コソボのことと、『最愛の大地』(観てないけど)

ひきつづき、ぼんやりとコソボのことを考えている。
99年、NATOの爆撃機の多くは、イタリアから飛び立っていた。
私はトスカーナの田舎町で、その機影が空に飛行機雲を描いていくのを、
毎日のように見ていた。
身近にアルバニアの難民の子どももいた。
それでも私には、コソボは遠い紛争地としか思えなかった。


4月から6月末までの滞在期間は、コソボが単なる内戦地から
ユーゴ(セルビア)とNATOとの全面戦争の地となり、
ミロシェビッチのユーゴが停戦を受け入れるまでの数か月間と、ほぼ重なっていた。
アパートでテレビをつければ、トップニュースはコソボか、難民船だった。
プリシュティナというコソボの州都の名前が、
街の人との会話に出てくることもあった。

ただし、テレビの断片的なニュースから状況を把握するのは、
私のイタリア語では難しかった。
帰国してみれば、日本語の情報などさらに少なかった。
人道的な介入とされるNATOの空爆により停戦がなった、
その結果ユーゴの解体はさらに進んだ、
そんな程度の認識のまま今まで来てしまった。

昨年、アンジェリーナ・ジョリーが、
92年から95年まで続いたボスニア・ヘルツェゴビナ紛争を題材にした、
「最愛の大地」を発表した。
監督デビュー作に選んだのだから並々ならぬ思い入れがあるのだろう。
(民族浄化の)戦争の不条理に加え、戦場の性暴力を告発するものだと、
チラシなどにあった。
女性監督が正面から戦争をとらえたことにも、意味があるようにも思えた。

けれども、どうにも見に行く気になれなかった。
再現されたものであれ映像は強烈だし、
夢にでも出られたらたまらないからである。
でも、それだけだろうか。
何か別のアンテナも、働いていなかっただろうか。
公式サイトや映画評などを何気なく覗いていて、
アンジー自身の映画に対するこのコメントが目にとまった。

私は、国際社会が迅速かつ効果的に戦争に介入することができなかったことに対する失望を、アーティスティックに表現する映画を作りたかったのです。また、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争のほかにも戦争中の女性や性暴力、戦争犯罪に対する説明責任、人道犯罪、和解への努力など、幅広い問題を深く追求し、理解したかった。

観ていない映画を評してはいけないけれど、
彼女のこのコメントを読んだ後では、ますます映画を見られなくなりそうだ。
特に冒頭の言葉。
「国際社会が迅速かつ効果的に戦争に介入することが」できていれば、
戦争中の性暴力も非人道的な戦争犯罪も防げたと言わんばかり。
それはあまりに短絡的ではないだろうか。

新たな疑問が生まれた。
もしかしてボスニア・ヘルツェゴビナ紛争のこの反省の下に、
NATOはコソボに介入したのか。
そしてそれは成功したのか。
NATOの主戦力は、もちろんアメリカである。
その後もアメリカは、他国の紛争に介入し続ける。
その帰結のように9.11が起き、アフガンとイラクでは、介入ではなく、
戦争そのものを始めた。
NATOはコソボに、劣化ウラン弾を投下している。
イラクでも問題になっているが、コソボではどうなのか。

昨年は米欧によるシリアへの(表立った)武力介入が回避された。
国内の経済的な理由であれ、エネルギー需給の問題であれ、
この15年の米欧の戦争(介入)に対する姿勢が少し変わったようにも思えた。
だが、シリアについても、アンジーと同じ意見の人がいるに違いない。
「迅速かつ効果的な介入」がなされないがために、
シリアはこれほど泥沼化しているのだ、と。

アンジーの言葉はこう続いている。

第二次世界大戦後のヨーロッパで最も悲惨な戦争だったにも関わらず、自分たちの時代、自分たちの世代で起こったひどい暴力のことを、時に人々は忘れてしまうものなのです。

確かに、私も忘れていた。
いや、忘れる以前に、意識に上っていなかったというほうが正しい気がする。
それでも、あれから15年がたっているのに、記憶の隙間から、
空を斜めに横切る飛行機雲が鮮やかによみがえる。

世界の片隅で起こっていることを、直ちに、リアㇽに、
自分のこととして考えることができるほど、私たちは想像力に恵まれてはいない。
だからこそ、カメラマンがいて、映画監督がいる。
その意味ではアンジー支持なんだけれど。

アンジーが、自国が始めたアフガンでもなく、
イラクでもないこの戦争にこだわったのは、
おそらく、ここに、これまでにないほど顕著に、
戦争における組織的集団レイプ(と強制出産)があったからだろうと思う。
であればやっぱりこの映画、見なくちゃいけないかな…。

 

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