イスラムは何故政教分離が難しいのか — 国家と宗教(追記 ~’17.2.9)

友人と「イスラム国(IS)」の話題になったので
イスラムには元々国境を超えたイスラム法統治による共同体志向があることや、
イスラムによるEUのような経済共同体の可能性、などを話した。
ISのカリフ制は、英仏(露)の密約サイクス・ピコ協定によって引かれた国境線を否定するだけでなく、領域国民国家を否定するものでもあるが、それは何も突然出てきたものではないのだと。

友人は、米欧が中東に行った(行っている)ことは非難しつつも、世界に認められるにはそれでも国家は必要であること、そしてその国家は政教分離である必要がある、と主張した。
イスラムは政教分離が難しいのだと私が言うのに、キリスト教だって簡単じゃなかった、それでも政教分離を成し遂げたのだから、イスラムも出来ないはずはない、と譲らない。そう言えば以前にも、イスラムの政教分離について別の文脈で話したことがあり、やはりここで話が中断したのだった。

友人の言い分はごく一般的な多数派のものである。彼ら彼女らはこれまで、この「信仰」(絶対視している点において)を自明のこととして疑う必要もなく、不都合も感じずに生きてきたのだし、イスラムについてはキリスト教圏バイアスのかかったイスラム観を無批判に(イスラムに別段関心もないし)受け入れてきているのだから、当然と言えば当然である。

私たちの対話は、酒を飲みながらであったり、散発的なメールのやり取りだったりして、論点が行き違ったり、話しの道筋があちこちになったり、また当然私の説明力の不足もあって、どうにも中途半端である。言い足りないこと、言い忘れたこともある。それでここに、特に政教分離についてをキリスト教とイスラムを対比させながら(自分のためにも)整理しておこうと思う。

ただし、私にはキリスト教についてもイスラムについても限られた知識しかない。しかもきちんと文献や例証を出して論を組み立てるなんてことは出来ないので、ただ頭の中にあるものでつらつら書いてみるだけではある。

 

① 成立と発展過程の違い

大前提として、キリスト教とイスラムの成立と発展の過程の違いがある。キリスト教ではイエスはあくまで宗教指導者としてのみ活動し、死んだ(その死の物語により神格化されたが)。その後ローマ帝国が公認し、国教としたことが後のヨーロッパキリスト教圏を作る。キリスト教はまず国家の承認のもと、後々の発展のスタートを切った。初期には国家の下に宗教が置かれ、しかも聖俗それぞれに教皇と皇帝という権力者がいたのである。

一方のイスラムでは、ムハンマドは最初から宗教だけでなく政治においても指導者であった。迫害から逃れ、信奉者をひきつれてメッカからメディナに移住し、そこで支配領域を増やし(戦いにおいても指導力を発揮し)、ついにはメッカをも領有する。最初から、神の使徒である指導者が統べる国家は、神の下にある。ムハンマドは元来優秀な商人であったことから経済政策にも秀でていたのだろう。非常に現世的、現実的な政治指導者でもあったわけだ。イスラムの教義が現世的な法体系(刑法・民法・商法・家族法 etc.)と規範集としてまとめ上げられたのには、このムハンマドの資質が大きいと言える。

西ローマ帝国が滅びたのち、イエスから神の代理人とされた教皇は寄進により領土を持つようになる。また神聖ローマ帝国皇帝という王権が登場すると、正統性を得るためにローマ教皇による戴冠(承認)が必要とされた。これにより世俗国家の上にキリスト教、というよりも教皇権が君臨することとなったが、同時に教皇と皇帝の権力闘争も激化した。

時の教皇と皇帝の力関係は「カノッサの屈辱」では教皇が優位に立ったが、フリードリッヒ二世のように何度破門されても意に介さず、ローマ法を研究した結果、近代法に通じる世俗法を施行し、政教分離を図ろうとする皇帝も現れた。またフランス王がアビニョンに教皇を「拉致」し、支配下に置いたこともあったし、皇帝がローマ教皇領を攻略し、ローマを略奪するなど、世俗の権力と教皇権は絶えず争い続けていた。

イスラムでローマ教皇に当たるのはカリフ(ただしスンナ派のみ)であるが、カリフは神の代理人ではなく、神の使徒ムハンマドの後継者との位置づけである。当初は政治指導者であったのが、宗教指導者の役割も担うようになる。王朝時代になるとスルタンなどの政治指導者に政治的実権は移るが、オスマン帝国時代にはスルタンがカリフも名乗るようになる。イスラムにおいては政治指導者と宗教指導者は分離しても権力争いとまではならずに並立し、統合すらされた。カリフはオスマン帝国解体・近代トルコ誕生にあたり、スルタンともども廃止され(1924年)、今に至っている。

 

② 教義と信仰のかたちの違い

キリスト教とイスラムでは信仰のかたちが異なっている。キリスト教は、神(と精霊とイエス)を信じる内面、精神性を純化していくことが信仰であるのに対し、イスラムは内面に加えて(ただし内面を問うのは神のみ)、クルアーンが定める行動規範を生活のあらゆる場面で実践するのが即ち信仰の体現である。聖なる生活と俗なる生活は一体なのである。

戒律の厳しいイスラムはなんて窮屈なんだろう、と私たちは捉えるが、規範があるというのはある意味楽なことでもある。規範さえ守っていれば敬虔なムスリムとして、幸福な来世が約束されるのだから。

ローマ帝国亡き後、イスラムはごく短い間にアラビア半島から北アフリカ、西アジアを領有支配するに至った。これにより、ローマ後期にキリスト教化されていた地域が多くイスラムになってしまった。イスラムは改宗を強制しなかったから、キリスト教徒もユダヤ教徒も今に至るまで共存してきたのだが、ほとんどがイスラムに変わってしまったのには理由があるはずだ。税金を納めなくていい(その代り喜捨は課された)というだけでなく、何かメリットがあったはずだ。

ローマが滅びに向かうとき、国家運営の支柱としてという政治的な必要性だけでなく、人びとにとっても、御利益型の多神教では得られなかった魂の救済や、救世主の再臨と最後の審判、死者の復活が約束され、国家が投げ出した福祉や医療を担う組織を持つキリスト教は、理と利のあるものに見えただろう。それと同じように、イスラムが勝利を収めた確固たる理由が、あったのだと思う。それは何か、というのが長く私の疑問であり、どんぴしゃりという回答はまだ得られていない。だが、イスラムがその時代社会に何らかの適性を持つ宗教であったということは確かだと思う。

 

③ 権力組織としての教会、単なる礼拝所であるモスク

ヨーロッパキリスト教世界には、上記に見たように確かに長い政教分離の闘いがあった。だがこれは、厳密にいえば国家と宗教の分離をめぐるものではなく、国家と教会の権力の争いである。キリスト教世界には、ローマ教皇領を除いて、宗教指導者が政治指導者でもある都市国家や領域国家はなかった。常にひとつの領域の中で王や諸侯が教会と権力を争ってきたのだ。この争いは地域内だけでなく、広くヨーロッパ全土に及び、ローマ教皇と諸侯、神聖ローマ皇帝との間でも繰り広げられたが(叙任権闘争)、何故このような争いが可能だったかと言えば、なにも教会の宗教的権威としての力がそれだけ強かった、というだけではないのである。

キリスト教は教区を持ち、聖職者にもヒエラルキーがある。いずれもローマ教皇を頂点とする組織化が完成しており、財産も持つ。教区では教会が誕生から結婚、死に至る信徒の生活の諸相に深くかかわるだけでなく、告解によってその内面までも問う権威を持っていた。この力と政治的統治権力がぶつかるのは当然のことである。

また、中世を通じて教会は異端審問や魔女裁判などを行い、その暴虐的な権力性を高めた。免罪符の発行など腐敗も進んだ。それらもあって、神の(代理人による)支配への反発(宗教改革)と、多神教的哲学的古代への復興運動(ルネッサンス)が勃興し、聖と俗の分離を求める志向性もさらに高まったと言える。

(余談だが、古代の文献を保持したのはイスラム世界である。シチリアや南イタリアには進んだアラビアの科学や、灌漑・かんきつ栽培などの技術だけでなく、ギリシャ語からアラビア語に訳された古代の文献も(逆)輸入され、これが後のルネッサンスに繋がっていくのである。)

イスラムには異端審問も魔女裁判も起こらなかった。何故かと言えば、イスラムの信仰は個人と神との問題であり、神以外が内面を問わないからである。実際に個人と神の間に内面を問いただす権力を持つ聖職者がおらず、組織もないのである。イスラム法学者はクルアーンやその他聖典の解釈をするだけであり、権威はあるが聖職者ではない。ムスリムは法学者の解釈に従っても従わなくともよいとされる(イスラム法的には)。また、モスクは単なる集団礼拝の場であり、教会のように教区を持つわけではなく、組織化もされていない。

イスラムにおけるカリフとスルタンの関係では、キリスト教ヨーロッパ社会のように、聖と俗に別れてその優位を争うことがなかったことに加えて(実質は世俗の権力争い)、個人においても、キリスト教中世のようには宗教が個人を抑圧することもなかった。つまりイスラムでは政教分離は、国家政治においても個人生活においても必要がなかったのだ。

 

④ 政教分離の実態

視点を現代に戻そう。欧米キリスト教圏は政教分離国家だと言われている。が、この政教分離も色合いは様々で、フランスのように厳密に公共空間から宗教性を排除しようとしている国もある一方で、ドイツやイタリアのようにキリスト教政党が政権に議席を持つ国もある(ちなみにドイツでは公教育で宗教教育–ただしキリスト教のみ–を受ける権利を保障している)。またアメリカにおいては、キリスト教原理主義者が(特に共和党に)強い政治的力を持ち、彼らの意見は政治を動かしてもいる。

またイスラエル建国をめぐっては、聖書の「ユダヤ人の約束の地への帰還」が国際的に認知されている。シオニズムは宗教運動ではなく、宗教神話を歴史的根拠に拡大解釈し、領土獲得(侵略・占領)を正当化する政治(民族)運動だと思うのだが、これを宗教運動と見るなら、政教分離原則の観点からは批判するべきである。

イスラム社会においても政教分離はさまざまである。国際的には、政教分離や一致は実はそれほど重要視されていない。たとえばイランは、イスラム革命により、アメリカの傀儡政教分離政権を倒して政教一致国家となった。欧米は非民主的な宗教独裁であるとか、女性差別的であるとかと言って批判するけれど、本音はいずれもどうでもよくて、ただ単に反欧米だから認めないのである(いずれにしろ、世界秩序にイランはすでにしっかりと組み込まれている)。これはサウジアラビアを対比させれば明瞭である。イランは非難するのに、やはり厳格なイスラムを統治に利用しているサウジアラビアが非難されることはない。サウジアラビアでは女性の運転は認められず(その後2018年6月に認められるようになった)、斬首公開処刑も公然と行われているというのに。

ヨーロッパのスカーフをめぐる論争を見ると、キリスト教圏の政教分離のご都合主義がよくわかる。あるときは世俗主義からスカーフを脱げと言い、あるときはキリスト教文化の観点からスカーフを忌避する。

そもそもフランス等の世俗主義は、宗教といえばキリスト教で、キリスト教(教会)と国家の分離ということしか想定していなかったように思う。その想定していなかったイスラム移民が増え、同化政策も多文化主義も必ずしもうまく機能せず、イスラム回帰が顕著になる過程で、問題はかつての政教分離より複雑なものとなっている。

このように、イスラムに政教分離を迫る論点にはいくつもの矛盾がある。また、国家と宗教の分離が絶対的であるとするには、まず国家と、宗教に対する国家の優位の両者の絶対性が前提となる。これはキリスト教(非イスラム)近代国家の枠組みであって、それををそのままイスラムとイスラム社会に無理やり当てはめようとする点において、ムスリムの人々の必要や必然を無視した乱暴なものである。そこにはイスラムは劣った宗教であるという差別や、イスラムに対する嫌悪や無理解も透けて見える。

イスラム世界においても、イランやサウジアラビアのような国もあれば、トルコのように、フランス並みの政教分離を掲げて近代化を進めてきた国もある。

だがそのトルコにおいても、ムスリム同胞団系の政権が続き、公共の場でのスカーフ着用が実質自由化されるなど、しだいにイスラム色が強まってきている。トルコといい、イランといい、(少なくとも一旦は)西洋近代民主主義を取り入れた国で、世俗主義が強化されるのではなく、むしろイスラム回帰が進んでいることがどういうことかを、考えるべきだろう。

またエジプトでは、ムスリム同胞団のモルシ政権でも、政変後の世俗軍政のシシ政権でも、憲法の法源は同様にクルアーンとハディース(ムハンマドの言行録)であると、明記されている。他の政教分離のイスラム国家も、ほとんどは近代法とイスラム法の折衷を採用しているという。

 

④ イスラム回帰するイスラム世界

イスラムが非常に強靭な宗教であるということは、イスラム世界で社会改革運動が起きるとき、常にイスラム復興運動が主導的となることからも明らかである。ヨーロッパ植民地からの解放闘争でもそうであった。「アラブの春」による民主化運動でイスラム政党が躍進したのも、イスラムの中にある草の根的、相互扶助的な民主性や社会福祉事業の実態が現実的な政治勢力として支持を得ていたからであろう。

このように、イスラムによって公正な社会が実現するという主張が現代においても可能だということは、イスラムの法制度や宗教体系がそれだけ完成されていると言うことも出来る。だが、非イスラム社会はこのようなイスラムを評価せず、いまだ西欧民主主義だけが正しいと言っているように私には見える。また、イスラムは個人の信仰の教えと掟においては宗教であるが、社会の統治制度や法体系である点で、民主主義と同様の政治イデオロギーである。ゆえに、イスラムを宗教とだけ捉え、宗教が政治に口を出す、という見方は成り立たないのである。

昨年のエジプトの政変で、ムスリム同胞団が政権を追われ、軍が政権を押さえる姿を目の当たりにした。私は当初、民主化を求めると何故イスラムになるのか、まず一昨年の民衆革命の帰結に納得がいかなかった。その宗教独裁化と経済政策の失敗から新たな民主化デモが起きた時、今度は軍という正反対に針が振れるのも、同じく納得がいかなかった。だがそれは、私自身が西欧民主主義の枠組みにイスラム社会を当てはめてみているだけなのであると、次第に思うようになった。

彼ら固有のイスラム的民主主義が必要なのだということは、最初から分かっていた。それが西欧民主主義と異なることも、頭では理解していたつもりだった。けれども私もその時まで、実は政教分離は必要だと強く思っていたのだ。それが変わったのは、政教分離というと軍の独裁体制になってしまうことの意味を、考えたからだ。軍独裁は利益誘導親米欧であり、下からの社会改革を押さえつける。中東・アラブ社会に残っている遊牧民的な部族社会は、軍政と非常に親和的であり、世俗主義でイスラムの相互互助や富の分配概念、公平性などを取り去ってしまうと、歯止めなく強権独裁的となり、かつ腐敗しやすいのだとも考えられる。

けれども、アラブ・イスラム社会が、今、民主化と社会改革を切望しているのは確かなのだ。そこで人びとが何を支柱として立てるのかは、そこに住む人々の選択にゆだねるべきだろう。平和のイスラム改革を支持し、応援することこそが必要なのではないか。それをしないことが、「イスラム国(IS)」のような暴力的な「改革運動」を生むのではないか。

それをしないどころか、かつての東西冷戦時の資本主義と共産主義という対立軸に代って、キリスト教西欧近代民主主義対イスラムというあらたな対立軸が固定化されつつあるように思う。友人は、「イスラムなんてどうでもいいけれど、中東の争いは解決してほしい」という。だが、イスラムと向き合うどころか敵対するばかりでは、中東の争いは解決どころか一層激烈なものになるだけだろう。たとえISがつぶされたとしても、ISが出現する条件が変わらない以上、おそらく別のISが出てくるだけだ。

押さえればむしろ地に広がる、攻撃すれば当然先鋭化する。「イスラム国」を全共闘と、誰かが言っていた。友人はオウム真理教と対比させた。私はポルポトを思い出していた。けれども、そのいずれとも異なるのはイスラムの存在である。イスラムは1400年にわたり、様々な様相で生き延びてきた。カリフがいなくとも100年も平気でいた。16億のムスリムの姿も、私が知っているイスラム圏6か国*だけでも、様々であった。場合によっては、その必要性があれば、イスラムは内部から世俗化(政教分離)するだろう。もともと世俗的な宗教なのだし。

*カタール、シリア、ヨルダン、トルコ、エジプト、モロッコの6か国だが、インドネシアをカウントするのを忘れていた。その後2015年にウズベキスタンに行ったので計8か国である。

最後にもうひとつ。

トルコが世俗主義に大きく舵を切ったころ、欧米諸国は先進的であり、その発展には未だ陰りは見えなかった。日本の脱亜入欧もそうであるが、欧米が繁栄の優れた国家モデルであり得た時代、欧米型近代国家を目指し、世俗主義を取り入れることは魅力ある選択であった。だが、あれから一世紀を経てみれば、理想モデルは必ずしも理想的であるばかりでなく、自分たちを「食い物にして」繁栄しているという図式もまた、見えてくるのだった。

政教分離が必要だというのなら、近代国家が良きモデルであり続け、それには政教分離が不可欠であり、そのことによってイスラムにもこのようなメリットがある、ということを政教分離を果たした側が目に見える形で示す必要がある。だが、今の私たちに、これが出来るだろうか。

 

※参考:

★2011年に同志社大で行われたカリフ制をめぐるシンポジウム
3年前の考察が見事に顕在化している。
CISMOR講演会「東西間のイスラーム・カリフ制 −歴史的考察と現在の展望」

★読みっぱなしだけれど、抜粋だけでも参考として。
『ユダヤ教・キリスト教・イスラームは共存できるか』

追記 2015.2.24

興味深い記事を読んだのでメモとして。

イスラム世界がなぜキリスト教世界のような近代化を成し遂げられなかったのかという理由の一つに、後者のユダヤ金融を取り入れた結果である経済のダイナミズムに対するに、前者の異教徒への寛容な税制に見るような「停滞」的な経済システムをあげていて興味深い。

キリスト教とイスラム教の劇的な和解を演出する(伊東 乾  JBPress 2015.12.24)

追記 2016.7.13

日本人の多くは、日本は政教分離の国であると認識している。では公明党は? というようなことを ③政教分離の実態 に追記しないといけないかなあ、とは思っていた。

たとえ政教分離が(表向き)定着した社会であっても、宗教に政治を目指す(取り込む)必要性や志向性がある以上、宗教と政治の両者にとって益がある地点で、手打ちはなされる。

さて、安保法制強行採決のあと、にわかに現実味を帯びてきたのが憲法改正である。16年7月の選挙の結果、改正派は参院でも改正発議に必要な議員数三分の二を獲得した。が、これは、公明党がいるからこそ可能となる数字である。

もう一つ、改憲に大きな力を果たしているのが「日本会議」という「宗教右派統一戦線」である。会員38,000人のうち289名が現職国会議員であり(2015年8月)、第3次安倍内閣では、閣僚19人のうち15名を会員が占めた。これを神社本庁を筆頭とする神社界と新興宗教が支えている。

日本の「政教分離」を言うときは、以下の点から目をそらすべきではない。即ち、日本の政治を大きく変えていく力を、二つの宗教組織ががっちりと握っているということ、そして、特に「日本会議」は、その宗教感に基づく国体や憲法の成立を目指し、政治の中枢に深く入り込んでいるということ。

「日本会議」は、なかなか日本の主要メディアが取り上げなかった。「日本会議」そのものが注目を浴びることを徹底して避けてきたということと、昨今のメディアの腰引けのためもあっただろう。報道は海外メディアが主導した。

今年になり何冊か話題となる本が出た。TVの選挙特番では(安倍)自民党の支持母体として紹介もされた。このことについては「選挙が終わってからじゃ意味がない(投票の参考にならない)」という声もあるが、今後のためにも可視化は大事である。

国会議員の4割が参加する謎の団体「日本会議」とは(COURIER Japan 2015.8.4)
憲法改正を訴える日本会議の「危ない」正体-「宗教右派の統一戦線」が目指すもの(東洋経済online 2016.7.12)

2016.7.25

日本人がいかに「政教分離」の<多様性>にについて知らないか、またキリスト教圏の政教分離の比較考察等、専門家による興味深い記事を読んだ。
「日本人の知らない〈政教分離〉の多様性――宗教との向き合い方は永遠の課題」『論座』(朝日新聞社)2001年10月号

追記 2017.2.9

首相や閣僚の靖国参拝は問題視されるのに、伊勢参拝はほとんど問題視されないことや、「日本会議」派がめざす国家神道=明治憲法への回帰に抗う現天皇の姿勢など、興味深い指摘。
(憲法を考える)揺らぐ政教分離 宗教学者・島薗進さん(朝日新聞 2017.2.9)

「(2013年、安倍首相が伊勢神宮式年遷宮の「遷御の儀」に参列したことは)安倍首相が伊勢神宮神道で国家行事を行うようなもので、憲法が定める政教分離に照らして大きな疑問のある行為です。16年のG7サミットも伊勢志摩で行い、伊勢神宮で、通常は入れず正式な参拝の場である『御垣内(みかきうち)』に各国の首脳を導いています。外交行事に特定宗教を持ち込んだという疑念がぬぐえません」

靖国参拝は外交上の問題で(も)あるからして外部から抗議が来るが、伊勢参拝は誰よりもまず国民が政教分離の憲法違反であると、声を上げなけらばならない問題である。が、この点、私たちもメディアも実に甘い。

同時に思うのは、神道や仏教に対する私たちの「非宗教」感である。葬式や初もうでを宗教行為と思って行っている人がどれだけいるだろう。宗教のこのような慣習的行為は、教義で規定されているわけではない。なのにあまりにあたりまえになされている点で、日常の行為が信仰の実践であると自覚的に行っている社会と同じように、強固に宗教が暮らしと一体化している、とも言える。

私たちが自分の国の政教(聖俗)一致に甘いのは、このように俗から聖を抽出分離することが苦手であり、ゆえにその行為の宗教性に無自覚であることも、関係しているかもしれない。葬儀に参列して読経に唱和し、神社の賽銭箱を前に祈る自分を無宗教だと主張することの奇妙さ。その人間の言う「政教分離」は、もしかしたら宗教の脱宗教化ということなのだろうか。

と追記追想していたら何だか別の論点が出てきてしまった…。

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2 Comments

  1. こんにちは、興味深く拝見しました。勉強になりました。ありがとうございます。

    私はイスラム国家が社会・経済を効果的に運営するためには政教分離が「都合がいい」と思います
    イスラム国家だから政教分離が難しいわけではないと考えます。

    (ぼんやりとインドネシア、戦時中の日本、米黒人解放運動、北朝鮮の例を考えて)
    どの宗教かは関係なく、戦うべき敵が目前に迫っているときには政教一致のほうが
    効率がよいのだと思います。戦闘準備状態になく、内政に専念しなければならない
    場合には政教分離のほうが都合がよいのだと。

    イスラム諸国は政教分離ができないのではなく、今の現実の国家が置かれた状況によって
    政教一致を選んでいるのだと思います。

  2. 江間さん、コメントありがとうございます。

    >どの宗教かは関係なく、戦うべき敵が目前に迫っているときには政教一致のほうが効率がよいのだと思います。戦闘準備状態になく、内政に専念しなければならない場合には政教分離のほうが都合がよいのだと。

    なるほど、確かにまずは国家運営ということですよね。

    >イスラム諸国は政教分離ができないのではなく、今の現実の国家が置かれた状況によって
    政教一致を選んでいるのだと思います。

    この視点はとても重要だと思います。
    貴重なご意見ありがとうございます!

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