西部邁「もう嫌になった」

robai

【追悼・西部邁…】というタイトルで、
ビデオニュースから10年前の番組の無料放送が流れてきた。
Part1を視聴。三人とも若い。西部氏の切れ味も鋭い。
その後、自死だったと知る。

彼の場合、弱さからではなく、強さゆえのものであったように思う。何本か記事を読み、直前のAeraの対談記事も読み、直前の西部ゼミナール等の番組も視聴。「こんな国に生きているのがもう嫌になった」というのを、桜チャンネルの司会者は半ば流しながらも、西部流の物の言い方半分、西部氏ならやりかねない半分で聞いていたようにも見える。

私は、「こんな国に生きているのがもう嫌になった」というのを、聞く前から知っていたような気がする。西部ジャーナルでは、「言論は虚しい」とも言っていた。何も変えられないじゃないかと。怒りや絶望があって最後にくるのが静かな諦念で、そこに(自然死ではない)「病院死」拒否の死生観が重なれば、西部氏ほどの人なら結論はひとつなのであろう。自死には気力も体力もいる。それがあるうちでなければできない。昨年の10月22日に計画していたのが総選挙と重なったので延期したのだとも。

「なんで死ぬ死ぬと公言するのかわからない。だまって死ねばいいではないか」と言う声を聞いた。が、それでは「死」はただの憶測で「いじり」まわされる。病院死の拒否は自らの死を「いじられる」ことの拒否であったのだから、メディアによる「いじり」を(避けられないことではあっても)なるべく自らの意思の下にコントロールしたいと思ったのだと思う。

小林よしのりは「立派だ」と書いた。宮台慎司は「悲しくて泣いている」と。

思うのは、この国は与えられた民主主義の民度・成熟に到達できぬまま、むしろ身の丈のサイズに納まりつつあるのかもしれない、ということ。

西部氏は、もう一度戦争みたいなことがないとこの国はダメなのだ、というような言い方をしていた。そうなのかもしれない。

にしても、良い戦争より悪い平和だ! と思う。民度が低くて、トップがウソつきのバカでも、生き延びれば違う朝を迎えられるかもしれないではないか。

 

私、これ、視聴してたのになあ…。

「あとは知ったこっちゃない」のあとの間!

 

 

 

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