”戦後レジューム” のまま ”戦前レジューム” を志向する 「安保法制」 — 内容もだけど、決め方が最悪!

proxy-min1

明日にも採決をするという。
充分に審議を尽くしたからもういいだろう、という。
審議を尽くしたというのは予定時間を消化したということであって、熟議により内容の理解が深まった、ということではない。
それどころか、審議を重ねるほどに反対が増えている。
早く採決したいというのは、審議を尽くせば更に反対が増えかねないから、でもあろう。

それもそのはず、テレビ・新聞で見聞きする安倍政権の質疑応答には、まともな答えになっていないものが多い。
法案の具体的な姿はどんどんあいまいになっていき、
平和は遠ざかって行き、政権の信用は失われていく。
総理大臣の私が白と言ってるんだから黒いカラスも白い平和の鳩なんです、
と露骨に言われて誰が納得するだろう。
新聞・TV各社の世論調査では反対が(産経以外は)半数を超え、
説明不十分が8割にのぼっている。
それでも採決をするという。
独裁的な法案は独裁的にしか決められない。
私たちはこのやり方を目を凝らして見つめ、記憶にとどめるしかない。
これが私たちが「民主的に」選んだ政治の姿なのだ。

anpo-min
報道各社による世論調査『朝日新聞)

6月には憲法審査会で三人の憲法学者が揃って違憲との見解を示した。結構なニュースになったのは自民党推薦の憲法学者までが違憲と表明したからで、自民党からは人選ミスという言葉が聞こえてきた。ひどい話だ。(最初から結論ありきなのを)しっかりと確認せずに予定外の発言をされてまずかった、と言っているのだから。公聴会もしかり。どれだけ違憲だ反対だ慎重にと学者識者が訴えても馬耳東風。みなアリバイ証明としてやっているにすぎない。原発再稼働も、秘密保護法も同様である。パブリック・コメントなどゴミだとでも思っているのだろう。私たちは徹底的になめられている。

集団的自衛権行使容認閣議決定が、そもそも憲法違反である。内閣の暴走を国会も憲法もとどめることが出来ない。立憲主義はあのときに既に死んでいたのだ。

一年前の記事を読み返してみた。
ウソの上の集団的自衛権 — 腐った根っこから「破滅」へ ?
集団的自衛権、アメリカの戦争の検証

これらの記事に何も付け加えることはないし、差し引くこともない。
ただしこの一年で、これまであまり考えていなことまで考えるようにはなった。
日本の民主主義について。それが失われていこうとしているとして、
ではこの終わりは、いつから始まったのか。
どこまで遡ればいいのか。一年前か。
自民党圧勝選挙か。どこかに決定的な転換点があったのか。

森達也は『A』『A2』『A3』によって、オウム事件を境に日本が大きく変わってしまったことをあぶりだした。事件の後、警察権の増大と厳罰主義、監視社会、人権の後退、つまり国家による個人の管理が強化されたというのだ。1995年。あのとき「宗教テロ」を裁き、封殺するという口実で許したことが、わしたち国民の主権や人権を奪っていくことに繋がったのだろうか。そうかもしれない。

70年代には、大学紛争とその挫折があった。成田闘争も、60年代の反安保も、大学紛争が内ゲバで自滅した結果、何も継承されずに来てしまったような気がする。反安保や、打倒日帝、打倒米帝といった言葉がチラシや立て看板に踊っていた。けれどもそのことの意味は、問いかけは、時代を超えることが出来なかった。あれらの節目ごとに、私たちは大事な何かを譲り渡してしまったのだろうか。

おそらく戻らなければいけないのは、1947年の憲法が施行された日、あるいはサンフランシスコ条約によって敗戦日本が占領から独立を果たし、日米安保条約が締結された1951年。

安倍首相はこの憲法をアメリカによる押し付けであるとして、とりわけ9条を削除し、通常の国が持つ交戦権を得ることを悲願としている。それをしないと戦後レジュームから脱却できないと言うのだ。けれどもアメリカが朝鮮戦争と東西冷戦によって警察予備隊(自衛隊)を作らせたことは、9条をある意味骨抜きにする第一歩であったことを忘れてはいけない。つまり、アメリカの利益となる限りにおいて日本の軍備は認められ、進められてきたというのが実態で、この度の安保法制もその流れの上にあるということだ。

何故憲法改正をせずに解釈で強硬するかと言えば、アメリカがそれを望んでおられる(と安倍ちゃんが考え、アメリカもそれを否定しない)から、ということで、でもこれではまんま戦後レジュームを踏襲していることに変わりはない。

ホルムズ海峡にこだわるのもそういうことであろう。自衛隊が集団的自衛権で派遣要請されるとしたら中東である可能性が高い、アメリカはそれを望んでおられる(以下同)、というわけである。この件に関しては中東の専門家である内藤正典氏は真っ向から疑義反対を突きつけていて、曰く、どの国が実際にホルムズ海峡に地雷を撒くというのか、それはどういう状況下であるのか、そういう話が全く出てこない、中東の専門家に何も話を聞いていない、無責任かつ空想的な事例である、というような発言をされている。

決定的に問題であるのは、対米従属が骨身にしみ込んだ日本政府政治家及び官僚が、アメリカの戦争に参加することによる日本の不利益をまっとうに考察出来ない、ということだろう。「金だけでなく汗と、加えて血も流せ(それが男だ)」がトラウマだとか、バカなことを言ってはいけない。私たちが失うものを冷静に考え、何を言われようと鼻で笑うくらいの大人であってほしい。政治なんだから。よしよし、いい子だ、と頭をなでられて喜んだりしないでくれ。

アメリカが武器携行を許してくれればそれで中国と戦えるって? これまたなんという甘さ。アメリカが中国と戦争をしたいと言い出す、そういうシチュエーションがあり得るだろうか(アメリカが望まない、許可しない、アメリカの利益にならない場合、日本はどことも戦争なんて出来やしない)。北朝鮮はどうだって? 攻めてこられたら今ある武器(個別的自衛権)で戦えるでしょう(そのためにも韓国と仲良くしとかなきゃね)。

というふうに、キーは民主主義と、もうひとつはアメリカである。私たちは平和憲法をアメリカに押し付けられた。その側面は確かにあるだろう。それを言えば民主主義も、である。でもそのいずれをも、私たちは良きものとして喜んで受け入れ、それがあったからこその経済発展を果たした。でももしかしたら、この二つが自力でかちとったものではない、ということが、私たちに何らかのマイナス作用をもたらしてきたのかもしれない。

第二次世界大戦を枢軸国側で戦ったファシスト党独裁イタリアも、日本と同じように連合国に敗れた。けれども一つ大きな違いがある。イタリアはパルチザンでファシストと戦った国である。自分たちがムッソリーニ政権を倒し、ヒットラー占領政権を追い出し、共和国政府を樹立したのだと思っている。確かに連合軍はシチリアから上陸し、政権を追い詰めた。だが、国民もまた連合軍側で戦ったのだ。

私たちがもし、明治維新のように、国内からの改革の動きで軍政を押しとどめたり、あるいは暴政を行う上層部を放擲したり、あるいは(フランスのド・ゴールのように)国外に亡命した政治勢力がいて、軍政が倒れた後自力で民政を敷ける素地があったとしたら、私たちの主権の感覚や民主主義の感覚も随分違ったものとなったに違いない。けれども、それらは何もなかった。あるいは、あってもとても小さな力しかなかった。

思うのだけれど、平和憲法とセットになった日米安保も、どこかで私たちの主権と民主主義の精神を損なってきたのではないだろうか。与えられた理想主義は良い。けれどもそれは一部骨抜きにされ、安全保障条約でねじれたものとなった。私たちの国は真の独立国、真の主権国家ではない、というのは認め難いことだけれど、この事実は心のどこかにずっと根を張り、私たちの意識を縛り、枷をはめ、健全な成長をスポイルしてきたのではないか。

安倍ちゃんの真意が、日本を真の独立国にしたいということであるのなら、私たちもまた、ここをもう一度きちんと考えてみるべきだろう。ただしそれは、アメリカの戦争に唯々諾々と従うということではない。まして戦前レジュームに戻ることであるはずがない。必要なことは9条を捨てることでも100%骨抜きにすることでもない。

そうではなく、もう一度、私たち自身が、主体的かつ民主的に、平和憲法と民主主義を選びなおし、国家に対する主権を確立することだと思う。まだどの国も自力で制定し得ていない平和憲法を自ら制定しなおすことが出来れば、日本は大変尊敬される、強い抑止欲を持つ国になれる。平和をリードする国になれる。21世紀が侵略戦争を認めない世紀である以上、どの国も日本を攻められない。

そもそも、安倍ちゃんが想定している戦前レジューム型の戦争は古い戦争である。今現在の中東・北アフリカを見よ。全く新しい戦争にどう備えるのか、どう防ぐのか、どう平和を広げていくのか、本当はもうとっくにそういう話をしていなければいけないのだ。

安保法案強行採決の後に憲法改正がやってくる。選挙年齢18歳引き下げが改正に有利だと、安倍ちゃんは決行した。本当にそうなのか。彼とその仲間たちが壊そうとしているのが従属国日本であるのなら、それは壊れたほうがいいのかもしれない。暴論ではある。私たちはあまりに深い傷を負うかもしれない。でも、一度壊れて私たち自身が選びなおすことによってしか、私たちは私たちの主権と独立と民主主義を本当にはかちとれないのかもしれない。それが出来ないのなら、対米追従はそのままの、民主主義が壊れた、独裁国家が主権の、精神にさらに強い枷をかけられた、後退した歴史の国を生きるしかない。

追記 7/15

きょう15日午後の国会内の様子があがっていたのでアイキャッチに拝借。まるで路上から流れ込んできたようなプラカードを掲げる議員たちと、起立して採決に応じる自民党議員。

先日の SEALDs のデモに15,000人、昨日の日比谷公園は20,000人、今日の国会前は60,000人?/25000人?とのこと。⇐主催者発表で延べ10万人だと!!(東京新聞:国会前で抗議集会  「10万人」と参加団体:社会(TOKYO Web) (7.16)

追記 7/16

16日、本会議で野党欠席のまま強硬採決。

ツィートで、「(国会前で)若い女の子たちがどんどん前に出ていく」とあったのが写真で確認できる。胸が熱くなるよ。
国会前に約10万人!安保法制の強行採決狙う与党に怒れる人々が抗議-写真&ルポ(志葉玲/Yahoo!ニュース 7.16)

【参考】
安保法案、国民支持広がらず 各社調査で「反対」目立つ(朝日デジタル 2015.7.14)
琉球新報主宰「琉球フォーラム」での講演 (内田樹の研究室 7.13)
東京新聞:自民「違憲」批判ショック 憲法審査会ブレーキ:政治(TOKYO Web 7.12)
東京新聞:機雷掃海任務 「米軍の どぶさらい」:社会(TOKYO Web 7.12)
東京新聞:「まじ おかしい」が原動力 SEALDs 15日に緊急デモ:社会(TOKYO Web 7.12)
戦争の足音 第34回 安倍政権の「戦争法案」を考える(10) 民間人の事実上の動員体制が密かに築かれてきた 吉田敏浩(アジアプレス 7.11)
アジアプレス「戦争の足音」index
「憲法9条は核兵器より強力だ」米軍元海兵隊員が語った本当の戦争と日本国憲法の価値|LITERA/リテラ 本と雑誌の知を再発見(7.4)
VIDEO NEWSなぜ違憲の安保法制に党内から異論が出ないのか »ゲスト:村上誠一郎氏(自民党衆議院議員)(6.20)
VIDEO NEWS集団的自衛権合憲論の妥当性を問う » ゲスト:木村草太(6.20)

高橋源一郎が探し続ける答えとは… 「民主主義と真剣に向き合ってみたら、この国にそもそも存在しなかった」(週プレNNEWS 7.15)

・『街場の戦争論』内田樹 ミシマ社 2014.10.20
・『日本劣化論』笠井潔/白井聡 ちくま新書 2014.7.10
・『全ての戦争は自衛意識から始まる–「自分の国は血を流してでも守れ」と叫ぶ人に訊きたい』森達也 ダイヤモンド社 2015.1.29

  • トップへ戻る
  • カテゴリアーカイブ
  • HOME

コメント

メールアドレスが公開されることはありません。* は必須項目です。


*


*