◆十字軍物語 2
塩野七生 新潮社 2011.3
やっとこの物語を読んでいる。
十二世紀に入ってから中近東に続々と建設されてくる十字軍関連の城塞は、はじめのうちは同時代のヨーロッパの城塞建築の影響を受けて建てられていたこと。しかし、その世紀の後半からは完全に独自の建築様式を確立し、十三世紀にはいるともはや、ヨーロッパに建てられる城塞のほうが、中近東に立つ十字軍の城塞の影響を強く受けて作られるようになった、という事実も判明したのである。
浮かぶのはシリアのクラック・ド・シュバリエ、
そして、南イタリアはプーリア州に多い数々の「ノルマンの城」。
私には、欧米人の書く十字軍の歴史は、ある矛盾を内包しているように思える。それは、キリスト教徒による十字軍遠征の神韻を、十字架への誓いという信仰のみに見たいという思いのあまりに生じた、矛盾ではないかと思う。
欧米の研究者の多くはいまだに、十字軍に参加し健闘した戦士のうちでも、聖都イェルサレムの「解放」後は神への誓いは果たしたとして帰国していった人々を、領土欲のなかった人として賞賛している。一方、神への誓いは果たした後も中近東に居残り、自前の領土の獲得とその維持に執着した十字軍の諸侯を、世俗的な欲望にかられたとして非難するのだ。
しかし、十字架への誓いは果たしたことで満足して帰国していった「十字軍戦士」のほうが断じて多かったことが、「神への誓いが果たされた後の聖地」に、絶対的で慢性的な兵力不足をもたらしたのである。その結果、エデッサの伯領を奪還され、アンティオキア公領の防衛をビザンチンの皇帝にゆだねざるをえなくなり、ついにはイェサレムすらも奪い返されてしまうことになるのだ。
中近東の十字軍諸国家の、これが現実であった。エデッサ伯領を奪われたと知ってびっくりし、第二次十字軍を送り出す。また、イェサレムを失ってはじめて仰天し、第三次十字軍がヨーロッパを後にする。だが、それではすでに遅かったのである。
歴史家ならばこの点を突かねばならないと思うが、その点を突いていくと、世俗的な領土欲やカネ稼ぎも認めることになってしまうので、「神がそれを望んでおられる」の号令一下始まった十字軍の歴史を書くには、キリスト教徒としてはどうも釈然としないのかもしれない。何しろ、持続性ということならば、神への誓いよりも我欲のほうが持続性があるということになってしまい、それがいかに人間性の現実であろうと、受け入れるのは気分の良いことではないのである。
しかし私は、歴史の専門家ではない。また、イスラム教徒ではないが、キリスト教徒でもない。それで、動機はカネ稼ぎにあっても結果ならば「神が望んでおられる」ことの存続に貢献した、イタリアの経済人にページを割くのに、少しのためらいも感じないのである。
このイタリアの経済人とは、海洋都市国家であったジェノバ、ピサ、
アマルフィ、ヴェネツィアの人々であるが、
特に八面六臂の活躍をしたヴェネツィアの商人のことは、
塩野さんの数々の著作に詳細に描き出されている。
また、この記述を読んで、私は友人のナイーブな言葉を思い出した。
彼女は「宗教はたくさんの人を殺してきたから容認できない」と言う。
こう言うときの彼女の頭の中に、十字軍があるのは確かだろう。
だが十字軍遠征とその結果である殺戮は、
必ずしも宗教的な動機からなされたわけではなかった。
宗教は、カネ稼ぎのための殺戮を美しく糊塗する、
便利な方便でもあったのである。
この法則は、すべての宗教の名の下に行われる殺戮に当てはまるように思う。
そして、真の、あるいは隠されたもう一つの動機は、
カネ稼ぎだけとは限らない。
権力闘争であったり、民族浄化である場合もあるし、
絶望や憎悪、復讐の場合もあり得る。
身近な例をひけば、イスラム過激派のテロがある。
イスラムの人々は、あのような「ジハード」はイスラムの教えではないと、
口を揃えて言っている。
しかし、この場合の宗教は別のものにも代替可能だ。
現代では特に、人道、人権、自由といった理念や、
民主主義といったイデオロギーである。
もし地球上から宗教が消え去ったとしても、
使い勝手の良い「宗教」的方便を、人類は必ずや編み出すのだと思う。
殺戮の現場で人間の何かを麻痺させ、
同時進行で美しい物語を編み出し、
真の動機を後付けで美しく歪曲するために。
これらを見極めるのは、たとえ歴史学者であっても難しい、
という塩野さんの指摘は鋭い。
『絵で見る十字軍物語』、『十字軍物語 1』も既読。
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