沢木耕太郎「旅する力 –深夜特急ノート」 後半

【沢木耕太郎「旅する力 –深夜特急ノート」 前半】はこちら

後半は、帰国後『深夜特急』出版までと出版後のはなし。
「一便」「二便」を書くまでに10年、「三便」はその6年後。
「旅」には熟成が必要ということだ。

以下、付箋をつけた箇所。

・旅で得るものと失うもの。

自分はどこでも生きていくことができるという思いは、どこにいてもここは仮の場所なのではないかという意識を生む。

・異国の不条理

–異国をうろついていた私は、異国に在るということの根源的な恐ろしさをまったく自覚しないまま歩いていた。
自分の育った国の法律や論理や常識がまったく通用しない不条理な世界。
本来、異国とはそういったもののはずだった。

この「不条理な世界」「根源的な恐ろしさ」を描き出したのが、
ポール・ボウルズだ。『シェルタリングスカイ』しかり、短編しかり。
彼はこの怖さを、「旅」だけでなく、「旅」を超えて描いた作家だと思う。

・移動の風、アクションとリアクション

旅を描く紀行文に「移動」は必要な条件であるだろう。しかし、「移動」そのものが価値を持つ旅はさほど多くない。
大事なのは「移動」によって巻き起こる「風」なのだ。
いや、もっと正確に言えば、その「風」を受けて、自分の頬が感じる冷たさや暖かさを描くことなのだ。「移動」というアクションによって切り開かれた風景、あるいは状況に、旅人がどうリアクションするか。それが紀行文の質を決定するのではないか。

・一線を越える、越えない

ポール・ニザンが『アデン・アラビア』で《一歩アシを踏みはずせば、いっさいが若者をダメにしてしまうのだ》と言ったのは二十歳についてだったが、それは若者のすべてに、若い旅人のすべてに言えることでもあるのだ。私は結果としてその「一歩」を踏みはずさずに済んだ。

帰ってくるのが「旅」であるのなら、
では、行ったままになるのは「旅」ではなくて何なのだろう。
でも、小説はその一線を越えて書くこと、なのではないか。
ゆえに、沢木耕太郎は、優れたドキュメンタリー作家なのだと、ふたたび思う。
いずれにしろ、彼には帰ってくる「運」(私には資質に思える)が確かにあった。

「旅の行方」「旅の記憶」と続き、最終章「旅する力」は、
具体的かつ基本的な、帰ってくる「旅」の極意。

 

【11/9 追記】

「旅」の定義に、確かに「帰ってくること」は必須だろう。
いまだ途上にあることが「旅」であるにしても、
帰ってきて初めて「旅」は完結する。

再び『オーパ!』を思う。
開高健は黄金の魚エル・ドラドを追って旅に出た。
沢木耕太郎の旅の目的は、
陸路ユーラシア大陸を東から西に横断することだ。

エル・ドラドは黄金郷の呼び名でもある。
幻の魚はその名の通りたどり着くこと叶わず、
一方ユーラシア横断は無事達成される。

人が旅に出るのは、非日常を求めてである。
あるいは、ここではないどこかへ向けて、
日常から逃げて行くこと。

沢木耕太郎がアムステルダムやデリーで見た「倦怠」とは、
旅が日常と化してしまった者の「倦怠」だ。
日常化とは、帰るところがなくなること、
今いるところが、うらびれた仮寝のベッド一台のスペースが、
世界でただひとつの、己の居場所となること。
「ここではないどこか」などどこにもなかったという、寂寞とした苦い自覚。

沢木耕太郎が、なんとしても日本に帰ろうと決意するのは、
この旅の変容に対する自己防衛本能ゆえだ。
彼はまだ26歳で、帰るべき場所は確固としてあった。
目的は達せられた。
いや、真に目的を達成するためには、
帰ることによって、旅を「旅」としなければいけない。
ノンフィクションライターとして順調に歩んでいた作家には、
この旅を書くということが、最終目的として見えていたはずだ。

さて、『オーパ!』の倦怠である。
これは旅の日常化による倦怠ではない。
小説家はすでに、エル・ドラドなどどこにもないことを、
誰よりもよく知っている。
並外れた非日常を数多く「旅」した彼は、驚くことにこのときまだ40代。
私の印象は、すでに「人生の全てを見てきた人」であった。

「全てを見てきた人」は、「旅」がその途上にある限り、
エル・ドラドがどこかにあるという幻想を、
己に信じさせる力を持つことを、知ってもいる。
そしてその途上こそが「エル・ドラド」だということも。

「旅」はここで、もう一度変容している。
その変容が、「帰っていかなければならない倦怠」を照らし出す。
待っているのは、ぽっかりと口をあけた、空漠とした日常。

「旅」とは、人をこのようなところにまで連れて行く、
実に危険なものでもある。

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