イラク情勢、カリフ制、「イスラム国」(IS)… 関連記事&メモ 7/8追記

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目に留まった記事をメモとして。
きっと読んでも読んでもさっぱりわからないんじゃないか。
そうも思いつつ、ばらばらと読み拾っている。

カリフ制樹立を宣言した「イラクとシャームのイスラーム国」の過去・現在・将来(髙岡豊 / 現代シリア政治 SYNODOS 2014.7.4)

概要としては…
・「イスラム国(IS)」の原型は80年代のアフガニスタンに対ソ連戦で参加したムジャヒディン(アラブ人義勇兵)である。アル・カイダの下部組織ではなく、なかば独立した組織として競合・緊張関係にあった。

・2001年アメリカのアフガン侵攻に伴い、アメリカの次の標的とされるイラクに拠点を移し、2004年にはビン・ラディン配下に。名称を「タウヒードとジハード団」から「二大河の国のアル=カーイダ」に(2006年には「イラク・イスラーム国」に)。

・この事は、「アル=カーイダの名義や威光を借りて活動を強化するというモデルの先駆けとなった」が、必ずしもイラクでの支持や組織の拡大にはつながらず、人員を外国からリクルートする必要があった。また彼らの極端なシーア派攻撃や暴力性からもイラクでは周囲から孤立していった。

・シリアの「アラブの春」後、反アサド政権の戦闘にヌスラ戦線として参戦、2013年には「イラクとシャームのイスラーム国」ISISと改名。
ISISはイラクではテロ集団とみなされ、シリアでは「正義」(反アサド武装闘争ではその担い手の出自は問われず)とみなされた。また、「世界各地でシリア反体制武装闘争のための資源の調達が黙認・奨励された」ことによりISISは資金・武器・人員を獲得し、それがイラクでの大規模攻撃に投入された。

・彼らには早い時期から「現在存在する国家や国境には拘束されず、むしろそれらを破壊・解体することを目標とする意思」があり、それは組織の名称にも表れている。
シャームはシリアと訳されることもあるが、それは今のシリアという国ではなく、現在のトルコの一部、シリア、レバノン、ヨルダン、パレスチナを包括する地域を指すかつての呼称として用いている。「二大河の国」というのにも、現代の国境で分かたれた国を超えた構想がある。

・その後ヌスラ戦線の一部がISISから分裂対立。ISISは、アル・カイダのザワヒリ―の、シリアはヌスラ戦線に任せ、ISISはイラクに戻るべき、という声明に「サイクス・ピコ体制(第一次大戦後の英仏による分割統治の国家割り)に屈服している」と反発。

「イスラーム国」の活動範囲や地理認識が既存のイラクという国家に収まらないものである以上、今般の「イスラーム国」の攻勢とイラクの治安情勢を、 イラク国内の「宗派対立」や「宗派・民族間での政治・経済的権益の分配比率」の問題として対応しても、抜本的な対策とはならないだろう。イラクの政界での権益の分配状況に不満を持つ勢力が「イスラーム国」を支持したり、同派と連携したりしていたとしても、そのような行為は「既存の国家の枠内での権益を巡る紛争」に、「権益分配の基となる体制そのものを破壊しようとする主体」である「イスラーム国」を招き入れるという矛盾した行為である。

「イスラーム国」自身はそのような政治・経済紛争の帰趨を意に介することなく、彼らの闘争を続けるだろう。その上、「イスラーム国」は今般の攻勢でイラク軍から大量に奪取した装備や兵器をシリアへ持ち込み、同地での戦闘に投入しつつある。シリア紛争を口実に資源を獲得したおかげでイラクの治安情勢の 主役に復活した「イスラーム国」は、今度はイラクで奪取した資源を他の地域での勢力拡大のために用いようとしているのである。

以上の通り、現在の「イスラーム国」の活動は、彼らが「サイクス・ピコ体制」と呼ぶ既存の国際秩序に対するイスラーム過激派の挑戦を具現化したものである。イスラーム過激派の脅威・危険性としては、彼らの苛烈な武装闘争や極端な宗教実践が注目されがちである。しかし、イスラーム過激派の思想・実践の真の脅威(あるいは歴史的意味)は、この度「イスラーム国」が可視化したような、既存の国家や国境に対する挑戦にある。

現在の国際関係や経済の秩序、そして我々の生活そのものが既存の国家を単位としている以上、「イスラーム国」の問題はイラク国内の権益争いでも、シリア紛争の中での些細な支配地域争いでもない。また、「イスラーム国」の挑戦は、アル=カーイダへの挑戦に示されるようなイスラーム過激派の中での威信や主導権を巡る挑戦にもとどまらない。現在の国際秩序全体への挑戦として、「イスラーム国」の壮大な挑戦は端緒についたばかりなのである。

 

この論考では、彼らが目指すカリフ制やカリフ国家は、「既存の国家や国境に対する挑戦」、「現在の国際秩序全体への挑戦」とされているけれど、それはあまりに西欧寄りの見方ではないだろうか、という気もする。
ではそのカリフ国家というのはどういうものなのだろう。単にサイクス・ピコ体制以前のイスラム国家、というだけのことではないだろう。

この場合、私たちにわからないのは、カリフ制やカリフ国家がどういうものなのかということだけでなく、イスラムの人はそれをどう解釈しているのか、共通の認識があるのか、ISはイスラムに広く共有された概念としてカリフ制を標榜しているのか、それとも独自の解釈で言っているのか、というような多岐にわたることごとである。

実は日本に、そのカリフ制の再興を掲げているイスラム学者がいる。自称「グローバルホームレス野良博士」の中田考氏である。しばらく前に内田樹氏との対談『一神教と国家』をとても面白く読んだのだが、そのときは氏の主張がこのような形で具現化するとは思ってもいなかった。中田氏はISのカリフ制が、自身が主張するカリフ制再興につながるとは必ずしも捉えていないようだけれど。
中田氏のこんな講演録(2009年同志社大学)を見つけたので、あとで読もう。
・イスラームの今日的使命 : カリフ制再興による大地の解放

 

さて、イラクでは、マリキ首相は退陣を拒否しているし、クルドは独立を国民投票にかけると言う。トルコやアメリカは独立は認められないと反対するも、イスラエルは支持。またイスラエルは、イスラム国のヨルダン侵攻けん制のため、ヨルダンに軍事支援の用意ありと表明。

この間、ISは占領範囲を以下のように広げている。またISは占領下のモスルの公務員に給料を支払うようになったとのこと。国家を軍隊だけで構築維持することはできない以上、彼らの占領地があらたな国家になれるかどうかは、既存の行政機関をいかに取り込めるかにもかかっているわけだ。

「イスラム国家」はdir al zur 近郊の最大の町al mayadeen を占拠し、dir al zur の周辺地帯一体の支配を確保した。
これは同地からのヌスラ戦線の撤退に伴うものであるが、このため「イスラム国家」は、イラクとの国境地帯から東北部のアレッポ近郊まで、又北はトルコ国境近くのハサカからホムスやハマの近くまでの広範な地域を支配することとなったが、その面積はレバノンの5倍以上である。
こ れらの地域では、ヌスラ戦線やイスラム戦線等のグループや部族が次々に、「イスラム国家」に忠誠を誓っているが、現地の活動家は、このような状況が生じた のはmoukmarの陥落からで、その陥落は一部のヌスラ戦線及びオマール・モホタール部隊の裏切りが原因であった(たしかboukmar の陥落当時、ヌスラ戦線の一部かどの程度が「イスラム国家」に忠誠を誓ったのか混乱していた)としている。
(豊富な資金で「イスラム国家」が買収したとか、彼らの勢いに押されてこれに合流しようとしたとかの可能性も考えられます)
このdir al zur 支配で、『イスラム国家」はシリア最大の油田オマールの支配も手に入れた。
・ シリア情勢(3日)(中東の窓 2014.7.4)

イスラム教スンニ派(Sunni)武装勢力「イスラム国(Islamic State、IS)」が、イラクと国境を接するシリア・デリゾール(Deir Ezzor)県で、シリアの主要な油田とガス田を全て制圧した。英国を拠点とする非政府組織(NGO)「シリア人権監視団(Syrian Observatory for Human Rights)」が4日、明らかにした。
武装勢力「イスラム国」、シリアの全主要油田を制圧(AFP 7/5)

 

 追記 7/8

「イスラム国(IS)」の武力制圧は、必ずしもISだけでなされているわけではない、ということと、彼らの手法や主張も他のスンナ派の人々から受け入れられてはいない、という指摘。

「イスラム国」、派内に反発 イラク・スンニ派 幹部「シーア派敵視は違う」(朝日デジタル 7/6)

 スンニ派宗教者が集まる「イスラム宗教者委員会」は声明で、「イスラム法の正当性はない」と批判し、宣言の撤回を求めた。「今のような状況で国の設立を宣言することは、民意を分裂させ、利益はない」とする。

スンニ派政党のイスラム党幹部のアンマル・ゼンアブディン氏は「スンニ派地域をシーア派のマリキ政権が支配することも、ISが支配することも認められない。われわれが求めるのは地元のスンニ派市民が警察や治安部隊となって、スンニ派地域の治安を守る仕組みである」と話した。

 これらのスンニ派勢力はマリキ首相が辞任すれば、話し合いによる解決で、シーア派と権限を分け合う政治体制を求める意向だという。

これはつまり、カリフ制という志向性をこれらのスンニ派組織は持っていない、ということだ。昨日読んだ中田考氏の講演録(イスラームの今日的使命 : カリフ制再興による大地の解放)によると、「イスラーム政治の理念型、カリフ制、「イスラームの家」の実現を目標として掲げない政治運動は、イスラームの名を組職名に掲げていようと、イスラーム政治運動とは呼べません。」ということになる。

ただし、上記論考によれば、現実にカリフ制を宣言した「イスラム国」も、「理念としてのカリフ制」に合致しているわけではない、ということにもなる ?
氏の理念としてのカリフ制についてのメモは、別記事にしよう。

昨日だったかな、ISがパスポートを発行したというツイートが流れてきたのは。これでどこに行けるのか、という疑問はあれど、「カリフ」バグダーディ氏のモスクでの説教 ? を動画で流したことといい、やることがこれまでにないことばかり。しかも手際がいい。
説教の模様は、つい視聴してしまった。というのも、私たちがイスラムの説教や礼拝の様子を見る機会はそうないだろうし。それと、モスルのモスク内を見ることも。

 

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