『愛という試練』 中島義道

『愛という試練』 マイナスのナルシスの告白
中島義道/紀伊國屋書店 2003.7

加筆されて文庫になっているとのことで、
そっちを読めばよかったと、読んでしまってから思った。

中島義道の面白さのひとつ、容赦のない自己腑分けが、
両親の夫婦関係と、自分との親子関係に及んだもので、
相変わらず文章はうまいし、あっという間に読了。

なるほど、中島さんがあれほど突出しているのは、
この母とこの父の子どもであるからなのか、というのも納得。
母も突出してるし、父も突出している。

初めから告白するが、「ひとを愛する」とはどういうことか、私にはよくわからない。私も今までの人生で多少の男女を愛してきた(と思う)が、それがいかなる種類の愛に属するのかよくわからない。というより、さらに私は懐疑的であり、私ははたしてひとを愛することができるのか、わたしが愛だと思ってきたもの、体験してきたものは、じつは愛ではなく愛に似たほかの何かではないのか、という疑いを消すことができない。
これは抽象的な懐疑ではない。自分の中の深いところに巣くっている「自己愛」のおぞましさに悲鳴をあげているからである。そして、その原因のかなりの部分を両親の愛の破綻が形成しているとみなしているからである。
母は父の「愛のなさ」を四十年間責めつづけ、さらに父が死んだ後も五年間「あいつが悪い、あいつが悪い」と呟きつつ、二年前に死んだ。
・・・
つくづく私は愛について特殊な環境の下にいると思う。
凍りつくような冷たい家庭だったのではない。むしろ、「愛」という言葉が氾濫している家庭であった。家族の成員は愛とは何かを日々語り合い、お互いに(父以外)いかに愛にあふれた者であるか確認しあい、愛のない者(父)をヒステリックに告発する、そんな家庭であった。
こうした環境を反省してみるに、私がいま漠然と実感することは、私はひとを愛さないこと・愛せないことを恐れる家庭に育ったということである。
私には反面教師としての父がいる。それは、たしかにあらゆる観点から見て愛の欠如したひとである。・・・
私は彼に似ないように必死に努めてきたが、残酷なことに、四〇歳を過ぎ五〇歳を過ぎるにつれて、ますます自分が彼に似ていると実感している。ただし、一つだけ違うところがある。父は母から四〇年間にわたって「愛のカケラもない冷血動物!」とののしられても平然としていた。だが、私は自分が愛の欠如した動物であることに対して、はげしい罪悪感をもつことである。

ここが入り口である。

母は、夫への満たされない思いを、(これはお定まりの流れだ)息子に注ぎ、
支配しようとする。
著者はそれらの様相を、愛という暴力、愛という支配、愛という掟、
というふうに抉り出していく。

これは「共依存」に通じるなあと、小見出しの言葉を見ただけで思うけれど、
きっと中島さんは、このカウンセリング用語がきらいだろう。
様々な様相を帯びる感情的な塊を、
そのような(わかりやすい)言葉で分類し、あるいはひとくくりにしても、
その場しのぎの対処や表面的な承認・認知が得られるに過ぎない。
カウンセラーである信田さよ子は「しのぎ」を提案するが、
哲学者中島義道は、やはり闘うのである。

自己との格闘、他者との格闘。
傷つき、傷つけられて、少しずつ、何かを獲得していく。
それは愛される技術であったり、
怒りや恨みを自覚的に見続ける視点や、足場の確立であったり、
そういうふうに固着する自己や、父母を受容することであったり。
帰結としては、「共依存」をキーワードとしたカウンセリングと、
同じようなところに至るのかもしれないが、
至る道が激烈であるのは、なにしろそれが中島義道なのだから仕方がない。

私がひっかかったのは、「愛」のない父親より、実は母親のほうである。
婚家で舅姑からひどい嫁いびりを受けた、
夫はすこしもかばってくれなかったという恨みをずっと持ち続け、
そのことを婚家を出てからもずっと責め続ける母。

外から見たらおだやかな良い夫、良い父親なのだ。
アルコール依存でもなく、暴力をふるうわけでもない。
決まった時間に帰宅し、妻の家庭料理をうまいうまいと食べ、
子どもたちに抑圧的にふるまうこともない。
なじる妻に反論すらしない。
聞く耳を持たない、とりあわないので、けんかにもならない。
しかし母は、そういう父の態度をいっそう残酷なことと感じ、
それを「愛がない」と、際限なく責め続ける。

中島義道は1946年生まれ、彼の父と母は、
今生きていたら80代、あるいは90を超えているくらいか。
さて、この年代の夫婦のなかで、「愛」がないと夫を責める妻が、
どれほどいた(いる)だろう。
妻たちは「愛」というものを、
それほど日常的、自覚的に意識していただろうか。

おそらく、この世代のほとんどの夫婦は、
夫婦関係に「愛」など必要としなかったのではないか。
私の両親を思い出しても、
親類縁者や周囲の夫婦を見回しても、
「愛」などと無縁な夫婦ばかりに見える。
それで双方不足もなく、あるいはこんなものだと諦めて、
そこそこ暮らしてきたように見える。

いや、それは一部だ。あるいは表面的な見方だ、と言うだろうか。
たくさんの妻たちの、夫が自分への「愛がない」ことへのうらみつらみは、
中島さんの母親のように表現されなかっただけで、
うつうつと溜まりに溜まっていたのだろうか。

妻たちに、夫に対する不満がなかったとは思わない。
多くの夫は、妻は自分の身の回りの世話をしてくれる家政婦と同じで、
加えて子どもを産み育てる母にしかすぎない、と思っていたかもしれない。
あるいは、そうあらためて思うまでもないほどに、
このような夫婦像は自明のことでもあっただろう。
けれども、そんな夫に、あるいは自明性に、
妻たちの不満が溜まらなかったわけでは、もちろんない。
でもその不満を、彼女たちは、「愛がない」という言葉で訴えただろうか。

そもそも、中島さんの母親の考える「愛がある」とは、
どういうものだったのだろう。
中島義道は、神にたいする愛や性愛と分けて、
自然発生的に生じる愛、
自己よりも、反射的にまず他者に向かう情愛を、
この場合の「愛」と言っているのだけれど、
果たして彼の母親が夫に求めた「愛」も、そういうものだったのだろうか。

まず私が驚いたのは、あの年代の女性が、
「愛」という言葉をそれだけ頻繁に口に出すことだったが、
もうひとつの驚きは、「愛がない」ことの批判・非難を、
夫に面と向かって、子どもたちの前で、言葉で、臆することなく、
ぶつけることができた、ということ。

私の友人は、長い間これができないでいた。
まず初めに、怒りの言葉、恨みの言葉、
非難の言葉を獲得しなければいけないのに、
そしてそれを当事者である夫にぶつけなければいけないのに、
それが出来なかった
せいぜい、何日も口をきかないでいる、というような、
自己抑圧的なやりかたで、夫に報復するだけだった。
自己主張の試みはされても、それが対話にまで育っていなかった。
今、その対話の入り口を前に、それでもまだ先に進むのを、
ためらっている(ように見える)。

それはともあれ、私は、中島さんの母親に先駆的に見られ、
過去の私自身も経験している、そして今に至るまで友人が悩んでいる、
夫や恋人に対する要求と執着の激しさを、
「愛」を求めてのことだと、単純に言い切れないのだ。

まず、「愛し合う」理想の恋人像、夫像が、
「愛のある」理想の家庭像が、あるのではないか。
そしてそれに合致しない、合致するよう努力しない相手に対して、
また、合致を求める妻や恋人の要求を理解しない相手に対して、
欲求不満と苛立ちが積もっていくのではないか。

思うに、彼女たちにとって、恋人や夫は、
自分がこうして欲しいと言う前に、こちらの気持ちや欲望を察知して、
「自然」な振る舞いでそれに応えてくれる男でなければならない。
あるいは、周囲の人びと(子どももここに入る)に対して、
自分の望む夫像や父親像を、「自然」に体現してくれる男でなければならない。

今の私は、これを過剰な思いいれ=幻想ととらえている。
つまり、中島さんの母親の「愛」は、
自らの幻想を際限なく相手に求め、押し付ける行為、
つまり究極の自己愛なのではないか、と。
それが言いすぎだとしても、少なくとも彼女の中には、
あるがままの相手を認め、受け入れる「愛」はない。
そして、もし、「自然」発生的に出てくるものが、相手に対しての「こうして欲しい」
「こうあって欲しい」という要求だけだとしたら、
彼女が相手に求めている「愛」は、彼女の中にも、ないのではないか。

ぺ・ヨンジュン主演の『愛の群像』というドラマを思い出す。
このドラマは、ユン・ソナ演じる女性(名前は忘れた)が、
自分を愛してくれないジェホ(ぺ・ヨンジュン)を、
あらゆる手練手管を使って自分のものにしようとする、
そして一旦は(かたちの上では)自分のものにする、
その「愛」(=執着)のすさまじさが見所だ。
結局ジェホは、(彼女によって追い込まれた)経済的その他のストレスで病に倒れる。
ここにいたり、死を前にしたジェホは、ようやく全ての責任感やプライドを捨てて、
本来愛していた女性と結ばれる。
そして短い結婚生活の後に病で死ぬ。
後味はあまりよくない。
あまりに彼を死に追いやった「愛」が激烈だからだ。
それは真の愛などというものではないと、見るものに思わせるからだ。

それでもジェホは愛する人と最後には結ばれ、
短いけれど満ち足りた夫婦生活を送ることが出来た。
だが中島さんの母親は、最期まで、夫の死後までも、夫を恨みながら死んでいく。
その無念を思いながら、息子は、
自業自得ですよおかあさん、とつぶやく。
彼には、自分が人を愛することが出来ないのは、
このような父と母の葛藤の下に育ったからだという恨みが、
どうしても拭いきれない。
父から受け継いだ、人を「自然に愛すること」ができないという形質を、
内面から理解できるようになっても。

私には最後に、次のような質問が残る。
愛する相手から愛されたいというのは、自己愛ではないのか。
そもそも自然発生的に生じるものが「愛」であるのなら、
「愛」はすでに周囲に満ちており、
あらためて「愛」という言葉で定義する必要はないのではないか。
それでも定義が必要だと私たちが感じているとして、
では定義された「愛」とはどういうものなのか。
その答えがわからずして、「愛すること」は可能なのか。

ロマンチック・ラブ・イデオロギーという言葉がある。
私はこれは女性にのみあてはまる概念だと思っていたが
(中島さんの母親の思いいれ=幻想も、これだろう)、
それを肌身に浴びて育った息子も、
やはりこの概念に囚われて自己形成してしまうのかもしれない。

そしてここでも、父と母の確執は彼と妻との関係に再現され、
彼が父に求めて得られなかった「愛」のなさは、
彼と息子との関係において再現される。

【付記】

この本を一般の読者はどう読むのだろうかと思い、
Amazonのレビューやその他をちらっと見てみた。
評価はあまり高くない。
中島義道を読む人にとっては、あまり興味のない分野なのだろうか。
一方で、タイトルやテーマから入ってくる人には、話が極端するぎるとか。
もちろん共感もないわけではないが、総じて、
後味がよくない、悲惨だ、暗澹たる思いが残る、
自分は彼に比べればそれでも人を愛することができている(のでよかった)、
著者はなんと極端な人だろう、などという感想が目に付いた。

う~ん、私には、程度の差こそあれ、
こういう妻や母、夫や父はけっこう多いように見えるけどなあ。
つまり、中島義道ほど突出している事例が少ないわけではなくて、
中島義道ほど自己や他者に対して鋭く、深く、突き詰めている人がいないだけで。

でも、多くの人が、それだけ、「愛」という幻想にからめとられている、
ということなのかもしれない。
ロマンチック・ラブ・イデオロギー(恋愛→結婚=「愛」の成就)が幻想であることを、
ほとんどの人(中島義道も)は、考えたこともないのだろうと思う。
「愛」という名の支配や暴力も、自分とは無縁だと、信じているのだろう。
そして、自分には「愛」があると。
たとえそれが支配・被支配であっても、自己愛の延長の執着であっても。

もう一度繰り返すけれど、中島義道の母親が、
もし自分にはたっぷり「愛がある」と思っていたとしたら、
そして読者がそう読み取るとしたら、それは違う。

彼女はなぜ、それほどまで「愛がない」と責める夫と、
離婚しなかったのだろうか(経済的な側面その他実際面に対する考慮は省く)。
それだけ夫を「愛していた」のだろうか。
彼女の憎悪は、中島義道が言うように、
「愛」と切り離すことの出来ない、その裏側で肥大した感情なのだろうか。
(それとは別に、愛していようが憎んでいようが、夫だけが、
彼女の唯一のアイデンティティーだった、という見方もある。)

「愛」という名のもとに、実にさまざまな感情や関係性がある。
自己愛があり、執着があり、憎悪がある。
復讐があり、支配・被支配があり、所有と独占がある。
そろそろ、そういうものを「愛」から切り分けて考えたらどうだろう。

もし、そういうものを超越したところにあるのが「愛」だとしたら、
中島義道の父親は(そして中島義道本人も)、
実に「愛のある」人なのかもしれないと、思ったりもしている。

 icon-chain 2013.2.17 Dellenote に若干修正してアップ

 

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