『カイロ・タイム』 -異邦人-

— 映画で行く、”大人の女の一人旅” —
まあなんとぴったりなキャッチコピーだこと。
この映画、ひとことで言うと『旅情』カイロ版。
といってもけなしてるわけじゃなくて、
安心して観られる古典作に準じているということで。
観終わってから検索したら、カナダの女性監督ルバ・バッダの作品(脚本も)だった。
ケベックでシリア人の父とパレスチナ人の母の間に生まれた彼女、
中東がルーツながら中東を知らず(ゆえにあこがれ)、
訪れたカイロに魅せられて、この街を舞台に映画を撮ろうと思ったのがきっかけとか。

21世紀の『旅情』に、カイロはまさにぴったりの舞台に見えたことだろう。
観る前から、チラシ一枚の情報だけで中身が予想できてしまう映画を、
迷いながらそれでも見に行ったのは、舞台がカイロだったからだ。

街にこだまするクラクションの音や、ほこりっぱい無秩序が、懐かしかった。
白砂漠が少しだけ出てきて嬉しかったけれど、
たったあれだけなんてもったいないことだ、と思った。
モスクもマドラサもバザールも、物足りなかった。
ストリート・チルドレンや絨毯工場の少女たち、
ガザ行きのバスの中でのエピソードなどは、とってつけた感があった。
ヤスミンの娘の結婚式のタブラとダンスは良かった。

ジュリエットの肌の露出度には、
カイロで実際見かけた欧米女性に感じたのと同じ違和感を覚えた。
「異邦人」を際立たせたかったのかもしれしけれど(恋愛映画だし)、
西洋スタンダードを何も考えずにやるとああなる、
というだけのことかもしれない。

ジュリエットのパトリシア・クラークソンと、
タレクのアレクサンダー・シディグはとても良かった。
こういう映画はとにかく主演二人で決まる。
シディグは、彼をキャスティングに想定して脚本が書かれた、
ということが頷ける役者だった。
スーダン生まれのイギリス育ちなんだそうだ。
ラスト近く、エレベーターの扉が閉まった後のシディグのほんの数秒の表情、
実に実に素晴らしかった。
この一瞬のために作られた映画だと言えるほど。
彼のこの表情を言語化するには、どれだけの言葉が必要だろう。

2009年、カナダとアイルランドの合作。
「アラブの春」と「クーデター」を経た今のカイロでは、
この手の映画は撮れなかったと思う。

しかし、映画というのは上映が終わって電気がついたときがいやなもの。
日常に引き戻されたときの悲しいような情けないようなあの感覚、
若い時より一層感じるようになっている。
この落差が大きいほどいい映画だ、ということはあるんだけれど。

シネマ・トラベラーズ

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