集団的自衛権行使容認についての英 Financial Times を読んだ。
ひねった書き方だけれど、日本のあやうさも指摘している。
また、田中宇氏は、アメリカの戦争の内実や帰結を、
集団的自衛権で参戦した諸外国がどう検証しているかを書いている。
そこには彼らの苦い悔恨がある。
手法にのぞくあやうさ、すでに「検閲」も ?
・「普通」の国に徐々に近づく平和主義の日本 (Financial Times :JBPress 7/4)
世界のほとんどの国が持っている集団的自衛権を日本が持つのを非難することはできない、という文脈ながら、手法の問題と「国家の検閲」を指摘している点に注目。
他国に与えられている権利を日本に認めてはならないと言うことは、日本は一意的に信用できない、あるいは悔悟しない国だということを暗示する。これは確かに中国と韓国の多くの人が抱いている見方だ。日本政府は数々の場面で謝罪したが、そうした謝罪の誠意が疑われている。
しかし、日本は戦後の実績によっても判断されるべきだ。確かに日本の平和主義は米国の核の傘に保護されてきた。だが、日本は1945年以降、どんな紛争にも一切、直接関与していない。
2番目に、安倍氏はずるかったか? 名高い学者のドナルド・キーン氏は憲法9条を「日本の誇り」と呼ぶ。修正するのではなく解釈を見直すことで、安倍氏はほぼ間違いなく負けただろう国民投票の必要性を回避した。
「人々は、安倍氏が日本をどこに向わせようとしているのかについて大きな不安を抱いている」。東京のテンプル大学のジェフ・キングストン氏はこう言い、平和主義は日本国民のアイデンティティーの「試金石」になったと指摘する。
確かに、これほどの大きな変更について国民的議論が不足していた。ある男性が憲法解釈変更に抗議して自分の体に火をつけた事件が報道に値すると考えた日本のメディアがほとんどなかったことは心配だ。中国メディアが同じように選択的な報道をした時、我々はそれを国家の検閲と呼ぶ。
3つ目は、憲法解釈変更が国会に承認されると仮定して、安倍氏が新たに勝ち取った自由で一体何をしようとしているのか、という問題だ。それと関係するのが、近隣諸国、特に中国がどう反応するかという問題だ。一部の日本人は、日本はこれで次の米国の軍事的冒険に引きずり込まれると確信している。
ワシントンでは、次第にその反対のことが懸念されるようになっている。つまり、東シナ海での日中の領有権争いを巡り、米国が紛争に巻き込まれかねないということだ。
安倍氏は、日本はフィリピンなどの比較的小さな国が自国の領有権を中国から守るのを助けられると示唆しているように見える。これはフィリピン政府やベトナム政府に安心感を与えるかもしれないが、中国政府を憤慨させる可能性がある。
より標準的な防衛態勢を取る日本の権利を否定するのは難しい。だからと言って、我々がそれを祝わねばならないわけではない。
アメリカの戦争を検証しない周回遅れの日本
集団的自衛権は、日本が同盟国であるアメリカの戦争に参戦するか、あるいはアメリカが日本の戦争を支援するか、両方の可能性があるわけで、後者に対してアメリカ国民は「巻き込まれたくない」と懸念しているわけだ。
だが、これまで世界各地で散々戦争をしてきた国がアメリカであることを、忘れるわけにはいかない。どれだけ厭戦気分が高まっていようとも。今もイラクでは、ずるずると軍事介入しそうな気配がある。
安倍首相が、ホルムズ海峡の機雷除去にこだわったのは、日本の参戦可能範囲をアジア近郊だけでなく、中東まで広げておきたいからだろう。
と思っていたら、菅官房長官がそれは可能だと昨日発言していた。公明党の「歯止め」などあっさりと無視されたわけだ。
菅義偉官房長官は3日のNHKの報道番組で、集団的自衛権を使って中東ペルシャ湾のホルムズ海峡で機雷除去を行うことについて、「(武力行使のための)新3要件を満たす場合に限り、(自衛隊が)機雷を除去しに行くことは可能だ」と述べ、機雷除去に地理的制限はないとの考えを示した。
菅氏は、ホルムズ海峡が日本に原油を輸送する重要な航路だと位置づけた上で、「機雷がまかれるような事態になれば、国民生活にとって死活的な問題になる」と強調した。
・ホルムズ海峡で機雷除去「可能」 集団的自衛権で菅氏
(朝日デジタル 7/4)
日本はこれまで、アメリカの戦争はどのような戦争だったのかをきちんと検証してきていない。
では集団的自衛権で参戦を余儀なくされた欧米中東諸国は、それで何を得て何を失ったのか。それらの国は、アメリカの戦争の帰結をどう判断しているのか。
・集団的自衛権と米国の濡れ衣戦争 (田中宇 7/3)
世界的に、集団的自衛権の代表的なものはNATOの規約5条だ。一つの加盟国が攻撃されて反撃する場合、他の加盟国は、要請されたら参戦する義務 がある。01年の911テロ事件で、米国は「アルカイダから攻撃された」と表明し、NATOに5条の発動を要請し、これに応じてアフガニスタンへの侵攻と 占領がNATOによって行われた。あれから13年、NATOのアフガン占領は失敗で、タリバンやその他のイスラム過激派をほとんど弱体化できないまま、今 年末までにNATO諸国の軍が撤退する。米国の傀儡のはずのカルザイ政権は、米国の言うことを全く聞いてくれなくなっている(最近選挙がおこなわれ、近く 政権交代する予定だが、選挙結果でもめている。)。 (ドイツ・後悔のアフガン)
03年のイラク戦争は、米国が単独覇権主義を掲げ、国連やNATOによる侵攻を拒否し、単独での侵攻を目指したため、米国は他国に集団的 自衛権の行使を求めなかったが、英国、豪州、ポーランドが、米国との関係を重視して自発的に参戦した。日本も自衛隊が戦後の占領に参加した。米国がイラク への侵攻を世界に容認してもらうには、イラクが米国に対して脅威を与えていることを証明する必要があったが、米政府は稚拙な説明に終始し、イラクが大量破 壊兵器を持っているという、後で簡単にばれてしまうウソ(ニジェールウラン問題)をついて侵攻した。集団的自衛権を行使して米国のイラク侵攻に参戦した英国はのちに、参戦は大失敗だったと結論づけている。
日本での集団的自衛権の議論は、敵国が明示的に米国を軍事攻撃して戦争になる場合のみを想定しているが、近年の米国の戦争は、そのような古典的な場合が皆無だ。昨今の戦争はもっとウソ(情報操作)に満ちている。派手なビル爆破があった911テロ事件も、米当局の自作自演性について疑いが全く消えていない。イラク戦争や、他の反米的な中東諸国に対する侵攻や威嚇も、米国が脅威を受けたことへの反撃ではない。イラク、イラン、シリアに対する侵攻や威嚇は、 米国がかけた濡れ衣に基づいている。
イラク戦争の大失敗が確定するまで、集団的自衛権を自由に行使できる欧州や中東の親米諸国は、米国の世界支配に協力した方が国益になると考え、米国の濡れ衣やウソに見て見ぬふりして戦争行為につき合った。だが米国の戦争や占領はイラクでもアフガンでも失敗し、米国は何の利権も得ずに撤退を決めた。イランやシリア、リビアに対する威嚇も戦果につながらず、米国に協力した欧州や中東の諸国は、集団的自衛権を行使して米国に協力することに対して、大きな疑念を抱くようになっている。日本は、そんな「あとの祭り」的な状況の中に、のこのこと「うちも集団的自衛権を持ちました」と出ていくことになる。
そういえば今日、このタイミングでの日本の集団的自衛権保持宣言を、周回遅れという言葉で表現しているツイートがあった。内田樹さんの講演か何かの実況かな。でも、言い得て妙だと思う。「普通の国」はもう、今までのやり方でいいのか ? ということを考え始めているのだ。それは彼らの実体験からの冷静な検証による。いったいアメリカの戦争に加担して何の得があったのか、と。
私たちにも、アメリカの戦争の帰結は、事実として見えている。ベトナムしかり、アフガニスタンしかり、イラクしかり。が、他のことに目がくらんで、このことが全く見えていない人たちがいる。なんと国のトップと中枢に。
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