イタリアは日本同様地震国である。
2009年のアブルッツォ州ラクイラに続いて、今回もイタリア中部のウンブリアが震源地であった。
思い返せば1997年、サン・フランチェスコ教会が被害を受けたアッシジも、
同じくウンブリア州であった。
「イタリアを貫くアペニン山脈は、地殻変動によって1年間に3ミリ程度、北東と南西の方向に徐々に引っ張られている」と指摘するのは、英国のダラム大学で地球科学の講師を務めるリチャード・ウォルターズ氏だ。
「このゆっくりとした伸張が地殻のひずみを増大させ、今回のような地震で放出されている」
イタリア中部、地震活動地帯でも歴史建造物と財政難で対策遅れる(Newsweek.japan 2016.8.28)
イタリアの地震対策には、日本とは異なる困難がある。イタリアで古い建築物は、オリジナルを保持した古さそのものが財産だからだ。上記記事によると、近年安全基準は厳しくなったものの、基準を満たす対策はあまり進んでいない。国の財政難も原因の一つとして挙げられているけれど、それよりも住民の次のような意識のほうが大きいような気もする。この意識は、歴史文化遺産を求めてイタリアに押し寄せる、私たち観光客の欲求と連関している。
65歳のアルティエロ・チナグリアさんは、アルクアータ・デル・トロント村でがれきに囲まれながら、日本式の安全基準をイタリアに導入することには悲観的なようだ。
「何をすればいいのか。新しい建物のために古い建物を取り壊すことなどできない。これらの街は夏は観光のために存在し、観光客は古くて美しい建造物を見たいと思っている」とチナグリアさんは話す。
「できることは何もない」
が、本当に「できることは何もない」のだろうか。
29日、被害の激しかったアマトリーチェのホテルのがれきの下から、滞在していた女性観光客の遺体が見つかった。
伊地震、捜索続く 文化財被害も深刻(朝日新聞 2016.8.30)
私たちはホテルに歴史的建築美と同時に耐震を求めるべきだ。そのためのコストが宿泊費に上乗せされることを受け入れるべきだ。他の歴史遺産に対しても同様である。耐震対策を進めなければ観光客が来ないとなれば、地元の人たちの考えも変わるだろう。
何よりアマトリーチェは街の半分が崩落してしまった。ひとたび地震に襲われれば、受け継いできた大事な遺産もあとかたなく消えてしまう。歴史的景観を愛でる観光客も、それを守る地元の人も、失うものの大きさを考えるべきだ。伊政府によると、この度の地震で「教会などを中心に293件の文化的に重要な建物が被害を受けた」と言う。(上記朝日記事参照)
イタリアはシチリア島にノートという街がある。周辺のいくつかの街と併せて、バロック建築の街並みが世界遺産に指定されている。ノートは1693年の地震で壊滅的な被害を受け、10キロほど離れた現在の場所に丸ごと移転してできた街である。
ノートは美しい後期バロック様式の街並みとして生まれ変わり、300年間守り受け継がれてきた。長い時間はかかったけれど、住民の集団移住と新たな街の建築という選択が、今日貴重な遺産となった。再建を主導したのは地元の貴族であったという。
東日本大震災が起きた時、その後も福島の帰還事業のニュースに触れるたびに、このノートのことを思い出す。地域コミュニティーの結束や意志や、それが行政の打ち出す政策とどう折り合っているのか、5年10年ではなく、100年200年先はどうなのか。
中世やルネッサンスの面影を残す街は、イタリア全土に散らばっている。それらの街は600年、700年前から同じ顔でそこに建っている。ローマの知人は、祖父母から受け継いだ400年前の家を、家族の別荘として使っていると言っていた。私たちとは建物の寿命に対する時間軸の桁がゼロひとつ異なるのだ。だからこそ残ってきた世界の遺産が、地震の活動期に入ったとされる今の時期を耐え、300年500年先まで生き延びてほしい。
確かにあの数の街街、歴史遺産の多さに、現状の景観を守りながら如何に耐震対策を施すのか、いったいそれにどれほどの費用がかかるのか、その困難さに気の遠くなる思いはある。だが、朝日新聞の記事に希望を持った。被害を伝えるだけの記事が多い中、貴重な取材記事である。
伊地震、犠牲者ゼロの町 震源近くの「ノルチャ」 教訓受け耐震化、街並みも維持(2016.8.28)
トリュフが特産で有名なノルチャ。中世に建てられた大聖堂がある広場を中心に城壁に囲まれ、多くの観光客が訪れる。米地質調査所(USGS)によると、今回の地震は南東約10キロが震源だったが、中心部は大きな被害を受けなかった。ゴムと金属の板を石材の間に挟むなどの耐震対策が各戸でなされていたことが理由とみられている。
一方、町全体が崩壊し、230人の死者を出したアマトリーチェは震源から南東約15キロ。死者ゼロのノルチャとは、対照的だ。
イタリア内陸部は、地中海でアフリカプレート(岩板)とユーラシアプレートがぶつかり合う影響でひずみがたまり、山脈沿いには地下に多くの活断層が走る。人口5千人のノルチャも、1979年の地震で歴史的な建物を含む多くの家屋が被害を受けた。97年にはマグニチュード(M)6.4の地震が襲った。そのたびに町全体で耐震化の努力が続けられてきた。
防災対策本部には26日、市民らが続々と相談に訪れていた。テウタ・トザイさん(51)は「自宅の壁にひびが入り、心配で。最初の2日はガレージで眠った」。希望者は全員が無料で耐震診断を受けられ、手当てが必要な場合は自治体から補助が出るという。役場のサンタ・フナリさん(58)は「すでに約2千人が相談にきた」と語った。
ノルチャがあるウンブリア州は、中世の石造りの街並みと自然の調和が美しい観光地。耐震だけを考えて近代的な建築にすれば魅力は半減してしまう。
パビア大学のパオロ・バズッロ教授(耐震建築)は石造りの建物について「現代建築のレベルの耐震性は望めないが、外観を全く変えずに倒壊を防ぎ、人的被害を防ぐことは建設費の10~20%の費用で可能だ」と指摘する。柱やはりの間に単純な構造のプレートを置くだけで安全性は高まる。
ただ、地震のたびに街並み再建が強調される一方、耐震補強は後回しにされがち。レプブリカ紙は、政府は1960年代以降に1500億ユーロ(約17兆円)を地震後の建物建設に充てたが、防災対応に割かれたのは10億ユーロだけとする。
今回は、人口密集地で周辺の建物が倒壊して巻き添えになったケースもあった。地質学者のアンドレア・モッティさん(53)は「大切なのは1戸ずつではなく、地区全体で耐震対策を行うことだ」と語った。
耐震より歴史(=観光価値)保全に重きがおかれる問題点も指摘されているが、成功例としてもっと注目されていい。地震多発地帯の街の人々と、訪れる観光客の両方に。
だが、イタリアの耐震対策にはもうひとつ重要な問題が潜んでいた。自然災害による被害は、防げる手立てを講じなかった人災によって拡大する。その人災の部分の暗部。これも朝日の記事から。
伊の地震、手抜き工事疑惑 耐震工事した学校など 死者は290人に(2016.8.29)
アマトリーチェでは大部分の建物が倒壊し、約230人が死亡した。2012年に国の補助金を受けて耐震工事を行った小学校も一角の天井や壁が崩れて大きく損壊。未明の発生で児童はいなかったものの、危うく多くの児童が犠牲になるところだった。
28日付のレプブリカ紙などによると、12年の耐震工事は柱や壁に金属を埋め込んで強化するものだったが、損壊後の調査で、そうした工事は行われていなかった疑いが浮上した。
また、震源から近いアクーモリでは、近年に耐震基準に合わせた改築を行った鐘の塔が倒壊。民家の上に落ち、幼い子ども2人を含む一家4人が死亡した。検察当局は、今回の地震で損壊した建物115棟について、セメントに混ぜる砂を通常より多くするなどの手抜き工法が倒壊の原因になった疑いがあるとして、調査している。
イタリアでは、過去に起きた地震の復興事業にマフィアなどの犯罪組織が絡み、粗悪な建材が再建に使われる悪循環が繰り返されてきた。マフィア対策を担当するフラン コ・ロベルティ検事はレプブリカ紙に「震災復興は歴史的に、犯罪組織と結託するビジネス集団の絶好の餌食だ」と語り、監視を強める考えを示した。
朝日の28日付記事には、まったくこの姿のままのサン・ベネデット広場の写真が掲載されている。正面市庁舎の柱廊も、右手サン・ベネデット教会の美しいゴシックのファサードも、13世紀のものである。
この時は11月の終わりで、冬空の雲の切れ目から雪で覆われた山肌が垣間見えた。一帯はトリュフだけでなく生ハムやチーズの山地でもある。広場の一角のハム屋には、たくさんの生ハムやソーセージと一緒に、「パンニーニお好みで(作るよ)」の手書きのボードがぶら下がっていた。10年ほども前のことである。
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