『血と言葉』

— 被精神分析者の手記 マリ・カルディナル リブロポート/1992.2
(フランスでの刊行は1975年)

森瑶子の『叫ぶ私』でこの本を知った。
森さんは、自身のセラピーの参考にこの本を読んだのだろうか。
それとも、小説の資料だったのか。
あるサイトに、精神分析(セラピー)を受けた側の記録としては、
『叫ぶ私』はセラピーの場でクライアントが主導権を持とうとしており、
セラピーががまともに行われたとは言いがたい(受ける身にはあまり参考にならない)
しっかりとした記録としては『血と言葉』がある、ともあった。

このところカウンセリング関連の本をよく読んでいるし、
このあたりで、精神分析とカウンセリングの違いを、クリアにしておくべきだろうか。
そう思ってちらっと検索してみたが、あまり深入りする気にならなかった。
精神分析的カウンセリング、などという言い方をしているカウンセラーもいて、
差異が明確でないようにも思えた。

ここではざっくりと、精神分析とカウンセリングの違いは、
無意識を扱うかどうか、という理解程度でいいように思う。

ただ、精神分析やカウンセリングと精神医療の違いは歴然とある。
精神分析やカウンセリングは、
心理的な傷の原因を対話によって浮上させ、
整理する手助けを行い、結果的にその傷が癒えることを目的とする。
カウンセリングはさらに、実際の問題となっている関係修復までを目指す。
一方精神医療は、頭痛やうつなどの身体症状を、薬物で治療する
(というふうに、私は(最近読んだ本などを通して)理解している)。

『血と言葉』の著者は、幼い頃から《あれ》による心身の不調に悩まされてきた。
幻視があり、激しい動悸や、発汗などのパニックに陥ることもあった。

フランス人入植者の娘としてアルジェリアに生まれ、育つ。
その後パリで大学に通い、仕事を得、結婚し、子どもを三人もうける。
夫との関係はうまくいかず、離婚を切り出されるも拒否。
夫は遠隔地に転勤し、ほぼ別居生活となっていた。

不調は不正出血が止まらないという形で、極限を迎える。
このままでは精神病院に入院するか、それとも自殺するしかない、
そう思い詰めた結果、著者は精神分析の扉を叩く。

効果は劇的だった。
たった一回のセラピーで、出血が止まったのだ。
この本は、著者が精神分析に通った7年間、
心の奥底に埋め込まれた傷を抉り出し、そこから自らを解き放っていく記録だ。

と、事前にある程度の知識を得ていた。
なので、『叫ぶ私』のような、分析医との対話の記録なのかと思っていた。
ところが、読んでみたらこれがまったく違った。

予想を裏切られたのは文体だった。
言葉のひとつひとつにみなぎる力がある。
ゆえに、読みにくいだろう、読むのに時間がかかるだろう、
という予想も見事にはずれ、三日ほどで読み終えた。
とくに後半は一気に読んだ。

『叫ぶ私』が、セラピーの対話記録の、クライアントによる再構築であるのに対して、
こちらは対話形式ではなく、一人称の独白として構成されている。
といって、精神分析医の元でほとばしり出た言葉がそのまま記されているわけではなく、
甦った記憶からひとつの場面が、その背景まで含めて、しっかりと描写されている。
分析医の姿は、まるで彼が黒子でもあるかのように、ほとんど見えない。

確かに、触媒である分析医は、もう必要ないのだ。
ここでは読者が、かつて分析医が座っていた暗がりにいて、
じっと彼女の言葉に耳を傾ける役を与えられる。

しばらく読んで、これは本当に単なる記録なのか? と思い、あとがきに飛んだ。
著者はれっきとした作家で、確かにこれは著者自身の体験なのではあるが、
本人は小説だと主張している、とあった。
ただし、フランスでは、ドキュメンタリーに分類されている、とのこと。

ところが、読み進めば進むほど、これは単なるドキュメンタリーではない、
という思いが募っていく。
これは質の高い小説であり、まさに文学だ、と。

著者の傷痕の原因は母親だった(ここでも!)。
両親の結婚は破綻していた。
母は離婚を決意したのだが、直後に著者を妊娠していることがわかる。
両親は正式には離婚せず、別居し、
別居後に生まれた娘は養育費をもらうために、時折父親の元を訪問させられる。

著者には姉と兄がいたが、姉は父親から結核をうつされ、亡くなっていた。
幼い少女は、死んだ姉(と兄)だけを熱愛する母から、愛されなかった。
ゆえに母からの愛を渇望して育つ。

その娘を、母は抑圧的に支配し、ある日、父親との離婚話のいきさつや、
妊娠がわかったときの絶望と、
おなかの子どもをなんとか堕ろそうとした試みを語って聞かせる。
堕胎は敬虔なカトリックである彼女には想定外だった。

激しい運動をしてみたり、自転車に乗ったり、
考えられるあらゆることを母は試みた。
それなのに、あなたは流れてくれず、元気な赤ん坊として生まれてきた、と。
「私を殺そうとした母」と、後に娘は母親を対象化する。

このような、著者の心を痛めつけ、引き裂き、深い傷を与えた様々な事柄が、
言葉の奔流となって、止まった血の代わりにほとばしり出る。
性や、排泄に対する忌避なども、母の言動や、
見知らぬ男のレイプまがいの痴漢行為として、 眠っていた記憶の底から掘り起こされる。
その描写に一切の容赦がない。
まるで優れた外科医が、病巣から全てのがん細胞を取り除こうとするかのようだ。

ところで、精神分析で語られたことは、
通常、分析が終わると全て記憶から消えてしまうと聞いている。
著者は、甦った言葉をどのように保持したのだろうか。
分析医も患者も、録音したり、メモをとったりはしなかったようなのだ。

ただ、彼女は、7年間のいつごろからか、書くようになっていた。
おそらく、言葉が、書き記すことを要求したのだろう。
あるとき、(単身赴任から)帰宅した夫に書き綴っていたノートを見せた。
夫は静かに読みふけった。
なにを期待したわけでもなかった。
ところがふと見ると、夫は涙を流している。
初めて夫は、妻を理解したのだ。

これにより、夫婦は新たな関係を築くことが出来るのだが、
もうひとつ、素晴らしいことがあった。
夫の薦めにより、妻はノートを出版社に持ち込み、それが本になったのだ。
妻は作家としての道をみつけた。
吐き出された言葉自体が、一人の作家を産み、育てたようにも思う。

そんな言葉たち。
アルジェリア独立戦争に重ねて(なんと今とシンクロするのだろう!)。

三色旗を賭した戦闘は、こうして終結した。パリの戦争大臣にとって、もはやアルジェリアでは戦争は行われていなかった。もはや大砲も弾丸も手榴弾もナパーム弾も、現地に輸送する必要はなくなった。フランス経済全体の会計簿にとって、事態は平穏そのものだった。なぜなら、浴槽、電極、顔への平手打ち、口への拳骨、腹や睾丸への足蹴り、乳房やペニスの先で火をもみ消すタバコは現地調達品、すなわち取るに足りない雑件だった。拷問は数えきれず、したがって数えられず、存在しなかった。拷問は単に想像の産物であり、したがって考慮の対象にはならなかった。

にもかかわらず、一切が荒廃、堕落し、内戦の血が大きな塊となって、歩道から文明というセメントで固められた幾何学的な道筋をたどって流れ落ちてゆくなかで、フランス領アルジェリアが恥ずべき断末魔を前にしていたのはたしかだった。アラブ人古来の反撃、はらわたを八つ裂きにしたり、性器を切り取ったり、胎児を宙吊りにしたり、喉をかき切ったりなどの恐るべき報復行為を伴った、汚辱に満ちた末期だった。

《あれ》が私のなかに恒常的に根を下ろしたのは、フランスがアルジェリアを虐殺しにかかっていると理解してからだったように思う。なぜなら、アルジェリアは私にとって真実の母だった。私にとって、子供の体内に流れる両親の血に等しかった。

パリ市内を袋小路まで、私はなんたるキャラバンを引いていったことか。なんたる愚かしい一族郎党を! 解体されたアルジェリアが、その悪臭を放つ傷口を白日の下にさらけだしている最中に、私は愛と哀しみの国、ジャスミンと揚物の匂いのたちこめる大地を再現しようとしていたのだ。自分の幼年時代に登場した作男や使用人や<召使い>、笑うことも走ることも、アメッド爺の盆からプリプリやトラムースをかすめ取ることも、「ラルーリラ」を歌うことも、太鼓に合わせて踊ることも、フライを揚げ、薄荷茶を入れることもできる少女に仕込んでくれたこれらの人たちを、私は医者のところまで運び込んだのだ。

アルジェリアでの描写は、ディネーセンの『アフリカの日々』を思い出させる。
けれども、ディネーセンが持ち得なかった視点が、ここにはある。
即ち、個的な経験の背後の広がりに向けられた、冷徹でダイナミックな視点。

ここから連想が及んだのは、ヒシャーム・マタールの『リビアの小さな赤い実』だ。
彼の父はリビアの外交官だったが、カダフィ政権に批判的だと拉致され、
行方不明となった。

息子はパリで作家となり、自らの体験を通して、
独裁政権下に暮らすひとびとの心の荒廃を書いた。
その荒廃が、無垢な幸福を享受しているはずの少年にも及んでいることを、
肯定も否定もなく、描き出した。
そういえばこの小説は、母の女としてのうめきやあがきをも、見事に捉えていた。

そう、女としてのうめきやあがき、だ。
『血と言葉』に戻ろう。

紙のペニスの時代、私は<手淫する>という言葉も知らなければ、自慰のなんたるかにも無知だった。男の子たちがオチンチンを固くなるまでもてあそぶのを、仲間のうちでは<さわる>といっていた。私たちのおしゃべりのなかで、女の子がさわる話は出たことがなかった。そもそも、女の子にはなにがさわれたのだろう。されれるものはなにもなかった。

後に、自慰や女性の生理構造について学んだ時でも、自慰と紙のペニスを関連付けることなど、思いもよらなかった。にもかかわらず、それは明白だった。と同時に、この日まで、自分が自慰に対して深い嫌悪感、いても立ってもいられないほどの不快感をもよおすほどだった理由も明らかになった。

・・・・・・ 私はかつての自分のいじらしい手淫に、改めて無上の快感を味わい、無上の感動をもって、手淫の欲望を抱き、実行し、快感に達した生気あふれる少女とめぐり会った。

・・・・・・この少女のおかげで私は安心した。ゆえに、私は存在していたのであり、必ずしも常に他の意のままになっていたわけではなく、他をあざむくことも、もてあそぶことも、その手から逃れ、自ら防衛手段を講じることもできたのだ。なんたる感激!
この道をふたたび見出すのだ。以来、私はこの道が存在することも、自分が捕われの身であって、しかもその解放の鍵を握っているのが自分自身であることを確認するにいたった。なぜなら、あの自慰をした少女は、私自身に外ならなかった。

性的な存在である女性性の発露を少女の自分に見出したとき、
この少女が、のびやかで、反抗的で、主体的であったこともまた見えた。
否定され、支配され、捕われていたばかりではなかったのだ。
自己を誇らかに取り戻すことと、女性性の肯定が見事に重なっている。

だが、同時に、取り戻せないものも明らかになった。
著者は、引用した箇所だけでなく、男性器についてよく書いている。
ところが、ペニスやオチンチンと口にする一方で、
女性器については言葉が出てこない。
「穴としか言えない」のだ。
「膣」の存在は肯定的に発見できたとしても、それだけでは十分ではない。
私たちは、ペニスやオチンチンと気軽に(でもないけれど)
口にするのと同じ意味合いで、女性器をさす言葉を持っていない。
これは、一人の個人史のなかで取り戻せるような言葉ではない。

一方、母親はどうだったのだろう。
アルジェリアで、母は農園経営のかたわら、
貧しいアルジェリア人たちに慈善(医療行為)を行うのを、 生きがいにしていた
(ここにも、自己への慰撫のために、
人の役に立つことをアイデンティティーにする姿がある)。

アルジェリアの独立により、母もパリに引き上げてきた。
農園も、人の役に立つという自己承認の手段も、もはやない。
現実を受け入れられず、アルコール依存症となり、自殺する。
母もまた心の底に、《あれ》を抱え持っていたのだ。

この作品は、本人が主張するように「小説」だった。
ここにあるのは、事実によりかかった価値付けでもないし、
事実を伝えるドキュメンタリー的手法の説得力でもない。
事実であるからドキュメンタリーだというのなら、ずいぶん雑なくくりだ。

実らなかった生命が、剥がれた子宮内膜とともに排出される「血」、
すでに、おびただしく流れ去ってしまった「血」があった。
作者が行った作業は、単にその「血」を言葉に変換したというだけではない。
それだけなら、精神分析の終了と同時に、言葉も流れ去っていっただろう。
作者が行ったのは、流れてしまった言葉をもう一度呼び戻し、拾い集め、
磨きあげ、積みあげ、ひとつの美しい構築物を造ることだった。

この作品がフランス以外でも広く訳されているのは、
事実の重みによるからではないし、
専門的な分野での記録の希少性(これはあると思うが)だけからでもない。
組み上げられた作品世界が、リアルな重みと共感を与えるからだ。
そのような構築物を造ることができるのは、
優れた小説家だけだということを、確認しておきたい。

マリ・カルディナルの物語は、精神分析界では、
心の傷を精神分析によって修復できた幸福な例とされているようだ。
ここまでうまくいくことは少ない、ということだろう。
この成功に、私は彼女の作家としての資質があるのではないか、とも思った。
つまり、傷つけられた自己イメージや記憶を肯定的に再構築するさい、
求められるのは自己物語の造形力だからだ。

ということは、程度の差はあれ、
もし人が肯定的な自己認識を得るのに、同様の道筋をたどろうとするのなら、
自らの過去を振り返り、内省し、家族や自分を対象化しようとするとき、
そこで求められるのは言葉の力、それを組み上げていく力、ということになる。

しかし、考えてみたら、これはすごいことだ。
つまり、言葉にこれだけの力がある、ということ。

【参考】
・女性の自己実現と心理療法 『血と言葉』を女性の視点から読み直す
・斉藤学メッセージ 6/マリの物語

 

 

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1 Comment

  1. この小説が、森瑶子の『夜ごとの揺り籠、舟、あるいは戦場』に、
    大きな影響を与えていることも確認できた。

    蛇の夢のエピソードは、(アレンジしながらも)ちゃっかり拝借している。
    ラスト近く、やや唐突に描写される少女時代のレイプ体験もそうだ。
    これらのエピソードが良く噛み砕かれていないと感じたのは、
    そういうことだったのか。

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