言動を誤ったり、臨界点を超えると大きな問題になりますよ、と、
再再度の警告を発したのだ。
ことは日本と韓国の間の、過去の侵略戦争の謝罪や保障の問題を超えて、
国際社会のなかで、現代の日本が
どのような人権意識と政治理念を持った国なのか、
という問題に繋がっていく。
いや、すでに繋がってしまっている、ということだ。
そして、もう一度肝に銘じなければいけないのは、
「国境を越えたコミュニケーションでは理念型の発信しか通用しない」、
という冷泉氏の指摘だ。
橋下発言の「ぶっちゃけ本音の風俗利用」も、
「みんなやってたじゃないか」も、
「慰安婦じゃなくて売春婦だった」も、
「慰安婦には日本人もいたしオランダ人もいた」も、
もちろん「強制性はなかった」も、「理念型の発信」の対極にある。
どれも現代の人権意識からすれば断罪もので、
「だから許される」と開き直れるものではない、ということ以上に、
この手の発言が国際的な問題に対して為されること自体、
大きく的をはずしている、ということ。
もう一つ、冷泉氏は触れていないけれど、
大事な人権感覚を指摘しておこう。
もしそこに、被害を受け、傷ついた人がいるのなら、
何よりもまず、その人は救済されなければならない、というものだ。
これが現代の国際的「理念」なのだ。
2014.9月~ 追記
同じ文脈で、冷泉さんが一年後にも書いている。
・朝日「誤報」で日本が「誤解」されたという誤解 | 冷泉彰彦 | コラム&ブログ | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト (Newsweek 冷泉彰彦 2014.9/18)
その冷泉さんの記事を受けて。
・「誤解」を解く 「枢軸国日本」と一線を 小熊英二
(朝日デジタル 2014.10/14)
が、日本政府はあいもかわらずことの本質を全く見誤った方向で、自ら日本の国益を更に失おうとしている。
慰安婦問題、引き続きこちらにブックマークしています。
・ブックマーク / 慰安婦問題 by vaivie
こんなのもあったので、メモ。
・オランダ、インドネシア住民に謝罪 独立戦争中の虐殺 (朝日新聞 9/13)
http://digital.asahi.com/articles/TKY201309130005.html
冷泉氏と管理人様のご意見というのは、つまるところ、これまでの外務省の対応と何ら変わるところはないように拝見いたしました。
保守派の見解は「歴代日本政府が主張すべきことを主張してこなかったから現今のような状態に陥ってしまったのだ」というものだと思いますが、管理人様や冷泉氏は、まさにその「保守派の動きや言動が米国の反発を誘発しているのだ」と言っているわけですね。
俄かに納得できません。
日本は米国にとっての最大の同盟国です。
ならば、自国の主張をはっきりしていくことこそが将来にわたる友誼となるのではないでしょうか?
「自国の主張をはっきりしていくこと」は大事ですが、冷泉氏の指摘は、問題はその中身だよ、ということですよね。
冷泉氏のもう一つの指摘、日本が過去と現在をごちゃまぜにしているのが、アメリカや、ひいては欧米世界には理解しがたいのだ、というのが、私はとても重要だと思います。はっきりと切り分けた対応をせず、過去の名誉の回復を(しかも現代の人権感覚からは回復不能な理屈で)主張すれば、過去と同じような「悪しき国」だと思われてしまう。だから、「現代の人権感覚からは回復不能な理屈」を主張すればするほど、それが目に余るものになればなるほど、反対決議のような動きが出てくるのです。
「なぜ日本だけがずっと責められなければいけないのか」、というのもあるかとは思いますが、でも、責められているのは過去であって現在ではない。
ただし日本人には、このことの理解は、アメリカ在住の冷泉氏や、欧米の人のようには簡単ではないだろうとも思います。たぶん韓国の人にとっては、さらに難しいでしょう。
日本とおなじような精神風土、つまり心的な世代を超えた連帯責任意識があり、あるいはさらに特徴的な「恨」というようなメンタリティーがあり(単なる「恨み」というようなものではないようです)、かつ、彼らは被害者だったからです。
でも、だからこそ、互いに過去と現在を切り分けていく方法や、成熟した関係を模索すべきだと思います。
ここで思うのですが、台湾はとても親日的ですよね。3.11の義援金は群を抜いていましたし。また、第二次世界大戦で日本が占領したインドネシアやフィリピンとの間には、あまり軋轢がありません。これらの国との関係は、過去は過去、今は今、今と未来を大事にしていこう、というような成熟したものに見えます。彼らとの間にできたのなら、韓国との間にもできるのではないでしょうか。
より身近で、より戦略的に重要な隣国との関係を、より良好なものにしていくことは、日本の国益のためにも大事です。「保守派」とおっしゃられるのがどのような人たちのことかわかりませんが、「保守派」にこそ、感情論ではなく、真の国益のために、過去の問題を乗り越えていくような、21世紀の世界標準である英知に満ちた言動を期待しています。
冷泉氏と管理人様のご意見というのは、つまるところ、これまでの外務省の対応と何ら変わるところはないように拝見いたしました。
保守派の見解は「歴代日本政府が主張すべきことを主張してこなかったから現今のような状態に陥ってしまったのだ」というものだと思いますが、管理人様や冷泉氏は、まさにその「保守派の動きや言動が米国の反発を誘発しているのだ」と言っているわけですね。
俄かに納得できません。
日本は米国にとっての最大の同盟国です。
ならば、自国の主張をはっきりしていくことこそが将来にわたる友誼となるのではないでしょうか?
「自国の主張をはっきりしていくこと」は大事ですが、冷泉氏の指摘は、問題はその中身だよ、ということですよね。
冷泉氏のもう一つの指摘、日本が過去と現在をごちゃまぜにしているのが、アメリカや、ひいては欧米世界には理解しがたいのだ、というのが、私はとても重要だと思います。はっきりと切り分けた対応をせず、過去の名誉の回復を(しかも現代の人権感覚からは回復不能な理屈で)主張すれば、過去と同じような「悪しき国」だと思われてしまう。だから、「現代の人権感覚からは回復不能な理屈」を主張すればするほど、それが目に余るものになればなるほど、反対決議のような動きが出てくるのです。
「なぜ日本だけがずっと責められなければいけないのか」、というのもあるかとは思いますが、でも、責められているのは過去であって現在ではない。
ただし日本人には、このことの理解は、アメリカ在住の冷泉氏や、欧米の人のようには簡単ではないだろうとも思います。たぶん韓国の人にとっては、さらに難しいでしょう。
日本とおなじような精神風土、つまり心的な世代を超えた連帯責任意識があり、あるいはさらに特徴的な「恨」というようなメンタリティーがあり(単なる「恨み」というようなものではないようです)、かつ、彼らは被害者だったからです。
でも、だからこそ、互いに過去と現在を切り分けていく方法や、成熟した関係を模索すべきだと思います。
ここで思うのですが、台湾はとても親日的ですよね。3.11の義援金は群を抜いていましたし。また、第二次世界大戦で日本が占領したインドネシアやフィリピンとの間には、あまり軋轢がありません。これらの国との関係は、過去は過去、今は今、今と未来を大事にしていこう、というような成熟したものに見えます。彼らとの間にできたのなら、韓国との間にもできるのではないでしょうか。
より身近で、より戦略的に重要な隣国との関係を、より良好なものにしていくことは、日本の国益のためにも大事です。「保守派」とおっしゃられるのがどのような人たちのことかわかりませんが、「保守派」にこそ、感情論ではなく、真の国益のために、過去の問題を乗り越えていくような、21世紀の世界標準である英知に満ちた言動を期待しています。
最初に小生が冷泉氏のこの種の言説を目にしたのは、媒体は忘れましたが橋下発言のすぐ後でした。
橋下氏の発言の中には確かに女性差別と受け取られるような問題のある部分もありましたが、しかし主には米軍を貶め日米関係に水をさす配慮のない発言をした事を受けての冷泉氏の意見なのだろう、というふうな理解をして深く考えずに読み飛ばしておりました。
冷泉氏の著書「民主党のアメリカ~}をかつて読んでいて、私自身の米体験からくる感じといささか違う事、何やらソフトパワー重視の比喩、抽象的で観念的な記述がしっくりこず、正直言ってあまりいい評価はしておりませんでした。
今回、ブログ主様のおっしゃるように「胸に手を当てて、よーく考えてみ」、ニューズウイーク掲載部分まで繰り返し読みましたが、読み返せば読み返すほど、そこには誤謬もあり本質をずらし、結論からロジックを組み立てたような印象すら受けるのです。
ブログ主様は人権(特に女性の人権についてでしょうか)について一方ならぬ細心を砕いておいでの方と察しますが、まず第一に冷泉氏は果たしてブログ主様と同様の視点をどれだけ持っているのか、小生は懐疑的です。
文章は批判的に読めば、いくらでも批判出来るものです。
でもこの論は実にタチが悪いと思うのです。
日米関係を良好に保つことをのみを第一とし、腐心した結果の産物といえるんじゃないでしょうか。
小生は「人権」に関しブログ主様ほど「進歩的」といいましょうか、啓蒙的な考えにはまだ至っておりませんし、人権の亢進は後退が効かないだけに慎重であるべき、という立場ですが、違う考えでも少なくとも聞く耳は持つものです。
>もしそこに、被害を受け、傷ついた人がいるのなら、
何よりもまず、その人は救済されなければならない、というものだ。
これが現代の国際的「理念」なのだ。
と、はっきり信念的直線的にに言われれば、それはそれでそういう人の役割もあると思うし、かえって気持ちの良いものです。
しかし、冷泉氏の論はそういう率直さとも無縁ではないでしょうか。
流麗なロジックで総花的な華やかさはあるが、本質は日米関係でしょう。
冷泉氏を取上げた貴ブログでは当然賛否両論があり、もっとコメント欄がにぎやかなものと思って久しぶりに訪ねてまいりましたが、皆さんどう思っておいでなのでしょうね。
小生自身は、いわゆる保守派とよばれるものではないと思っていますが、保守的な人間であると自覚はしていますので、そういった立場からこれからブログ主様と親しく討論してみたいのですがいかがでしょうか?
山路様
当ブログはそもそも読者が少ないこともあり、ひっそりしておりますが、
山路さんには何度もおいでいただき、ありがとうございます。
冷泉さんをあまり買っておられないとのこと、
そういうご意見もあるだろうな、と思います。
この件に関して私が読んだいくつかの記事にも、あれ? という箇所もありましたし。
実は冷泉氏に関しては、私は著作も他の記事も読んでおりませんので、
あくまで慰安婦問題に関して読んだ範囲での記述です。
ただ、私が冷泉氏を取り上げたのは、ことが二国間の過去の問題ではなくなってしまった今(双方が慰安婦問題に対して国際社会に向けて発言・行動するようになった今)、国際社会では感情論やぶっちゃけ本音ではなく、理念で主張しなければ理解されないという指摘や、日本が国際社会で敬意をもって見られる存在になるためには何が足りなくて何が必要か、今後の取り組みまで含めた提言がされているのが意味深いと思ったからです。
ですので、「討論」などという立派なものができるとは思えませんが、私のつたないつぶやきに関しての感想やご意見などありましたら、どうぞお書きください。
山路さんは冷泉さんの本も読み、広く様々な問題を考えおられるようですので、きっとそのあたりはご自分のブログ等でお書きになっていることと思いますが、最近の日本は、このような自由な言論や情報に対する国民の主権を奪おうとする動きがあるようで、そのことが危惧されてなりません。この動きもまた、国際社会から懸念を持って見られているようですし…。
最初に小生が冷泉氏のこの種の言説を目にしたのは、媒体は忘れましたが橋下発言のすぐ後でした。
橋下氏の発言の中には確かに女性差別と受け取られるような問題のある部分もありましたが、しかし主には米軍を貶め日米関係に水をさす配慮のない発言をした事を受けての冷泉氏の意見なのだろう、というふうな理解をして深く考えずに読み飛ばしておりました。
冷泉氏の著書「民主党のアメリカ~}をかつて読んでいて、私自身の米体験からくる感じといささか違う事、何やらソフトパワー重視の比喩、抽象的で観念的な記述がしっくりこず、正直言ってあまりいい評価はしておりませんでした。
今回、ブログ主様のおっしゃるように「胸に手を当てて、よーく考えてみ」、ニューズウイーク掲載部分まで繰り返し読みましたが、読み返せば読み返すほど、そこには誤謬もあり本質をずらし、結論からロジックを組み立てたような印象すら受けるのです。
ブログ主様は人権(特に女性の人権についてでしょうか)について一方ならぬ細心を砕いておいでの方と察しますが、まず第一に冷泉氏は果たしてブログ主様と同様の視点をどれだけ持っているのか、小生は懐疑的です。
文章は批判的に読めば、いくらでも批判出来るものです。
でもこの論は実にタチが悪いと思うのです。
日米関係を良好に保つことをのみを第一とし、腐心した結果の産物といえるんじゃないでしょうか。
小生は「人権」に関しブログ主様ほど「進歩的」といいましょうか、啓蒙的な考えにはまだ至っておりませんし、人権の亢進は後退が効かないだけに慎重であるべき、という立場ですが、違う考えでも少なくとも聞く耳は持つものです。
>もしそこに、被害を受け、傷ついた人がいるのなら、
何よりもまず、その人は救済されなければならない、というものだ。
これが現代の国際的「理念」なのだ。
と、はっきり信念的直線的にに言われれば、それはそれでそういう人の役割もあると思うし、かえって気持ちの良いものです。
しかし、冷泉氏の論はそういう率直さとも無縁ではないでしょうか。
流麗なロジックで総花的な華やかさはあるが、本質は日米関係でしょう。
冷泉氏を取上げた貴ブログでは当然賛否両論があり、もっとコメント欄がにぎやかなものと思って久しぶりに訪ねてまいりましたが、皆さんどう思っておいでなのでしょうね。
小生自身は、いわゆる保守派とよばれるものではないと思っていますが、保守的な人間であると自覚はしていますので、そういった立場からこれからブログ主様と親しく討論してみたいのですがいかがでしょうか?
山路様
当ブログはそもそも読者が少ないこともあり、ひっそりしておりますが、
山路さんには何度もおいでいただき、ありがとうございます。
冷泉さんをあまり買っておられないとのこと、
そういうご意見もあるだろうな、と思います。
この件に関して私が読んだいくつかの記事にも、あれ? という箇所もありましたし。
実は冷泉氏に関しては、私は著作も他の記事も読んでおりませんので、
あくまで慰安婦問題に関して読んだ範囲での記述です。
ただ、私が冷泉氏を取り上げたのは、ことが二国間の過去の問題ではなくなってしまった今(双方が慰安婦問題に対して国際社会に向けて発言・行動するようになった今)、国際社会では感情論やぶっちゃけ本音ではなく、理念で主張しなければ理解されないという指摘や、日本が国際社会で敬意をもって見られる存在になるためには何が足りなくて何が必要か、今後の取り組みまで含めた提言がされているのが意味深いと思ったからです。
ですので、「討論」などという立派なものができるとは思えませんが、私のつたないつぶやきに関しての感想やご意見などありましたら、どうぞお書きください。
山路さんは冷泉さんの本も読み、広く様々な問題を考えおられるようですので、きっとそのあたりはご自分のブログ等でお書きになっていることと思いますが、最近の日本は、このような自由な言論や情報に対する国民の主権を奪おうとする動きがあるようで、そのことが危惧されてなりません。この動きもまた、国際社会から懸念を持って見られているようですし…。