『サハラ幻想行』

森本哲郎/著(株)五月書房 2002.2(河出書房新社 1971)

以下付箋部分のメモ

彼は、砂漠に引き寄せられる。そして、とうとうアザライ(隊商)の群れに投じて、サハラをタウデニからトンブクトゥまで、ラクダともに歩むのである。
スコール氏がどんな人物だったのか、私は知らない。彼はただ、その記録『アザライ』(邦訳『青の種族』=新潮社刊)を残しただけであり、私はそれを読みふけっただけである。

しかし、そんなことはどうでもいい。私が心打たれたのは、アメリカ国籍を持つこの無名の探検者のたどったアザライの道が、フコー神父のタマランセットへの道と、発端において少しも変わらない、ということだった。スコールもまた、砂漠の火に焼かれたかったのだ。

砂漠は—混沌とした世界ではない。生れ出る前のような不分明な場所ではない。逆に、最も明晰な、くっきりと際立った世界である。天と、地と、その間に立つ自分。こんな明らかな場所があろうか。

ハサンは私の視線など眼中になく、忘我、恍惚の境でコーランを唱している。彼は、今、アッラーと直接向かい合い、アッラーの前にひれ伏しているのである。ハサンとアッラーの間には何ものも存在していない。イスラムは人間を、直に、何の媒介者もなく、神の前に立たせる宗教なのだ。アッラーとの、そのようなむき出しの関係において、イスラム教徒は、アラビア人であろうと、インド人であろうと、中国人であろうと、ハサンのような人種不明の人間であろうと、すべて平等なのである。

アラビア人の性格は、単刀直入である。イスラムはそれを最もよく語っている。コーランは、この地上の一切のものを端的にアッラーと対置させた。すべてのものを、アッラーという神の下に置いた。しかも、アッラーとその被造物の間には、砂漠と空の間のように何もないのである。砂漠がそのまま天に接しているように、一切はむきだしのままアッラーと向かい合っている。その間に何の粉飾も必要としない。
イスラムに見られるのは、恐ろしく力強い捨象のエネルギーである。その捨象によって、このセム族は、アッラーという唯一神を抽象し、いきなり東方と西方の多神教に反撃したのであった。
単純なものは複雑なものより強い。砂漠に登場したアラビアとユダヤの民が作り出した一神教は、一神のゆえに多神を奉じていたもろもろの民族を押しのけて世界史の舞台におどり出た。

 

その時、岩の間から渦を巻いて風が走り出た。風は、砂粒を小さい竜巻のように巻き込んで、あちこち駆け回り、私の横を通り抜けて広場の中央に行き、そこでしばらく跳っていた。
風! 私がこんな風を見たのは何日ぶりだろう。こんな忍びやかな風を。タッシリの台地では、風もまた生きている!

急に私は薄気味悪くなってきた。宿営地にもどろう。私は立ち上がり、再び広場を横切って岩の疎林を抜け、キャンプ地の大きな岩の後ろからぐるりと回って正面へ出た。
すると! そこに何もなかった。ラルビーもダニエルの姿も消え失せていた。人間だけではない。岩につるしてあったゲルバも、私たちが乱雑に放り出しておいた寝袋も、ビニールの容器も、カメラバッグも、毛布も、何もかも。

私は仰天した。いったい、どうしたのだ!

しばし、呆然としたあと、私は大声で「ラルビーっ」と叫んだ。その声が、あちこちの岩の壁にぶつかってかえってきた。しかし、返事はなかった。まさか私のいない間に、宿営地を移してしまったわけではあるまい。おかしい。いったい何事が起ったのだ! いや、待て、私は夢を見ているのではあるまいか……。

むりに気をしずめ、私はもういちどあたりを点検した。そして、ちがう! とつぶやいた。宿営地はここじゃない。もっと広い場所だった。岩の前がもっと広々していた。私は道をまちがえて、べつの岩の林に迷いこんでしまったのだ。心臓がが激しく打ち出した。

迷った! 真っ暗になるまでに、もう一度もとの地点に戻って探し出さなければならない。私は引き返して、さきの広場に出た。そして、ふたたび岩の疎林に入りなおし、ゆっくりと道を拾っていった。なぜ目印をつけておかなかったのか。よく見れば、岩の柱は、ひとつひとつちがっている。しかし、どの岩の間を抜けてきたのか、焦れば焦るほど、わからなくなった。疎林に通じている道は、道というにはあまりに漠然としていた。まっすぐに通り抜けても、直角に折れても、おなじような岩の林なのだ。道と思えば思えるし、ちがうと思えばそうでないように見える。私はとうとう三叉路に立って思案に暮れた。あたりに夕闇がじわじわと迫ってくる。

「ラルビーっ」と、また大声で呼んでみた。岩のあちこちにぶつかって、じぶんの声だけが戻ってくる。通い慣れたロバでさえ迷うというタッシリの台地の不気味さを、私は今さらのように思い知った。ここだ、と思った場所は、またもやちがっていた。ガイドもつれずフラフラと出掛けた軽卒を悔やんでみても始まらない。私はまた、元の広場に引っ返し、もう一度見当をつけて岩の疎林に入りなおした。

距離にすれば、ほんの五、六百メートルなのである。だが、それはまぎれもない迷路(ラビリンス)だった。再び三叉路につきあたったとき、今度は逆に、じぶんは全く違うと思われる方向をとってみることにした。そして、岩の間に、フランスのタバコ「ジタン」の空袋が捨てられているのを発見した。やはりこっちだった! 紙袋を拾い上げると、それはフランスの学生のひとり、シルヴァンかミッシェルかムノスが捨てたものにちがいなかった。彼らは、確かにここを通ったのだ。その紙袋が、私にはアリアドネの糸のように思えた。

しかし、道はすぐ先で、また、ふたつに分かれていた。私はうすぐらい光で、夢中になって足あとを捜した。一方の岩の傍らに、かすかにクツのあとが認められるような気がした。
その方向は、まったく私の記憶とは反対であったが、思い切って進んだ。大きな岩に突き当たった。その岩をぐるりと回って、さらに方向を見定めようとしたとき、私は、なんと、くわえタバコで用を足しているラルビーと鉢合わせしたのである。

「あっ」と、私は思わず叫んだ。
「なんだ。あんたか。どうしたんだ。みんなとっくに帰ってるぜ。うす暗い中、どこを歩きまわっていたんだい。さあ、メシだ、メシだ」
ラルビーはそういって、岩づたいに私を誘導していった。その大きな岩のもうひとつ向うの岩が、宿営地なのだった。

 

タッシリは、まったく隔絶した世界である。
ひとたびこの大地に入り込むや、それまでじぶんが生きてきたいっさいの世界が、まるで、星雲の彼方に遠のいてしまったような気がするのだ。本当に実在しているのは、岩の林に取り囲まれたこの砂地だけのように思われてくる。
だから、ここでは過去の記憶が、すべて幻想になってしまう。昨日の出来事でさえ。

 

哲学的考察にはなかなかついていけなかったけれど、
タッシリの砂漠で迷うくだりは、
私もエジプトの砂漠でまったく同じ思いを味わったことがある。
しかも私の場合、夕暮れではなく、夜だった。
あの感覚は本当に忘れがたい。
今思えば貴重な宝物と言ってもいいくらい、恐ろしく、かつ甘美な体験だった。

 

「砂漠は」と、カミユもいう。
「それは、この世のありとあらゆる苦悩にとっての聖域だ」と。

 

 

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