エジプト ラマダン後二度目の金曜日

また金曜日が来た。
ムルシ支持派も反支持派も、大規模なデモを呼びかけている。

今日は、同胞団がEUに暫定政権側との調停を打診した、
というようなニュースがあった。
ムルシ氏の解放とからめて、ということなのかもしれない。
歩み寄りの道筋を探っているともとれるが、
同胞団は否定しているという報もあり、よくわからない。
エジプト情勢(中東の窓 7/19日)
・モルシ氏の復権要求=エジプト議会選参加は未定―同胞団機関紙幹部
(時事通信 7/18日) ⇒リンク切れ

「クーデター/革命」直後の記事だけれど、興味深かったので。
・弾圧されるムスリム同胞団、サイトに「国民は恩知らず」 エジプト軍クーデター
(産経新聞 7/5日)⇒リンク切れ

 「エジプト国民は恩知らずのばかだ」-。インターネットの同胞団系サイトには4日、団員らの怨嗟(えんさ)の声が渦巻いていた。

草の根の慈善事業を展開する同胞団は、2011年の政変以降、各種選挙で大っぴらに団員を大量動員して貧困層に食料品などを配布。同時に、対立する世俗派勢力を「非イスラム的」と断じ、イスラム教の価値観を重んじる庶民層を取り込んできた。識字率が6割程度にとどまるとされる同国では、有効な戦術だった。

だが、政権に就き経済運営の責任を問われる立場になると、貧困層の不満は同胞団に向いた。デモ発生後、モルシー氏は自身の「正統性」を繰り返し強調したが、政策論より貧困層のニーズをくすぐり利用する手法をとってきた同胞団への支持は戻らなかった。

同胞団の貧困層への援助活動はイスラムの教えによるもので、
2011年の革命以前から行われていたと思っていた。
この記事によると、そればかりではなく、選挙活動でもあったようだ。
そして、識字率の6割という数字。
私の記憶によると、男女平均で確か7割超、女性に限っては5割程度だった。
いずれにしろ貧困層においてはさらに低いだろう。

エジプトは、男女を問わず大学まで学費が無料だ。
にもかかわらず、街角やスーク、観光地で、小さな子供たちが働いている。
たとえ無料であっても、学校に行く価値を親が認めていないのだ。
わずかであっても稼いで欲しいのだ。

昨日、2012年2月に交わしたガイドとの会話を少し書いたけれど、
もう一つ、彼に訊いたことを思い出した。
革命であの子たちは学校に行けるようになるだろうか?
ガイドはこう答えた。
すぐには無理だろうが、いつかはそうなる。
時間がかかる。だってエジプトは第三世界だからね。
第三世界、という最近耳にしない言葉を彼が使ったこともあって、記憶に残った。

カイロ大学で日本語を勉強し(日本語ガイドはたいていそうだが)、
日本に来たこともある彼は、日本とエジプトを比較してこんなことも言った。
日本は第二次世界大戦でほとんど焼け野原になってしまった。
大戦直後は日本もエジプトも同じように貧しかったはずなのに、
60年たってみたらこんなに違ってしまった。
なぜ、エジプトは日本のような繁栄を得られなかったのか、と。

革命を成し遂げた、高揚する気持ちが見て取れた。
軍事独裁の重しが取れた今、今からエジプトは、
日本のように、経済発展への道を歩むことが出来るのだ。
その日本の発展を導いたものは何なのか、
それがエジプトにないとすればそれは何かと、彼は問うているのだった。

もとより、バスの中でツアー客に投げかけるような問いではないし、
誰も答えることなどできない。
彼も答えを期待していたわけではない。

だが、その時ひとつだけ思ったことは、やはり教育だった。
貧しかろうが豊かだろうが、広く教育がいきわたる国でなければ、
その国は近代国家として発展していかないだろうと。

サーダウィーが1月に、毎日新聞でこう言っていたことも、また、
思い出している。

投票はメディアの虚報などに影響された。さらに、植民地時代の影響もあって人々が十分な教育を受けていないため民主的な選択がされなかった。

これを読んだときは、すんなりと言っていることが理解できなかった。
女性の半数が、支持政党名を投票用紙に書けない、というようなことは、
私の想像力の範囲を超えることだったのだ。
識字率を調べたのは、3月にエジプトから帰って後のことだ。
ベドウィンの若者サムハーが、名前を書いてくれと差し出した私の手帳を、
ふっと、お前書いてくれよと、年上のマグディーに渡した。
その時の様子が気になっていたのだ。
ただ面倒だったのだろうとは思う。
けれども、おそらく、ベドウィンの識字率はあまり高くはないはずだ。

同胞団が貧困層の支持を得ていたのは、
目に見える形で恩恵が与えられたからであろう。
だとすれば、それが与えられなくなれば、民心が離れていくのは当然だ。
「恩知らず」と罵るのは的外れだろう。

このようなことを知るにつけても、
同胞団は「民主的」支持を得た「正統な」政権だと主張する、
(西欧)国際標準の見方の一面性独善性を、思わざるを得ない。

学校教育を受けておらず、読み書きができなくても、
その人が物事を考えたり、判断したりできないはずはない。
(『生贄の女 ムフタール』で見たように。)
けれども、圧倒的に不足するのは、情報なのだ。

同胞団は、選挙をすればまた自分たちが勝つと、思っているらしい。
歩み寄りには、そのような自信もあるのかもしれない。
同じやり方で行けると、踏んでいるのかもしれない。

わかっているのは、一朝一夕に、
情報が平等に人々にいきわたるようにはならない、ということだ。
そしてもうひとつ、16日に触れた川上氏の言う階層格差の問題は、
単に同胞団が貧困層を代表している、というような単純なことではない、ということ。
冒頭で上げた記事によれば、同胞団は貧困層を利用した、とも言えるわけだから。

しかし民衆というのは、
自分たちの利益を代表していると信じ、支持している政治勢力が、
実は自分たち(しばしば最下層の)民衆の利益など何も考えていないことを、
なかなか見抜けないものなのだなあと、日本を見まわしながら思う。
自分たちが支持した政治が、自分たちを不利益に導いたことに気付いたとき、
果たして私たちはエジプトのように、時の政治を糾弾する声をあげられるだろうか。

【その他】

エジプト: 暫定大統領演説 モルシ派を激しく批判 (毎日新聞 7/19日)

エジプト:座り込みをする人々の子供たちは、母親の作った死装束を手にする
(日本語で読む中東メディア『アル=ハヤート』7/18日)
ショッキングな話だけれど、あるんだろうなあ……。

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