丹羽前中国大使のことなど

最近privatoでばかり書いている。
そのなかから、一部ピックアップしておきたいもの。

大使車襲撃、その時…  (丹羽宇一郎氏の経営者ブログ)

丹羽さんは、英紙に「仮に石原知事の計画どおりにやれば、
日中関係は重大な危機に遭遇するだろう」と語ったことで、
ずいぶん批判されて、それでやめさせられてしまった。
私は丹羽さんの言う通りだと思っていたから、更迭はすごく残念だった
(この発言から始まった一連の結果に対して、
責任を問う意見というのがすごく少ないのも不思議)。

もうひとつ、「中国へのODAを増やすべきだ」との発言も、かなり叩かれたらしい。
この発言の真意は、

「日本人ボランティア70-80名が国際協力機構を通じて、二年間にわたって中国全土で日本語教師や介護支援をしている。彼らの人件費や費用が削られようとしているので、ODAを使って、日中友好の架け橋となる彼らをもっと増やしたいと思った」。
「日本人ボランティアは例外なく、涙ながらに中国人から別 れを惜しまれます。献身的に働く日本人に触れた中国人の(それまでは「日本=悪」であった)日本人観は確実に変わっているのです」。

というもの。
でも真意は伝わらず、反日に対する制裁で援助を減らすことはあっても、
増やすとはなにごとぞ、と批判された。

ただ、これらについて丹羽さんは、批判が出てきたことよりも、
それ以外の意見がほとんど出てこなかったことがショックだったと書いている。

「自由に発言できるはずなのに、自己保身なのか、個々人が自分で規制 して発言せず、自由に発言できないかのような雰囲気を作り上げているからです。誰かに批判されるからですか? 私も批判されましたよ。自宅に脅迫まがいの 電話が散々掛かってきました。これは第二次大戦前の雰囲気と似ています。ここを突破しなければ、同じことの繰り返しになってしまいます」。

ある件で批判された友人も「軍靴の足音を聞いた思い」と言ってたけど、
ネット攻撃や電話やファックスが出てくることだけが「右傾化」じゃなくて、
それらの前に口をつぐんでしまうこと、その沈黙が「右傾化」だってことだよね。

でもこの記事にはすごい救いがあって、
2000字あまりの丹羽さんの記事に、10倍以上のボリュームのコメントがついている。
ほとんどは、丹羽さんの労をねぎらい、言説に最大の敬意を払い、
その主張を支持するもの。
それからマスコミ批判も多かった。
マスコミは丹羽さんの発言の真意をしっかりと伝えていないと。

なかには、自分は中国に対してすごく腹をたてていたけれど、
丹羽さんの記事を読んで考えを改めた、ありがとうございます、なんてのもあった。

もちろん、批判的な意見もあるけれど、数にしたら二割以下。
そのなかでも、よくある短絡的なもの言い、
たとえば、日本の国益を損なったやつの話なんか聞きたくない、
こんな記事を載せるなんて日経はよほどネタに困っているのか、
この連載はすぐにやめるべきだ、といったものはごくわずか。
ここでは、そういう極論が、圧倒的なまともな意見に埋もれていて、
しかも圧倒的なまともさの前に、その思考停止ぶりが晒け出されている。

普通の国民の良識を信じてこれからも発信してほしい、というコメントや、
それから、なかなか自分の意見をこういうところで述べるのは難しい、
考えもあちこちするし、自信も持てないから、ということを、
しっかりコメントしている人もいた。

何故「Nウヨ」の声がでかく聴こえるかというと、
彼らは考えないからだよね、自分の頭で。
だからなんの検証も迷いもなく、
「日教組」「洗脳」「自虐史観」「工作員」といった言葉をがなりたてる。
がなりたてることが鬱憤晴らしでもあるから余計声がでかくなるし、
まして発言にためらいなんかない。
新聞や雑誌に「右傾化」と書き立てられりゃ、ますます図に乗るだろうし。

このことだけど、確かに右傾化はしてると思う。
でも、同時に、ほんとにそんなに「右傾化」してるのか? というのもある。
安倍さんや石原さんは前からああなんだし、
自民党支持率は比例区で(有権者の)16%にしかすぎない。
小選挙区制と、業界団体の組織票が自民党に戻ったからこんな結果になっただけで。

このことは安倍さんも自民党もわかってると思う。
「Aちゃんを守る会」なんていう輩の支持より、
「普通の国民の良識」のほうがよほど大きいってこと。

それから、彼らは右翼なのか? というのもある。
斉藤環氏が朝日で書いていたように、
「ヤンキー」というほうが当たってるような気もする。
問題は社会の「ヤンキー」化が右傾化と親和性が高いということか。

私も友人の件で、「Nウヨ」に攻撃されたくないなあ、
言動に気をつけなくちゃいけないかなあ、
日本はもう「気をつけなくちゃいけない」ってところまで来てるのがいやだなあ、
などと思ったんだけど、上記の丹羽さんの記事を再度読みに行って、
最初読んだときからコメントが3倍くらい増えてたことと、
その内容のまともさに考えを改めた。

たとえば、某嫌韓の漫画家氏も安倍批判をしてるんだけど、
動画で(ニコ動?)そういうこと発言すると、画面が批判メッセージで埋まるんだそうだ。
攻撃言葉で画面埋め尽くされたらめげるだろうし(彼はめげてなさそうだったけれど)、
じゃんじゃん電話やファックスが来たら脅威だし、
その先の心配ももちろんしなきゃいけないだろうけれど、
「気をつけ」つつも、「Nウヨ」の思考停止攻撃言語に、
それほどびびらなくてもいいんじゃないのかなって思うようになった。
思考停止攻撃言語は、もしかしたらこれから(ヤンキー化によっても)、
もっと声がでかくなるかもしれない、
そのときのためにも耐性(と覚悟)をつけとくほうがいいかも、って。

その後、こんな記事を読んだ。

日本の新内閣:未来に背を向け

英エコノミスト誌の記事で、閣僚の顔ぶれからも、
安倍内閣は危険なほど国家主義的だ、というもの。
ただ、「安倍氏は、日本の戦後構造を抜本的に作り替えたいという自らの志向を共有する人が、普通の日本人にはほとんどいないことを分かっている」と、ここでも言っている。

でもこの記事へのコメントは、丹羽さんの記事とは逆で、否定的なものが多い。
もう、「Nウヨの思考停止攻撃」とひとくくりにして無視してれば済む段階じゃないなあ、
本当はもっと本腰を入れて応対しなくちゃいけないんだろうなあ、とも思う。
とは思うけれど、やっと私は「びびらないでいよう」
「信じていよう」なんて段階。
ただうんざりげんなりするばかりで、気力はわかず、知恵も出ない。
ただただ、ああ、このままいったらダメだよ~~~と、焦燥感だけが募る。
とにかく、ウェイトは希望において、思考停止しないように、
という基調だけは押さえておこうと思う。

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