9/15(土)朝日Be、人生相談の上野千鶴子の回答に同感。
まもなく70歳になる独身女性。
大学を出て公務員として働き、折り合いの悪い親の介護も終え、
小説教室に通い始め、やっと自分の楽しみをみつけた。ところが、
「肉親や世間による悪意や嫉妬。憎悪を秘めたやさしげな言葉」でつづった作品は、
「母性愛を疑うなんて許せない」と大ブーイング。教室の仲間の主なテーマは、
「稼ぎがよくて妻にやさしい夫」や「高価なワイン」などのよう。
ご本人は大ブーイングを面白がりながらも、
「愛を解さない私が小説を書こうとするのはいけないの?」と問う。
お答えの冒頭。
『へええ、この世の中の悪意や嫉妬、憎悪などを描くとバッシングを受けるなんて、
創作教室じゃなくて道徳教室かと思いました。
「母性愛を疑わない」なんて人は、小説家に向かないと思うんですがねえ。』
ついでに言うと、対幻想、白馬の王子様幻想、恋愛至上主義、
結婚至上主義(性=愛幻想も、かな)に依拠してる人も。
小説は何を書いてもいいんだけど、たいていマスタベーション代わりだったり、
己の渇望(妄想)や飢えを書いたりするのがスタートだと思うんだけど、
「稼ぎがよくて妻にやさしい夫」や「高価なワイン」を書いてるだけなら、
それってあまりにみみっちい。
その裏にあるのは、恨みつらみだったり、嫉妬だったり、憎悪だったりするわけで、
しかもそういう自己の内面を正面から見つめられないという、
小説を書く最低の資質がないってことだと思う。
まあ、それでも書くことによって救わる人もいるだろうし、
それはそれでいいんだけど、自分と同じじゃない人を排除するなよ、と言いたい。
小説なんて、同じじゃないことに価値があるんだから。
私も上野さんと同じように、相談者のほうがよっぽど「小説家向き」だと思うわ。
でもこのレベル(「稼ぎがよくて妻にやさしい夫」や「高価なワイン」止まり)の創作
(小説とは言いたくない)、うんざりするくらい氾濫してるんだよなあ。
まあ、誰でも「創作」は書けるけど、「小説」は書けないってことか…。
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