『時をかけるジョングルール』

ジョングルール・ボン・ミュジシャンによる、
ヨーロッパ古楽器演奏によるライブに行った。
ジョングルールとは中世の放浪芸人のこと。
古楽器は音色が鄙びていて好きだし、ライブもそれなりに楽しかった。
演出がけっこう凝っていて、より中世の雰囲気に近づこうとする試み、
また、日本の中世とシンクロさせる試みなど、ある程度成功していると思った。
楽譜など記録に残っていない中世音楽ゆえ、
このような想像力は必要なのだとは思う。

けれども、物足りなさと違和感も残った。
ひとくちに言ってしまうと、ヨーロッパの中世と日本の中世、
そして、中世と現代という距離をどう埋めるのか、
それが果たして成功しているのか、ということだと思う。

たとえば、中世のキリスト教信仰やマリア信仰に基づく歌曲。
庶民の音楽であれば信仰といっても素朴なもので、
日本の仏教や日本的な信仰とシンクロは可能だという前提で構成されている。
観客にとってはなじみやすいし、オリジナルな解釈は評価もできる。
でも…、その分ヨーロッパ的中世からは遠ざかってしまったように感じる。

「遊びをせんとや生まれけむ」梁塵秘抄の一節がなつかしく響いた。
この言葉が呼び起こす旋律もイマジネーションも、
確かにヨーロッパ中世に通じるものがある。
が、語りはともかく、芝居部分の会話になると、
少し違和感がある(特にCDでは)。
テクニックや声の質もあるだろうとは思うけれど、
たぶん、あの音楽に載るに言葉が生々しすぎるのだ。
そして、ヨーロッパと中世、中世と現代という距離を縮めるのに、
少し性急なのではないか、と思った。
それらの遠く離れた要素が充分に咀嚼され、
ダイナミックに再構築されているとは言いがたいのだ。

難しいことではある。
意味の分からない外国語の歌詞を聴くのに比べ、内容理解は申し分ない。
その分楽しむこともできる。
楽しめる工夫は随所に凝らされている。
生々しいということは、それだけ今の私たちにとって、
情景がリアルに感じられるということでもある。
獲得しているものはかなり大きい。
ゆえに、このような瑕疵は気に留めるべきではないのかもしれない。
また、まったく気にならない人も多いだろう。

いずれにしろ果敢な試みであることは確かで、そのことは十分評価に値する。
ライブはCDよりもずいぶん進化しているように感じられたし、
先々もっと期待できそうでもある。

そして、昔よく聴いた、北欧のグループによる古楽器演奏を思い出した。
メロディのいくつかは覚えているのに、CDタイトルも、
グループ名も思い出せない。
行方不明なのだ、悲しいことに。

ついでにもう一つ。
これはどこかで聴けるかもしれない。
オリビア・ハッセーが主演した『ロミオとジュリエット』
群舞のシーンでの曲。あれも良かった。
ネットで探せるかなあ。

探すことしばし。

見つけた!!
そう、これだよこれ。
ノルウェーは KALENDA MAYA の 『Norse Ballads』から
Peder og liten Kirste

こちらはロミオとジュリエット。
二―ノ・ロータだったんだね、音楽。
さすが、よく咀嚼され、再構築されている。

 

———- メモ ———–

★Norse Ballads / Tracklist

A1 Peder Og Litem Kirsten4:07 
A2 Valivan3:47 
A3 St. Olavs Kappsigling6:08 
A4 Den Underjordiske Klippekonsert1:37 
A5 Marie3:26 
A6 Herre-Per Og Gjødalin2:10 
A7 De Två Systrarna2:25 
B1 Iddan Hermund3:49 
B2 Kong Gaud Og Ungan Herredag3:53 
B3 Heming Og Gygri2:50 
B4 Magnushymnen0:54 
B5 Nordafjølsen2:56 
B6 Villemann Og Magnhild1:43 
B7 Dei Frearlause Menn1:18 
B8 Lita Karin6:05 

Kalenda Maya/Amazon

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