先日のコメントを膨らませて書いた記事、
 私個人や友人のデリケートな問題となるので、結局は非公開にした。
 でも、「共依存」については少し考えておきたいと思う。
以下は参考サイトからの引用。
共依存は、「人の世話を焼いていなければ、自尊心を保つことが難しいという問題を抱えた人たち」(Co-dependency)とも定義されているけれど、その特徴は以下。
ピア・メロディによる共依存の5つの特徴
| 1 | 自己愛の障害 | 適切な高さの自己評価を体験できない | 
| 2 | 自己保護の障害 | 自己と他者との境界設定ができずに、他者に侵入したり他者の侵入を許したりする | 
| 3 | 自己同一性の障害 | 自己に関する現実を適切に認識することが困難 | 
| 4 | 自己ケアの障害 | 自己の欲求を適切に他者に伝えられない | 
| 5 | 自己表現の障害 | 自己の現実に沿って振る舞えない | 
私はかならずしも、精神分析や心理学的アプローチで全てが説明できるとも、
 解決できるとも思ってはいないけれど、
 この共依存については、頷ける部分もある。
 以下、5つの特徴の概要。
 (言葉としてイマイチピンとこないのは、日本語への訳出が難しいためか…)
「自己愛の障害」とは、 言うなれば自尊心のとても低い人のことです。自分で 自分のことを褒めてあげることがなかなかできなくて、いつも誰かから評価されていないと安心出来ない人という意味です。「気の利く女性」「いいお母さん」 「いい妻」のように、他者から評価されることでしか自分の自尊心を保てない人のことを意味します。①
「自己保護の障害」とは、 自分と他者との区別が曖昧な人のことです。本来は子どもがすべきことなのに、子どもの 学校の宿題をやってあげたり、あるいは子どもが好きでもないのに、一生懸命ピアノを教え込む母もこの自己保護の問題を抱えていると言えるかもしれません。 また、夫や子どもからの暴力についても、甘んじて受けるような女性もこの自己保護の問題を抱えていると言えるでしょう。②
「自己同一性の障害」とは、 夫が自己中心的なアルコール依存症者なのに、その事を否認して、”あの人は、今は調子が悪いだけ。そのうち、よくなってくれる”というような間違った現状 認識をする人のことです。現状をそのまま受け入れることは、共依存の人にとって、自分の世話焼き行為をやめるということに他なりません。その事は、結局、 自分のこれまでの生き方を放棄することになります。これは、共依存の人にとって非常 に辛い選択になります。辛い選択をしないために、現実を受け入れようとしないというのも共依存のひとの問題です。③
「自己ケアの障害」とは、自分の欲求をいつも後回しにする人のことです。もともと、共依存の人は自分の欲求を声に出してしまうほど、自尊心が高くありません。自分の欲求や本音を言ってしまったら、嫌われてしまうのではないかと怯えている人たちです。④
「自己表現の障害」とは、自分の年令や立場に見合った自己表現ができないということを意味します。実際には、40歳なのに、自分の身なりにお金をかけたり、化粧をすることをあまりしないで、まるで50歳に見えるような状況のことが含まれます。⑤
http://www.family21.jp/keyword/keyword.html
私の言葉で言い換えると、
①自己評価が低く、常に他者の承認を必要とする。
 そのために、てっとりばやく、社会や相手の求めるイメージ
 「良い子・良き母・良き妻」などに、自分をあてはめようとする。
 それにあてはまらない自分、ありのままの自分、
 たとえば、自分勝手な自分や、人を憎んだり嫌ったりする自分を受け入れられない。
②(密接な)人間関係において、相手に、こうあって欲しいというイメージを押し付ける。
 また、押し付けられると、そのイメージにあわせてしまう。
 支配・被支配の関係。
③相手に対する思いいれ=幻想②に囚われて、
 あるがままの相手や関係を受け入れられない。
 思いいれ=幻想だということを認めることができない。
 関係の解消は、思いいれた自己を否定することにもなるので、
 関係を解消することもできない。
④相手の欲求に添うことや誰かの役に立つことを、
 自分(の欲求)を犠牲にしてまで優先する志向性。
 このことにより、周囲から評価を得られることも、①と関連して大きな意味がある。
 ゆえに、自己犠牲や人助けが、生きがいやアイデンティティーともなる。
⑤嫌われることを恐れ、いやなことをいやと言えない。
 自己の欲望を主張できない。
 けんかができない。
 マイナスの感情をうまく表現できない。
となる。
 これらの項目に、自分のことや友人のことが重なる。
 「共依存」が問題なのは、これが関係性に関わるものだということ。
 つまり、自分だけでなく、関わる相手に及ぼす影響が大きい。
 実際は破綻しているのにその関係を止められないことで、
 両者の精神生活、日常生活ともに大きなダメージを受ける。
 失われるのは、何より時間。つまり人生そのもの。
薬物やギャンブル依存、買い物依存なども、
 家族や周囲に大きな迷惑がかかるけれど、位相が違う。
このような「共依存」は、たとえば夫との関係、母との関係だけに留まらず、
 本人とその子どもの関係に引き継がれるているように思う。
 ある友人には、母親が抱える問題が、そのまま本人に同じような形で現れているし、
 別の友人の子どもへの対し方は、
 そのまま彼女が父親から受けた専横を、繰り返しているように見えるのだ。
DVと同じように、日常生活の中で接する「共依存」は、
 同時に獲得形質として、自分の中に、
 対人関係パターンやスキルとして形成されてしまう。
 押し付けられた抑圧、被害者として逃れたいもの、
 拒否したい、唾棄すべきものであるはずなのに、
 いつしか自分自身のなかに強固に根を張っていて、
 遂にそれは、自己のアイデンティティーにまでなってしまう、
 そしてそれは、より弱い相手に転嫁される、
 そんなふうに見えるのだ。
このような負のスパイラルを、どのように断ち切ることができるのだろう。
 いずれにしろ依存である以上、「共依存」も麻薬と同じくらい深刻で、
 克服も同じくらい大変なのだということだけはわかるのだが。
 







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