ガザ封鎖と民族浄化 「パレスチナ人は芝のように刈られる」〜岩上安身による岡真理・京都大教授インタビュー(IWJ)
こんどこそ停戦なるか。(➾その後の停戦交渉も決裂 8/23現在)
ハマス、72時間停戦受け入れ カイロで本格交渉へ
追記 8/26日 50日に及ぶの戦闘の後、長期停戦に合意
(8/27) ガザの長期停戦に合意 イスラエル軍とハマス:朝日新聞デジタル
(中東の窓 8/27) ガザ停戦
パレスチナに深くかかわってきたジャーナリスト・映画監督によるガザからの報告
土井敏邦 Webコラム
IWJによる岡さんのインタビュー動画、
無料期間は終わってしまったけれど、有料でも視聴する価値あり !
以下はあれこれ考えてしまったことのメモ。
岡真理さんが繰り返し述べていることは、パレスチナ問題に関しては我々に真の姿が伝えられていない、それを見誤ってはならない、ということである。
実際にガザの人たちがさらされているのは、封鎖という緩慢な死か、爆撃という目前の死だけである。この、イスラエルによるガザ、及びヨルダン川西岸占領の事実がまずある。
イスラエルはハマスの武装解除や地下トンネルの破壊を停戦の条件にしているが、ハマスの条件は、ガザに住む人たちが人間らしく暮らせる当然の権利、すなわち封鎖の解除である。占領者が求める無抵抗の恭順と、被占領者が求める不当で暴力的な(それは実際の戦闘に劣らず暴力的である)占領政策の停止。圧倒的な殺生与奪の力を持ち、背後にも強力な後ろ盾がいる者の求める「平定」に、封じ込められている者が求める人権や生存権が、その遠い場所から合意を目指そうとしている。
もうひとつ、岡さんが強く訴えているのは、このイスラエルのパレスチナ占領は、ヨーロッパ系ユダヤ人による植民地政策である、という点である。大前提にすべきこの事実もまた、ともすれば今回のガザ攻撃の報道に抜け落ちてしまう。
田中龍作はツイッターで、ガザ攻撃は民族浄化の様相を帯びるかもしれないが、本来はそうではなかった、と述べている。
イスラエルのガザ侵攻は、この先、民族浄化の様相を帯びるかもしれない。だがパレススチナ問題のつまる所は「土地と和平」。どこかの学者が言うようにパレスチナ分割決議(1947年)の直後から民族浄化があった訳ではない。
1948年のイスラエル建国時にイスラエルはパレスチナ人にイスラエル国籍を与えている。今や人口の約25%(190万人)にものぼる。民族浄化であれば、こんなことをしない。
「砂漠・土漠の狭い土地」と「わずかな水」をめぐって争ってきたのがパレスチナ紛争だ。学者らしい観念論で「民族浄化だ」などと言うと、問題を誤った方向に導く。
当初は共存が視野にあったとしても、でも、1948年のナクバ(アラビア語で大厄災。イスラエルによるパレスチナ人虐殺と難民化をさす)が観念論とは思えない。
パレスチナ人に対する虐殺が(後にイスラエル首相となるベギンが率いる)ユダヤ人武装組織によって行われたことは事実であり、民族浄化と言って悪ければ、民族排除の思想、と言って悪ければ志向性は、シオニストと呼ばれるイスラエル右派内部には脈々と流れているように思う。
何故民族として迫害を受けたユダヤ人がパレスチナ人を迫害するのか、という岩上安身の問いに、岡さんは、シオニストであるユダヤ人はヨーロッパでホロコーストを生き延びたユダヤ人ではない、両者を同一視してはならないと答える。シオニストイコールイスラエル人、ユダヤ人ではない。イスラエルのパレスチナ強硬支配を批判するユダヤ人もいるし、ガザ攻撃を拒否するイスラエル兵士もいる。イスラエル内でも反ガザ攻撃のデモが行われた。
シオニズムは聖書の物語を根拠に、離散したユダヤ人が「約束の地」に帰還して、自分たちの国家を作ろうとする運動であるが、ホロコースト以前に、ユダヤ人のパレスチナへの移住は進んでいた。岡さんは、彼らが目指したのは純粋にヨーロッパ系ユダヤ人だけの国家で、それゆえの他民族排除なのだ、と言う。
問題は、田中隆作言うところの、土地と水の争いに過ぎないのであろうか。何故、ユダヤ人になされた約束は履行され、パレスチナ人になされた約束は反故にされたのだろう。何故、世界は強力強権のイスラエルに甘く、パレスチナに厳しいのか。何故アメリカはこれほどイスラエルに肩入れをしているのか。アメリカ大統領選や議会選挙の行方に影響があるのは、ユダヤ人票だけではない。では、アメリカの(ホロコーストに関与していない)キリスト教徒がイスラエルを支持しているのは何故なのか。
宗教が中東和平の妨げになるとすれば、その最大の要因は、米国の宗教右派に信奉者が多いクリスチャン・シオニズムだろう。彼らにとって、この問題は純粋に宗教的な問題であり、妥協の余地がない。キリストの再臨(the Second Coming)を早めるためにユダヤ教徒をイスラエルに集めなければならない、と考えている。そして、キリストが再臨すれば、ユダヤ教徒は二つの選択を迫られる。ユダヤ教徒はキリストをメシア(救世主)ではないと考えているが、キリストをメシアと認めて、キリスト教に改宗するか、あるいは最後の審判を受け て、死ぬかだ。彼らのシナリオでは、我々ユダヤ教徒は全5幕の演劇の第4幕で消えてしまう。
ユダヤ教徒がシオニズムに反発する理由
(ヤコブ・ラブキン 朝日新聞日曜版 GLOBE 8/5)
これはアメリカ在住のユダヤ人歴史学者による記事である。クリスチャンは自分たちの救済のためにユダヤ人にイスラエルに集結してもらいたいわけで、ユダヤ人の建国の理想やアイデンティティーなどを尊重しているわけではない。この事を承知の上で、シオニストは彼らを利用している。
ヤコブ・ラブキン氏は、こんなことも言っている。
ドイツで起きたホロコースト(ユダヤ人大虐殺)から、アーレントやアインシュタインらが得た教訓は、民族、宗教、人種の面で差別するような国家に対しては警戒しなければならないというものだった。
半面、シオニスト国家の樹立を求めるシオニストらの教訓は単純だった。我々は弱かった、我々は強くなくてはならない、というものだった。彼らはパレスチナ人との共生を望まず、民族的に「純粋な」国家を持ちたいと考えている。シオニズムに対しては、アラブだけでなく、イスラエル内外のユダヤ教徒の間にも極めて大きな反発がある。
(1)ユダヤ人とは、何らかの道徳的な価値を持ち、それを守る人々の集団であるはずなのにイスラエル国家のありようはこうした原則に反する。
(2)イスラエル国家の建国によって、ユダヤ人のアイデンティティーが、「ユダヤ教徒」から「イスラエル国家の政治的支持者」に変質してしまう――という のが主な理由だ。戒律を破ってもまったくおかまいなしなのに、イスラエルを批判すると即座にひどい反応が返ってくるといった事例に事欠かない。宗教的なユダヤ教徒にとって、啓典宗教の始祖アブラハムが葬られている聖地ヘブロン(ヨルダン川西岸の都市)を大事だと思うからといって、占領してそこに住む必要はない。ヘブロンを愛することはニューヨークからもテルアビブからもできる。「ユダヤ教的な態度」とは常に極めてプラグマティック(現実的)で、 妥協的でもある。ユダヤ教的なアイデンティティーとは、国境や領土を超越したものなのだ。だからこそ、ユダヤ人はチリでも神戸でもモスクワでも暮らせる。
「ユダヤ教的なアイデンティティーとは、国境や領土を超越したもの」だと聞いて、ああ、だからユダヤ人は世界中で国家を持たずに暮らせるのかと、合点がいった。だが、何故彼らは単なるその国のユダヤ教徒ではなく、ユダヤ人なのだろう。岡さんはこう言う。
ヨーロッパのユダヤ人は、外貌や身体的特徴から言えば、ヨーロッパ人としか言えない存在だ。ところが、近代以降のヨーロッパでは、信仰の違いを理由に、ユダヤ教徒を『ユダヤ人』として「人種化」していく流れが強まる。その結果、ユダヤ人はレイシズムに基づく反ユダヤ主義の犠牲になっていく。
(『ユダヤ人の起源』–まだ読んでいないけれど– によっても)パレスチナからのユダヤ人の追放は歴史資料としてはないのだという。となると、聖書の物語を錦の御旗にしたユダヤ人国家イスラエルの正統性も揺らいでくる。
おそらく、2000年前のユダヤ人の子孫は、今のパレスチナに住む人々で、世界に離散しているユダヤ人ではない。ヨーロッパ系のユダヤ人は、別の場所(南ロシア)からの移住者か、あるいはパレスチナのユダヤ人がイスラムに改宗したように、その地でユダヤ教に改宗した人たちだ、という。
もしそうであるのなら、民族と宗教がクロスしていることになる。かつての(本来の人種的な)ユダヤ人は今はモスリムであるがゆえにユダヤ人ではなく、かつてユダヤ人ではなかった人たちが今は彼らの宗教ゆえにユダヤ人なのだ。
クリスチャン・シオニズムに戻ると、これはある種のユダヤ人追放、つまり反ユダヤ主義の亜流とも言える。ヨーロッパがイスラエルに甘いのにも、うしろめたさと贖罪の意識の他に、自国からユダヤ人に出て行ってほしい反ユダヤ主義もあるのだと思える。だが、その反ユダヤ主義と同時に、あるいはそれ以前に、さらに強力な反アラブ・イスラム主義がある。これらが絡まって、パレスチナ問題はこんなふうになってしまったと、私には思える。単なる土地と水争いに還元されれば、もう少し展開は違うだろう。
次ページは IWJ岡さんインタビューの記事部分から一部を引用。
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