夕べ読みかけの本をめくったら、そこに「装置としての靖国」という記述があった。
あまりのタイミングに驚いた。
ときどき(特に本に関して)こういうシンクロナイズが起る。
『ほっとけよ。–自己決定が世界を変える』
田原牧 (有)ユビキタ・スタジオ 2006.8.15
装置としての靖国
(略)
靖国神社の原型は長州藩の招魂社にある。幕末の動乱という内戦に勝利した「勝ち組」のお社だ。だから、その長州と対立した逆賊たる新撰組や会津白虎隊は「国民的な歴史アイドル」ではあるが、靖国には祀られていない。さらに官軍側であっても、非戦死者は祀られない。好例が大久保利通だ。西南戦争を指揮した人物ながら、死因が暗殺なので対象から外されている。八甲田山の「死の雪中行軍」で遭難した青森第五連隊二百十人も、演習中の事故ゆえに祀られていない。
ちなみに戦後、合祀されたA級戦犯(復古主義者の言う「昭和受難者」)の面々をみてみよう。この十四人の中には、極東国際軍事裁判(東京裁判)の最中に病院で死亡した文民、松岡洋右(元外相)までが含まれている。この基準のあいまいさは一体、何なのか。陳腐さはこういうところに顔をのぞかせる。
1966年に合祀が持ち上がった当時、皇族出身の靖国宮司、筑波藤麿氏はこれに難色を示す。彼は新たな合祀基準の決定に不可欠な、天皇(国家神道の宗主)の裁可を得ようとはしなかった。筑波氏は、合祀に否定的な皇室の空気を悟っていたといわれる。
しかし、筑波氏の死後、旧厚生省援護局に集まっていた元陸軍大佐、美山要蔵氏ら東京裁判否定派と、元自衛官の後任宮司である松平永芳氏ら復古主義集団によって、A級戦犯合祀は天皇の裁可抜きに強行されてしまう。この一党は、長州の上位イデオロギーを引き継ぐ平泉(戦後、公職を追放された東大教授の故・平泉澄氏)思想の一派である。彼らにとっては、天皇個人は絶対ではない。国体護持のためには、誤った天皇は超越されなくてはならないと信じる。
この頭越しの合祀を不服と感じた昭和天皇はその後、靖国を死ぬまで訪れなかった。その後、その失敗の代償として、首相に公式参拝を求める流れがつくられていく。靖国の本質とは結局、特定タカ派のセクトの私的な装置にすぎないのだ。その長州の血筋を引くのが旧岸(信介)派であり、安倍晋三氏に引き継がれていることは衆知の事実だ。
(略)
市場原理主義者の「タカ派」使い捨て
ただ、復古主義の扇動の柱となってきた居直り史観(歴史修正主義)と靖国神社が、どう陳腐であるにせよ、それがここ数年間、社会の空気を急速に変えたことも事実だ。そこには、復古主義の扇動が市場原理主義を推進する小泉・竹中平蔵路線の思惑に合致した、という背景があるのだろう。
市場原理主義を貫くには、福祉や民衆の既得権益は足かせになる。これらを守ろうとする左翼・リベラルを駆逐するのに、タカ派の煽りは有効な手段だった。加えて、国家主義は市場原理の台頭によって不可避的に生み出されるルサンチマンのはけ口、という新たな機能も担った。経済格差の鬱憤は権力には向かわず、長いモノに巻かれ、より弱い者をたたく方向に回収される。
しかし、本質的に市場原理主義と「靖国」は相容れない。資本の膨張は望むと望まざるとにかかわらず、高い流動性を求める。たとえば、中国が市場として日本の資本の生命線である以上、それを妨げるタカ派の出過ぎた真似はじゃなまになってくるのだ。
2006年初頭、タカ派の旗振り役「新しい歴史教科書を作る会」が自壊を始めた。前年の教科書採択では、彼らの教科書の採択率は公言していた10%を大きく下回った(歴史で0.4%、公民で0.19%)。組織の内紛はその責任をめぐって、と伝えられた。
だが、その底流には復古主義者の論調が十分に流布され、左翼・リベラルが弱体化した現実を踏まえ、市場原理主義者が出過ぎた彼らを切り捨てにかかったという側面があるのではないか。
(略)
田原さんの本は、『中東民衆革命の真実 ーエジプト現地レポート』に次いで二冊目。『中東民衆革命の…』は、2011年のムバラク政権が倒れた直後にエジプトに入ったレポートで、カイロ留学や特派員を経た著者ならではの視点で、エジプト革命が描かれていた。
田原さんは東京新聞特報部のデスクだ。
3.11以来原発に関するニュースで注目していた東京新聞の記事は、
田原さん(ら)が生み出していたものだった。
もう一つ、田原さんはトランス・ジェンダーをカミング・アウトした新聞記者であるということがある。加えて専門は中東。
対象となるものが何であれ、その視点に対する共振が予想できた。
『ほっとけよ。–』はまだ途中、靖国の段までしか読んでいないけれど、
田原さんの視点には、対象に対する切込みだけでなく、自らの側に対する切込みもあるのが特徴のように思う。必ず内省を伴うというか。
この場合も、「装置としての靖国」を必要とするタカ派アイデンティティーの陳腐さに対する批判があるのなら、その「装置」の出現と作動を許してしまう側の抵抗力の弱さ、思想・認識(脇)の甘さに対する指摘がある。
「孤立無援」と「自己決定」
ここまで国家主義が跳躍した原因を、復古主義者や市場原理主義者の思惑のみで語ることは十分ではない。肝心の課題は、そうした流れに反対する側の主体の脆弱さ、それも頭数ではなく、その思想的弱さにある。
(略)
靖国の否定とは、そこに祀られると信じ、戦地に赴いた二百数十万の死者の行いを侵略の加担者、あるいは権力に踊らされた果ての「犬死に」と呼ぶことに等しい。それには生身の呪縛された感情、センチメントとの格闘は避けられない。否定する側も、自らの心を切りつける覚悟が強いられる。
(略)
たとえ誤った戦争であったとしても、自分の愛しき肉親を「犬死に」と呼ばれたくはないという遺族の心情の重さが(連合赤軍や内ゲバの死者たちになぞらえて)容易に推測できるはずだ。(略)だが、それで私たちの主体的な決着がつくのだろうか。殺された側のアジアの民衆に、どう向き合えるというのだろうか。何より未来永劫、私たち自身が自ら銃の引き金を引く責任を国家の大義で合理化してしまう誘惑に抗しきれるのだろうか。
イラクでの日本人誘拐事件で流行した「自己責任」は言葉の本来的な意味において、ここでこそ試される。国家の意志に自らの運命をゆだねることなく、自分個人の意思で生きること。得体のしれない長いモノ(共同幻想)が、自らに人殺しを強制してきた際、他者に責任転嫁せず、それを拒む自己決定権を守り抜くこと。センチメントのささやきは、いつの世でも自己決定権、つまり自由の放棄を迫る。
幸か不幸か、孤立無縁と自己決定権へのこだわりが背中合わせだということに、私たちトランスジェンダーを含む性的少数者は慣らされている。世間の非常識を背負うことが、私たちの生き方では前提である。いずれにせよ、長いモノにまかれた死者たちを「犬死に」と断じない限り、靖国や靖国なるものは、私たちの<内外>で生き続ける。
予感のとおりに共振する最後のパラグラフ二つ。
2006年から何も変わっていないようにも見えるこの国。
しいて言えば、本来矛盾するはずの復古主義と市場原理主義が、今のところまだひとつにまとまっているように見えることか(とすればいずれ破たんするか、それともこれまでにないハイブリッドと化すのか?)。
今日の新聞で目に留まった言葉、
「個人的な情念の発露で日本を壊すのはやめてほしい」辻本清美。
確かに、元々は陳腐な個人の情念、「特定タカ派のセクトの私的な装置」ではある。
問題は、個人を越えさせてしまう「凡庸な悪」が、今この国にどの程度のあるのか。
2006年と今の違いはそこにあるように思う。
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