『私たちの世界がキリスト教になったとき』

★私たちの世界がキリスト教になったとき
— コンスタンティヌスという男
ポール・ヴェーヌ 岩波書店 2010.9

テーマにひかれて借りてはきたものの、
結論を言うとはずれであった。
入ってこないのは、文体(訳)のせい ?

数か所の付箋をメモしておくけれど……。

 コンスタンティヌスは<教会>を<帝国>内に「設置」し、<帝国>が内包していたものの全てに<教会>を付け加えたのだが、信仰を別にすれば、彼はまさしくローマの国家元首としてとどまった。先に私たちは、性に関する彼の残虐な立法は、ただカエサルたちの「抑圧」的な伝統に沿うものでしかなかったことを見た。彼は見世物を廃止することは差し控え、彼に倣った後継者たちも明白な法律によって、円形競技場の協議、演劇、ストリップ、闘技場での狩り、さらには剣闘士さえも存続させることになる。先立つ三世紀の間、これらすべてを司祭たちは妬み、唾棄し、信者たちに禁じてきたものだったが、民衆にとってそれらは繁栄、相互合意、文明、福祉国家を意味していたのである。推測されるように、風俗はいささかもキリスト教化しなかったのである、ただ一つの細部を挙げておけば、566年、相互の合意による離婚が復活るすることになる。

結局のところ、古代世界のキリスト教化は、コンスタンティヌスという一人の個人を起爆剤とした革命であり、その動機はひたすら宗教的なものだった。そこには何ら必然的なもの、不可避なもの、回復不可能なものなどはなかった。キリスト教が万人にとって重要なものになり始めたのは、誠心誠意、改宗したコンスタンティヌスがこれを優遇し保護したからであり、この宗教が一つの<教会>として有効に組織されたからである。コンスタンティヌスは人の知りえない個人的な動機で改宗し、こう判断した。キリスト教が帝位の宗教となるに値するのは、彼の眼にはその宗教的優位性が明らかであり、極めて少数派だとはいえ、キリスト教が正規の一大宗教問題になっていたからだと。
世界史が転換したのは、ただコンスタンティヌスのみによってである。なぜならコンスタンティヌスは、壮大なユートピアによって動かされ、<救済>の千年にわたる体系の中で、自分に華々しい役割が与えられていると確信した革命家だったからである。しかしまた、とりわけこの革命家が偉大な皇帝であり、可能なことと不可能なことを区別する現実主義者でもあったからに他ならない。

訳者あとがき

まず、著者の端緒の問いは、何故、どのように四世紀になって突然、それまで一握りの少数派の宗教にすぎず、しばしば迫害されていたキリスト教がローマ帝国で急速な拡大をとげ、その後も長く西欧世界の慣習宗教にまで発展しえたのだろかという、言われてみればごく当然な疑問である。ただ筆者自身はキリスト教徒ではなく、もっぱら篤学・政治的なローマ史家としてコンスタンティヌス帝の果たした決定的な役割を再検討・評価して、次の三点を主たる答えとしている。

一、西欧の支配者になったコンスタンティヌス帝はキリスト教に改宗したローマ皇帝であったが、その彼は帝国の唯一の絶対的権力者になると、世界をキリスト教化することによって人類を救済することを真に望み、かつ細心に実行した。
二、彼が改宗したのは偉大な皇帝には偉大な宗教が必要だったからだが、その偉大な宗教がローマ伝統の異教ではなく、キリスト教だった。当時キリスト教は極めて少数の一宗教に過ぎなかったとはいえ、基地のどんな宗教とも隔絶した、いわば前衛的な宗教だったのである。
三、熱烈な信者であると同時に極めて実戦感覚に恵まれていたコンスタンティヌスは、自らの宗教を大多数が異教徒であった臣下に強制することはなく、ただキリスト教徒たちが彼らの<教会>、すなわち広大なローマ帝国に張り巡らされた司教区制を確立するのを助けるだけにとどめた。そして彼の目論みどおりに、<教会>の権威のもとに、異教の民族たち自身がその後ゆっくりと、従順に人たちの固有のキリスト教をつくりだしていったのである。

もしコンスタンティヌスがいなかったら、ローマ帝国の、ひいては西欧世界のキリスト教化ももたなかっただろうという理由をほぼ以上のように述べつつ、ポール・ヴェーヌはこれに関連する他の疑問も提起し応えている。たとえば、一神教はどこに由来するのか。ローマ帝国のキリスト教化についてイデオロギーを持ち出すのは適切だろうか。宗教には心理的な起源があるだろうか。ヨーロッパはキリスト教に根源を持っているのだろうか、等々。そしてそれらのことを、コンスタンティヌスの宗教革命をレーニンの社会革命に比するなど、およそ峻厳な学者の学術論文とは違って、時に挑発的にさえなるスリリングなで自在な文体で論じつくしている。

う~~~ん……。
塩野七生さんの『ローマ人の物語-キリストの勝利』を思い出している。
キリスト教は、まず社会が求めた広範な役割を果たしていた、
ということだったよね、たしか。
混沌に陥った帝国の新たな精神的支柱と、
国家福祉の不足を補うような活動をキリスト教が担っていた、
というようなことが大きかった、と。

もちろん、コンスタンティヌスがいなければ、
そうは簡単ではなかっただろうし、
その後のキリスト教世界もなかった、ではあるんだろうけれど…。

 

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