森達也は『A』の続編を打診されても、「オウムに関しての表現は『A』で完結している」と応じないできた。興行成績の不振(それだって自主制作ドキュメンタリーとしては立派な数字だったのだが)に、世間が『A』を黙殺したとも感じていた。だが、何故宗教組織がこのような事件を起こしてしまったのか、何故このような宗教組織を日本という社会は生み出してしまったのか、と葛藤し、煩悶し続ける作業は、相変わらずこちら側では停止したままだった。着地点は見えないものの、森は再びカメラを手にする。
A2 — 決して分かり合えない者たちの融和
『A』に見られた、オウム憎しですべては例外的に許される、という民主主義社会の退嬰は、その後、教団に残ったサマナ(出家者)に対する住民票の受理の拒否、子供たちの就学拒否、そして地域住民のオウムの居住拒否という露骨な人権否定となって継続していた。
オウム信者の居住についてはいずれの地域でも排斥運動が起き、周辺には「オウム帰れ」といった立て看板やのぼり旗がはためくだけでなく、監視小屋や監視テン トが設置され、住民は信者たちが持ち込む荷物の検査まで行い、入退室をノートに記帳させていた。信者たちがこのような迫害ともいえる過剰反応に耐えていたのは、オウムの犯した犯罪に対する市民感情を慮ってということもあるけれど、これも修行だと捉えているからだ。
だが、『A2』が描き出したのは、人々が「例外」にぶつける「無自覚な社会正義の残虐さ」や、一つの「例外」がいつしか規定事例として定着し拡大していく恐ろしさだけではない。森は、光量は大きくはないが、それでも光を捉えていた。
「まーたヘッドギアしてたんか」
「ええ。少し修行してましたから」
「鈴木はどうした」
「ちょっと工場まで行ってます。すぐ戻ります」
「母屋は封印されたんか? このプレハブじゃ寒いだろう」
「今のところは大丈夫です。もう少し寒くなったら、暖房考えなくちゃならないけど」
談笑する彼らの傍らでカメラを回しながら、僕は唖然としていたと思う。にこにこと微笑みながら集まってきた彼らは、過激な排斥運動を今まで実践してきたボランティア住民たちだ。一ヶ月ほど前から雰囲気が少しずつ変わってきたと、岩本に事前に聞いてはいたが、実際に目の前にすればその現実には圧倒され た。・・・いずれにしても変質は片側だけじゃない。オウムと地域住民、双方が明らかに変質している。
(『A2』断りが無い限り以下同)
ここに通っているのは、信者には修行の妨げになると遮断を強い、住民には怖れと憎悪で封殺されていた「情」である。排斥のために集結していた住民には、監視というオウムに対するコミットメントで、二つの変質が起きていた。ひとつは住民同士の連帯感の強まりだが、もうひとつが「オウムとも同じ人間同士として普通に話ができる」「話してみれば存外まじめでいいやつばかりだ」という、オウムに対して行われていた「無自覚な凝縮や象徴」が、個としての人間を自分の目で見、自分の感覚で捉えた判断に置き換わったことである。
だが、マスコミはオウムと住民が仲良くしている場面やその事実を決して報じない。社会の側の変質は微弱で、ごく限られたものでしかないからである。また、邪悪でないオウムでは、視聴率も購買数も稼げない。
もう一つ、興味深い光景がある。横浜の教団施設前で住民と並んで反オウムを叫ぶ右翼団体(維新協議会)の、こちらも「変質」である。彼らはオウム幹部との話し合いを求めていた。そのきっかけはなんと、森が週刊誌に書いた(前掲の)反対派住民とオウム信者の交流の記事だった。
「どうしてオウムの信者と、話し合うことを思いついたのですか」
「だってさあ、オウムが一体今何を考えているのか、どれほどに危険なのかを俺たちは知らないんだからさ。そのレベルで、出て行けとか殺してやるとか叫んだって何の解決にもならないだろ? 当たり前のことじゃないか。(森をマスコミの一員と思い)マスコミもさ、そのあたりのことをもう少し考えて報道したほうがいいよ」
「どうしてそんな見解を持つようになったのですか」
「きっかけは週刊誌だよ」
「(目の前の森が書いたと知らずに)あの記事を読んで考えさせられたんだよ。それで皆に提案したんだ。排斥や恫喝するばかりじゃ何も解決しないって。現にこういう実例もあるんだからさ、オウムの幹部たちと一度、腹を割って話し合ってみるべきじゃないかって」傍らではすっかり酩酊しているらしい初老の男(地域住民)が、「アーチャリー出て来い! ぶっ殺してやる」とオウム信者が居住するビルの二階を見上げながら、呂律の回らない口調で叫んでいる。「上祐!てめえ人を殺しておいてふざけんなよ!」 「火をつけろ」と誰かが言い、「自衛隊がミサイル落とせば一発じゃないか」と誰かが呼応して、そいつはいいと拍手が起こる。
「……みんな酒が入ってるからねえ」
寒そうに肩をすくめながら、年配の右翼が彼らをかばうように、小声でぼそりとつぶやいた。
ちょっとくらくらする光景ではないだろうか。もう少し引用する。
(横浜の右翼たち100名余りが集結したデモの風景。採録シナリオから)
平井:「オウム出て行け、上祐出て行け」「死ね」「殺すぞ」……一切禁句です。我々民族派は、その自治体と違いまして、ここから彼らが出て行けばいいというのではありません。ここから出て行けば、必ずや行った先で色々な迷惑がかかります。それよりも根本的なものから解決するために、今日のデモ行進を計画しました。
街宣車:オウム真理教は謝罪・賠償を速やかに行い、解散せよ!
右翼デモ:解散せよー!(以下は書籍本文)
「これってほとんど左翼だよな」
行軍の最中に一人の若い右翼が、戸惑いを隠せない表情で、レンズを向ける僕に小声で言う。
「スタイルとしてはそうですね」
「何か照れくさいよな。俺たちダサくないかな」
「ダサくないです。格好いいと思います」
「そうかなあ……」
警察は右翼の教団施設への立ち入りを許さないが、後日、彼らと上祐の側近との話し合いが実現し、上祐とも電話で言葉を交わすことが出来た。
「いつかは会いましょう。会って話したいことがたくさんあります。それまでは……とにかく大変でしょうけど持ちこたえてくださいね」
電話を切る幹部の言葉である。
宮台真司は、個々に見られるこれらの融和を、それを捉えた森の視点を、明解に、「私たちが自滅しないための戦略」と呼ぶ。
オウムと敵対する社会がオウムと似ていること自体がオウムを生み出す — そう森監督は直感する。・・・もしそうであるなら、社会がオウムと似るのをやめない限り、社会はオウム的なものを生み出し続けて自己破壊する。
・・・
《アレフを脱会したら、養子に来いや》。アレフに危険が無いことが住民に理解されたのか。違う。森監督は、サリン事件から現在に至るまでの経緯を麻原彰晃が「あえて」もたらしていると信じてはいないかと幹部信者らに尋ね、イエスと言わせる。
ならば危険は減っていない。しかし宗教は社会よりも大きい。そうでなければ機能を果たさない。宗教は元々危険なのだ。アレフに始まった話ではない。とすれば、社会と宗教の両立にとって可能なことは一つしかない。それは何か。
決して分かり合えない者たちの事実的な融和だ。
(『A』文庫版解説より)
宮台は、たとえそれが「日本人の共同体的作法に基づく無原則なもたれあい」であっても、事実的融和という意味でアドバンテージがあるのだからそれでいい、とする。これは消極的な意味で、ではない。「分かり合えない者たちの事実的な融和という処方箋こそ、現代思想の最先端を行くもの」であるからだ。
この社会(世界も)は、相変わらず「オウム的なものを生み出し続けて」いるように見える。だからこそ、『A2』に垣間見えたこの処方箋は、当時よりはるかに火急必要なものになっている。9.11から 「イスラム国」に至る世界規模となってしまったイスラム(世界)をめぐる問題で、あるいはイスラエルとパレスチナとの、あるいは拡散していく難民・移民問題で、あらゆる共同体に内在する他者の包摂の問題で、とりわけ、オウム以降市民監視の強化と厳罰化が進み、外に敵が作り出され、政治に民意が民主的に反映されない、ということは独裁に傾いているこの国の今と近未来に。
A3 — 相互作用と善なるものの危うさ
『A3』で森は、新しい麻原彰晃像を描き出そうと、前二作に続いて視点の移動を試みる。だが、傍聴席から見た麻原は精神が壊れていた。異様なのはそれを裁判所や検察側が頑として認めないことだ。弁護側が独自に行った、精神障害のため(事件の責任能力ではなく)訴訟能力がない、今なら治療可能なので治療して状態が回復してから裁判を再開すべきだ、という6名の精神科医によるそれぞれの鑑定発表は無視され、一審死刑判決後弁護側の立ち合いもなく行われた裁判所による鑑定では、麻原の精神は正常だと判定された。
言葉を発せず、コミュニケーションは家族であっても一切取れない。数々の異常行為があっても、全ては詐病だと診断された。弁護側の控訴請求も、裁判所との間で合意されていた延長日程の一日前日に締め切られるという反則的な決定で叶わず、死刑判決は確定された。
どのような動機によって事件が起きたのかが明らかにされない、むしろそれを忌避する裁判とは何だろう。最初に死刑判決ありきであったとしても、何故、事件の全容を解明しようとする試みが退けられるのか。だが、新聞にコメントを求められた人権派弁護士も、ジャーナリスト江川紹子も、街頭の市民の声も、森以外は全てこれを妥当とした。
警察はオウムのサリン散布を予想していたのに、それを防げなかった。むしろあおってしまったという見方すらできる。その点を裁判で突かれるのを恐れたのだ、という解釈を一点挙げた上で、森は、司法は社会の望みである「なんでもいいから早く吊るせ」に迎合したのだ、という。特例が無自覚に適用され、やがて事例化するリスクを増大させながら。
森の模索した新たな麻原像は、なかなかピントの合った像を結ばない。本人が壊れてしまい、身近な人たちは取材に応じないから、だけではない。それでも過去を知る人たちや信者たちの話に、様々な側面は垣間見えた。なのに、彼らの話から一人の人間の姿が浮かび上がらない。それぞれの、何だか曖昧な、何人もの麻原がいるばかりなのだ。だが、それが教祖というものではないだろうか。篠田節子の『仮想儀礼』をこのタイミングで読んで、私はそう思うようになった。つまり、教祖(の意志)は信者たちの思念の総体であり、ゆえにそれは多面体となる、とも言えるのである。
森は、麻原と信者は互いにレセプター(受容体)であったと仮定をたてる。弟子たちの暴走という一方的なものではなく、弟子たちとの相互作用により教義も妄想も行為も本人の意を超えていったのではないか、ということである。教祖が信者たちを含む思念の総体だとすれば、これはあり得る。 麻原は『仮想儀礼』の教祖桐生よりはるかに確信犯的な教祖であり、強烈な個性と野心と教義と「信仰」を持った指導者だった。それゆえに、弟子たちとのフィードバックが相当のダイナミズムでなされた可能性はある。
加えて森は、視力を完全に失った後の麻原にとって、側近の弟子たちが情報源、即ちメディアになり、麻原の心や行動を動かした可能性を示唆している。刑務所にいる実行犯たちと接見し、手紙を交わし、(元)信者たちとも語り合う。実行犯たちは、教祖に対する絶対服従の教えを強調し、側近たちの暴走には懐疑的だ。だが、無自覚な「尊師の意志の忖度」と相互作用を全否定はしない。
森のインタビューに応じた元信者早坂武禮から、麻原はそのことをわかっていて、敢えて弟子たちに誘導されたのではないか、との推察が出てくる。地下鉄にサリンを撒けば真っ先に疑われるのはオウムであり、そんなことをすれば教団が潰れてしまうことを麻原はわかっていたはずだ。ということは、あの事件は麻原が教団を潰そうとして起こしたのだ、という仮説も成り立つのである。いずれにしろ、あるのは仮定ばかりだ。判決文を読んでも、戦後最悪の凶悪犯罪とされる事件の動機に、納得できないものが残る。ゆえに私たちの恐怖と憎悪は納まらない。
そして、宗教に救いと居場所を求める人たちの潜在数もきっと同じままなのだ。いや、むしろ増えているかもしれない。オウムについて見たり、聞いたり、考えたりしてわかったことの一つは、宗教が人間社会からなくなることはない、ということだ。宗教は様々な人間の求めを吸収する。論理や理屈や近代科学で説明不能なあらゆることに説明を与える。いや、宗教にしか答えられないことがある。時に「場」さえも与える。宗教は人間にとって「最後の駆け込み寺」なのかもしれない。もしこの社会が、その人の求めるものを与えられず、説明も出来ず、はみ出していく者に対してキャパシティーが少なければ少なくなるほど、宗教の存在価値は高まる。
だからいつの時代も、宗教に行ってしまう人、宗教にしか行けない人たちは、 一定数いる。社会や国家を超えていく宗教のポテンシャルを私たちは恐れるけれど、だからといってこれを抹殺することは不可能なのだ。彼らにそこに行くな、と無理やり引き留めても、宗教に代わって(同じ程度に)与え、答えるもの(あるいは場)を私たちが提示できなければ、彼らは行ってしまう。宗教がなければ別のところに行く。あるいはどこにも行けずに自分の内に潜る。私たちに出来ることは、せいぜいがこちら側のキャパシティーを広げることと、個々の関係での融和、そして宗教の側に、窓や扉を閉ざすのではなく開けておいてもらうよう求めること、だろうか。社会の側がのぞき込んだり時に訪れたりできるように。相互作用は、宗教と私たちの間にもあるはずだから。
宗教は真なるものや善なるものを求める思念から発する。だがそれは、何らかの核になるものが出てきて(これは常に潜在的にある)、それをレバレッジとする作用が働けば(これも常に潜在的にある)大きな悪に転換する。心しておかなければいけないことは、善なのに悪に転換するわけではなく、善ゆえに悪に転換する、ということである。だから100%の善を疑わないものは危うい。これが宗教だけに限ったものでないことは、一度でも『A』という視点に立った者には明らかであろう。
⇐ オウムについて⑤-1『A』という視点 — A
A — 鏡像としてのオウムと社会
【参考】
A [DVD](1998.5 公開)
A2 [DVD](2002.3 公開)
— 山形国際ドキュメンタリー映画祭で市民賞・審査員特別賞を受賞
・『A マスコミが報道しなかったオウムの素顔』森達也 角川文庫 (2002.1)
・『A2』森達也 安岡卓治 現代書館(2002.4)
・『A3』上・下 森達也 集英社(2012.12)
— 第33回講談社ノンフィクション賞受賞
・『仮想儀礼』上・下 篠田節子 新潮社(2008.12)
追記 2018.7.6
オウム真理教・松本智津夫死刑囚ら7人の死刑執行(日本経済新聞 2018.7.6)
オウム死刑囚大量執行は口封じか…検察に全面力していた井上嘉浩死刑囚の変心、再審請求に怯えていた法務省(リテラ 2018.7.6)
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