元に戻った…

やっと元に戻った。a.numero.
なるほど、そういうことだったのか。
結局一過性の事象だから、気にすることはないのだ。

わけあって某ブログサイトに登録してみた。
ごちゃごちゃあれこれサービスがあり、なじまない。
ブログテンプレートもあまり気にいったものがないし、
デザイン変更はヘッダー画像と高さ、カラム数変更ぐらい。
CSS編集できるものは一つだけ。
それもCSSだけのことで、
HTMLも編集できるJUGEMに比べると、自由度で劣る。
広告もサイドとテキストエリア下部の二箇所に入り、かなり目障り。
サイドメニューの表示も外したり入れ替えたりできず、
全体のデザインがうるさい。

ひとつメリットがあるとすれば、メンバー数が多く、
メンバー内でのアクセスがそこそこあるのかも、という点。
よくわかんないけど、アクセスしてほしい人が、
読者になったり、アクセスしたりしているんだろうか?
NAVERもそうだったけど、
ターゲットも実際の利用者も若いのだ。

7-8月は本当によく記事を書いた。
エジプトだけで50本ぐらい。
下書き、未公開もまだある。
アナイスのようにオブセッションになってる。
(彼女が今生きていたら、きっとすごいブロガーになっただろうなあ。
想像すると楽しい。)

シリアが開戦前夜になってしまって、
相対的にエジプトの記事(関心)が減っている。
大事な転換点であること、移行過程が継続中であることに、
変わりはないのに。

在住者でウォッチしていた人のブログがいくつかある。
そのなかで一人、更新されていない人がいて気になる。
帰国してしまったのだろうか。
あるいは分断の影響か?

友人に、イスラムは同じ一神教でもキリスト教と異なり、
生活全般がイスラムの教えの規範に則って行われている、
だから政教分離が難しい、というような話をしたら、
それは中世キリスト教も同じだろう、と言われた。
昨日の川上さんの書評にも同じことを書いたけれど、
ずっと引っかかっている。

もとより、彼女を説得できるほどの知識もないし、
乏しい知識も、論を展開できるほど身についているわけでもない。
それでも、キリスト教にはそもそも政教分離の下地があると思えること、
「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に」
などをひいて答えてはみた。
でもさ、とやはり彼女は応じるに違いない。
何故なら、それほどイスラムは遠いものなので、
知っているものに引き寄せて考えてしまうからだ。
15億人を占めるイスラムを理解しようと努力し、
その独自性を認めていくことは、世界にとって急務のことなのになあ。

 

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