• オウムについて⑥ 遠のいた真相究明

    オウムについて⑥ 遠のいた真相究明

    2018/07/07
    7月6日、オウム真理教の死刑囚13名中7名が、麻原彰晃を筆頭に一度に死刑執行された。 これでオウム事件の真相の解明は一層遠くなった。 2015年にオウム事件を振り返った時から思っていたのは、そもそもこの国の司法には(民意も)、事件の真相を解明しようという意欲がない、ということだ。 森達也「一人が怖くなって集団化が加速し狂気へ…」オウム事件の深層解明されぬまま終焉(AERAdot. 2018.7.6)  オウム事件当時、共同通信社会部で警視庁公安部担当記者だったジャーナリストの青木理氏は事件をこう総括する。 「宗教団体を公安が調べるのはタブーであり、それが戦後民主主義の一つのいい点でもあったが、あの事件で完全に決壊した。破防法を適用しようという動きもあり、その後盗聴法や団体規制法ができ、オウムとは直接関係のない国旗国歌法や周辺事態法など国家権力を強化する動きが急加速した。一方で再発防止につながるような真相解明はなされず、戦後最大級の事件の首謀者の裁判を『裁判ができる状態ではない』という理由で一審だけで終わらせた。詐病でなければ心神喪失状態であり刑の執行停止をしないと刑事訴訟法違反になる。本当はどうだったのか、そういう意味で乱暴かつ不透明で適正とは言い難い」 『A3』で裁判を取材した森達也は、その後も浅原を治療したうえで真相解明に臨むべきだ、拙速に死刑を執行すべきではない、と訴えていた。 なぜ司法は(あえて)真相を究明しようとしないのか? 真相など明らかにならなくても、このような事件は二度と起こらない、そういうある種の自信があるような気もする。事件後の国民感情の変容や法整備によって。 「オウム事件というのは全然終わっていないんですよ。しっかり解明できていれば、ある意味でピリオドを打てたんだけど、解明しないまま、ずっとくすぶり続けて、日本社会をどんどん変質させてしまいました」  オウム事件後、社会に不安や恐怖を抱いた人々は、一人が怖くなって集団化が加速した。同調圧力を強めた集団は同調しない異物探しに躍起になり、集団外に共通の敵を探し求めるようになった――。それが、今の安倍政権の支持にもつながっている、と森氏は唱える。   リテラは、さらに踏み込んだ考察を行っている。 オウム死刑囚大量執行は口封じか…検察に全面協力していた井上嘉浩死刑囚の変心、再審請求に怯えていた法務省(リテラ 2018.7.6) 13人の死刑囚のうちなぜこの7人が選ばれたのかもまったく不明だ。たとえば初期の坂本弁護士一家殺害事件の死刑確定囚からはじめたというわけでもなければ、全員が日本最悪のテロ事件である地下鉄サリン事件の確定死刑囚ということでもない。また死刑の確定順かといえば、そうではない。これについて本日午後行われた上川陽子法務大臣の会見でも説明さえなかった。 しかし、もしかしたらこうした疑問を解く鍵になるかもしれない事実がひとつだけある。それは、7人のなかに井上死刑囚が含まれていたことだ。 ・・・  井上証言のなかでもとくに大きかったのが、地下鉄サリン事件における麻原死刑囚の関与の証拠とされた、いわゆる「リムジン謀議」についての証言だった。  地下鉄サリン事件の2日前の1995年3月18日、麻原死刑囚は都内の飲食店で会食後、井上死刑囚、村井秀夫、遠藤死刑囚ら幹部を乗せたリムジン内で、公証役場事務長拉致をめぐるオウムへの警察の強制捜査を阻止するために地下鉄にサリンを撒くことが提案され、麻原死刑囚もそれに同意したとされる。これが麻原死刑囚の地下鉄サリン事件関与の証拠となったが、しかし、それを証言したのは井上死刑囚だけだった。  逆に、この井上証言がなければ、麻原死刑囚を有罪とする法的根拠はなかったとの見方もある。  数々のオウム裁判で「これまで誰も知らなかった」新証言を不自然なまでに繰り出し、多くのオウム事件の被告たちを“より重罪”へと導いてきた、井上死刑囚。だが、他のオウム被告たちの証言はことごとく食い違っており、検察が公判を維持するために描いたストーリーに無理やり沿っているとしか思えないものだった。  そのため、井上死刑囚と検察との関係をめぐっては、さまざまな疑惑がささやかれてきた。長年オウムの取材を続けてきた公安担当記者の多くもこんな見方を述べていた。 「井上死刑囚の取り調べの過程で、検察はオウムへの帰依や洗脳を捨てさせる一方で、逆に検察への逆洗脳を誘導したとみられています。その後、井上死刑囚は、まるで“検察真理教”となったがごとく、検察にとって有利な証言を繰り返し、“有罪請負人”の役割を果たしてきた。オウム事件は多くの信者が関わり、その役割は物証ではなく彼らの証言に依存せざるを得なかった。そしてその見返りとして、ある種の司法取引があった可能性が高い」  実際、井上死刑囚は、一審ではオウム事件で死刑を求刑された者のなかで唯一、無期懲役の判決を受けている。結局、二審では死刑判決に変わるが、それでも、執行を遅らせる、すぐには執行しないなどというような暗黙の取引があったのではといわれていた。  だが、今回、井上死刑囚もまた死刑を執行されてしまった。すべてのオウム裁判が終結したことで、もう用無しになったということなのか。  もしそうならとんでもない話だが、実はもっとグロテスクな裏があるという指摘もある。それは、今回の死刑執行が法務・検察による口封じだったというものだ。  前述したように、検察のストーリーに沿って、多くのオウム被告たちを“より重罪”へと導いてきた井上証言だが、その証言内容については、根本から再検証すべきではないかという声があがっていた。  とくに大きかったのは、3年前、当の司法からも井上証言に疑問符がつけられたことだ。2015年11月、17年間の逃亡の後逮捕された菊地直子氏は、一審では実刑判決だったものが一転、高裁で無罪となる。その際、一審有罪の根拠となった井上死刑囚の証言の信用性についても、高裁は「(井上証言は)不自然に詳細かつ具体的で、信用できない」として認めなかったのだ。  数々のオウム裁判の方向性を決定づけてきた井上証言の信用性に疑問符がついたことで、司法界やジャーナリストのあいだでも、その他のオウム事件についても再検証が必要ではないか、という声が高まっていた。  そして、井上自身にも大きな姿勢の変化が現れていた。今年3月14日、まるでそういった動きに呼応するように、自らの事件について再審請求をしていたのだ。弁護人によると「死刑を免れたいわけではなく、事実は違うことを明らかにしたい」と語っていたという。  そのため、一部では井上死刑囚が再審で、検察のストーリーに沿って虚偽の証言をしていたことを自ら認め、真実を語るのではないかという声があがっていた。  もちろん、井上死刑囚が再審でこれまでの証言を翻しても判決は変わらない。しかし、もし本当にそんなことになったら、それこそ、麻原死刑囚はじめ、他の死刑判決の信用性が根底からひっくり返り、検察と裁判所はメディアから大きな批判を浴びることになる。また、再審は阻止しても、もし井上死刑囚が本当にそう考えているなら、メディアにそのことを語る可能性もあった。  法務省はこうした井上死刑囚の変化を察知して、井上死刑囚が真実を語る前に、刑の執行を急いだのではないか。そんな疑いが頭をもたげてきたのだ。そして、井上死刑囚だけがクローズアップされないように、複数のオウム死刑囚を一気に執行した。 検察(や国民)には、わかりやすいストーリーが必要だった、ということはあり得る。 裁判を通じて、何故オウムがあのように暴走したのか、すっきりとした答えは出ていない。おそらくすっきりとした単純明快な答えなどないのだ。だからといって、それをわかりやすいストーリーにはめ込んで終わらせてしまっていいのか。 いいわけはない。けれどもたぶん、この国は終わらせてしまうのだろう。そのことのツケは、めぐりめぐって自分たちにふりかかる(すでにふりかかっていると、森達也も青木理も言う。私もそう思う)。   追記 オウム事件 防げなかった責任 警察や行政に(しんぶん赤旗 2018.7.7) 宗教ジャーナリスト 柿田睦夫さん  オウム事件には多くの謎が残っています。1989年の坂本弁護士一家殺害事件では、当初からオウムの関わりが指摘されていました。もし警察がもう一歩踏み込んでいれば、その後の事件はなかったはずです。松本サリン事件では捜査がオウムに向かわず、誤認捜査をしました。警察が地下鉄サリン事件まで、なぜオウムの捜査に及び腰だったのか、まったく解明されていません。   まるで公開処刑! オウム大量死刑執行を“実況中継”したマスコミの狂気! 死刑執行に世界からは非難の声(リテラ 2018.7.8)   オウムを生んだ社会は今 大澤真幸さん、宮台真司さんに聞く(朝日新聞 2018.7.8)  オウムという存在や事件自体は日本社会を大きく変えてはいません。むしろ逆です。その後の報道などでも明らかなように、この社会に絶望して教団に入ったのに教団の中で繰り返されていたのは、今風にいえば、教団内での地位をめぐる、麻原彰晃の覚えをめでたくするための「忖度(そんたく)」競争でした。教義や大義は、どうでもよかった。日本社会の特徴とされる構造の反復です。その意味ではオウムは極めて陳腐な存在です。  だからこそ危ないとも言える。不全感を解消できれば、現実でも虚構でもよい。自己イメージの維持のためにはそんなものどちらでもよい。そうした感受性こそ、昨今の「ポスト真実」の先駆けです。誤解されがちですが、オウムの信徒たちは現実と虚構を取り違え、虚構の世界に生きたわけではない。そんな区別はどうでもよいと考えたことが重要なのです。  事件後、「オウムバッシング」が広がり、実存の不全感を人前で訴えるのは「やばい」ことになる。事件の半年後に始まったテレビアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」に代表されるように、若者は自己イメージを維持するために繭にこもるようになる。ですが、「エリート」の迷走も「現実と虚構」の関係も実は変わっていません。  「エリート」のみならず、社会全体がオウム的になっているとすら言えます。にもかかわらず、社会の側はオウムを自らと切断し、その自覚も学習もないまま、死刑が執行された。結局日本社会は、オウムを自分たちの問題として捉えることに失敗したのです。(談:宮台慎司)   追記 7月26日、残りの6名も死刑執行された。一か月に13名という大量処刑に、世論は沈黙したままのように見える。死刑に値する罪を犯したのだから当然ではないか、という声が聞こえる。そうではない。それ以前に、この国は8割の国民が死刑容認なのだ。先進国で唯一死刑制度に無批判な国なのだ。 神が審判を下すべきことを人間が行うことの是非、という宗教的な倫理観ははなからなく、近代の、国家が持つ殺す権利を問う人権的倫理観にも至らず。その長い考論の積み重ねをはしょった狭間に、原因究明や再発防止を求める意欲をすっぱりと投げ捨てている国。罰することだけを容認して。 オウム豊田亨死刑囚 執行までの3週間に親友が見た苦悩 麻原執行後に筆記具を取り上げられた 「日本社会は誰かを悪者にして吊し上げて留飲を下げると、また平気で同じミスを犯す。自分の責任は自分で取るけれど、それだけでは何も解決しない。ちゃんともとから断たなければ」 今回の死刑執行で気になるのは、再審請求者であっても執行されたこと。これまでの慣行はすでに破られてもいるけれど、再審請求をないがしろにする姿勢には問題がある。 オウム事件は特別だと、ここでも声が聞こえそうだ。けれども、それもおかしなことである。法制度やシステムが対象によって変動したら、その制度やシステムは意味をなさないからだ。これだけ自白強要が多く、これだけ冤罪が多い日本で、再審請求が軽んじられるのはそれだけ冤罪の解明が難しくなるということだ。無実かもしれない者を処刑して事件を終わらせるということは、真犯人の罪を許すということだ。 もうひとつすごく嫌な感じがするのは、日程の選択が非常に政治的なことである。平成のうちに決着させる、かつ、天皇即位やオリンピックの年ではなく、とすれば年内、とか。安部政権にとっては総裁選前、しかもあまり直前でなく、とか。 オウムとはなんだったのか、なぜあんな事件を起こしたのか、そんなことはどうでもよくて、ただただタイミングだけで執行されたということの軽さ。  
  • ウソの上の国会、ウソの上の内閣 — 「森友学園」書類改ざんは自衛隊日報隠しとおなじ

    ウソの上の国会、ウソの上の内閣 — 「森友学園」書類改ざんは自衛隊日報隠しとおなじ

    2018/03/13
    「森友学園問題」では一年前に、不正土地取引疑惑だけではなく、 もっと本質的な問題があるだろうと書いた。 疑惑がこのように報じられなかったら学園は開校していたかもしれない、 そのことの問題性があまりに報じられないのが不思議だったのだ。
  • スペインでいらなかったもの、足りなかったもの、忘れたもの

    スペインでいらなかったもの、足りなかったもの、忘れたもの

    2018/03/04
    超個人的(次の旅行用)忘備録。 このたびの持ち物で一番迷ったのは服。 次がカメラとレンズ、おまけにスマホ。 いずれも迷って持って行ったものが不要であった。   服 2/13日-20日、予報では最低が5度前後、最高が11度から20度までと幅が広い。バルセロナが低め、コルドバとセビーリャは高め、グラナダがその中間。朝晩は寒いが日中は暖かい。特に旅程後半の日中の気温の高さに、スーツケース集荷の直前に薄いコートと綿ニットのジャケットを追加。おかげで重さが14.5キロほどになってしまった。 列車乗降時の積み下ろしなど同行者(ムスコ)に頼れるので、1キロ増えたところで問題はないのだが、要らぬものを持って行って持って帰ってきたことに変わりはなく、ちょっと悔しい。 イタリアもそうなのだが、同じ18度でも体感温度は日本とかなり違う。日中18度あればライナー付のコートでは暑いだろうと思っていたのだが、これが日陰や建物内だとちょうど良いくらいであった。しかもインにダウンベストまで着ていても、である。11月のマルタが温かかったこともあって、その記憶にも引きずられていた。 朝晩、特に朝はかなり寒いので、本来はそれを基準に選ぶべきである。朝の出発時に薄手コートやジャケットのみは、(私には)あり得ない。で、日中の強い日差しにはコートを脱ぐ。対応はこれしかなかった。実際はほとんど帽子と毛皮のティペットの脱着で温度調節が済んでしまい、コートを脱ぐほどのシーンはそれほど多くはなかった。 ジーンズも不要であった。日本からの出発時の装いも、直前に、裏起毛パンツをヒートテックレギンズ+ストレッチジーンズに、厚手セーターを薄手カーディガンに変更。これもはずした。で、多くを一本しかない厚手パンツと一枚しかない厚手カーディガンで過ごす羽目になってしまった。出発時の最初の組み合わせがあればジャストだったのに。 気温予想による装いでは幅を持たせて選択するので、たいてい「一度も着ずに終わる服」というのが出る。大島のチュニック&インの薄手タートルなどはこの意味で着なくても仕方なかったのだが(想定内)、これほど外すのは久しぶり。あんなに悩んだにもかかわらず。これもあちこちでヤキが回って来たことの一つ、だろうか。   カメラとレンズ 長らくの旅の供(友)カメラだったOLYMPUS E-PL6+14-150mmを、LUMIX  DNC-GM1+12-32mmに変更した。おかげで首にかかる重さが650gから300gと半分以下に。肩こりが随分軽くなった(これは、疲れてくるとデイバックをムスコにしょってもらっていたから、でもあるが)。 出発前の悩みは二つ。果たして12-32のズームで足りるだろうか、ということと、お気に入りのLumixレンズ20mm/F1.7を使いたいときどうするか。 カメラ変更後初めての旅であるからして、とにかく行ってみないとわからない。14-150mmズーム(300g)、OLYMPUS Airと20mm/F1.7(合わせて300g程度)も携行。 結果、ほとんどをGM1+12-32mmで撮って終わった。20mm/F1.7は食事と夜の撮影にフィットするのだが、結局スペインでバックから取り出したのは2回だけ。それも1度はGM1がバッテリー切れとなったからであった。 GM1はバッテリーがすぐなくなるとレビューで読んではいた。予備に一つ買っても行った。この予備が1つで足りない日があったのだ。到着翌日、バルセロナからタラゴナ(水道橋+ローマ円形劇場)を往復し、夕方カサ・バトリョ見学の途中。撮影枚数は360枚ほど。 それでAirで撮っては見たが、モニター用に持って行ったDIGNOの反応の悪さからストレスが大きく、撮影意欲も減退。夜のレストランのようなところではまだ良いのだが、動きながらの撮影ではDIGNOではなかなか撮れないということが実証された(わかってはいたのだが)。 あらためて一日の撮影枚数を見てみると、今回多い日で400枚超。前回のマルタでは400枚を超える日はなかった。増えたのは、一日の稼働時間がスペインでは長かったということと、カメラの軽快さもあったような気がする。加えて、ピント合わせの電子音とシャッター音を無くしたことも。これで余計バシャバシャと気軽に撮ってしまったというか。 翌日からスイッチOFFをこまめにしていたら、なんとか予備バッテリー1本で賄えるようにはなった。もう1本必要かというと、充電の手間もあるし、いらないかな。 14-150mmズームレンズは一度も使用(レンズ交換)せず。これも半ば予想通り。やっぱりね、いちいちレンズなんて交換しやしませんて。手振れ補正も無しだし。というか、これまでも交換しないできたのに、この期に及んでするはずもないということ。望遠が欲しいと思ったシーンはあったけれど、デジタルズームの2倍・4倍でお茶を濁して済んでしまった。 それよりも、12mm(35mm換算24mm)の画角で撮れるメリット! 風景もホテルの部屋も12mmは良い!!  交換レンズで12-60mmというのがあるので、余裕が出来たら買おうかな。209gとそれなりに重い(本体とあわせて400gになってしまう)けれど、14-140mm(263g)よりは軽いし、12mmに価値があると思う。新品で4万強、中古で3万弱。 もしくは、G X VARIO 12-35mm/F2.8 II 。これがあれば20mm/F1.7はいらないかもしれない。が、重い。304g。そして高い。Amazonで83,000円ほど。古い機種も新品値段はかえって高く、ただし中古で5万くらいから(重さは同じ)。 評判はすこぶる良くて、そりゃきれいな写真は撮れるんでしょう。F2.8も大きいでしょう。でもねぇ、値段もだけど、重さがねぇ。 話しは戻って、もうひとつGM1で驚いたのは、暗いところでもかなり撮れるということと、レストランの料理写真もそれなりにボケを出せるということ。それでよけいAir+20mm/F1.7の出番がなくなってしまった。で(例によって)疲れてくると、14-150mmの交換レンズも、Air+20mmもホテルの金庫に入れっぱなしになっていた。 が、である。帰ってきて撮れた写真を見るに、やっぱりそれなりで、夜は20mm/F1.7を最初からつけてい行くべきだったと反省。というか、夜はAir+20を持ってGM1はリュックに入れる、でも良かったのかもしれない。足りないのは写真にかける情熱とエネルギー、ということか。   スマホとタブレット&アプリ 今回DIGNOの他にもう1機、Android(arp)を持って行った。ムスコが自分のiPhoneを事前にSIMロック解除をしておらず、万一現地ぶっつけ本番で出来なかったら、と心配だったのだ。LINEが別行動時の必需品であるし。結果無事解除も出来、Threeも問題なく使えたので不要ではあった。 が、Air用にも予備的にももう一台スマホは欲しい。このたびもiPhoneのバッテリーが1日ぎりぎりであった。DIGNOがAirのモニターとして使えないということと、SIMもさせないことから、予備スマホとしてはいくら軽くても携行価値ゼロ。悔しいが仕方ない。 となると、arpAndroidに頑張ってもらうしかない。ムスコがiPhoneを機種替えしたら7をもらい下げることになっているので、そのときまで。本当はiPhone SEが軽くて小さくて良さそう。楽天モバイルやY!mobile、UQ mobile で格安に入手できる模様なれど、乗り換えるのもかったるい。 楽天以外は2年縛りにもひっかかる。そこを気分的にクリアできれば軽くて小さいiPhoneが格安で手に入るのは超魅力。実はガジェット欲がそそられている*。今後あの軽さも貴重となるような気がする。合理的にはモバイル充電器持参、なんだけれど(今回も持って行って、確か一回くらい充電した)。 出番がなかったのはiPadも同様。WPに日記風記録を書いたのは行きの機内のみ。いつもはWebチェックインをiPadでやるんだけれど、イベリア航空(Vueling)もライアンエアーも日本でチェックインが出来てしまったので不要。ルフトハンザは前日にiPhoneのアプリからやった。スマホで何でもできてしまう。特にモバイルチェックインは本当に楽。とはいえ、記録や書類の携行用に、まだまだiPadを置いていく気にはなれない。 その必要書類のチェックは100%Evernote(主にiPhone)だけ。ネット環境不要というのが大きいし、マルタで以前より使いかに慣れたせいもあった。Onenoteもファイルマネージャーも開かずじまい。   SIM Threeは今回も快調だった。私の6はMVPNのプロファイルを削除する必要があったが、ムスコの7はそれもいらなかったようだ。 1GB/30日有効のThreeは国内業者が販売しておらず、香港から届いた。その分到着まで日数が必要だったが、容量的には9日間でぎりぎり。今回ホテルWifiをあまり使わなかったからかもしれない。 ちょっとミスったのは帰国後。羽田で空港フリーWifiをつなぎ、まずOCNのプロファイルをダウンロードすべきであった。が、プラスEXでの新幹線予約を優先してしまった。しかも品川まで時間がかかるのを忘れ、ぎりぎりの時間で取ってしまった。京浜急行ホームで予約変更をしようとしたらすでに空港Wifiが入らず。 ぎりぎり新幹線には乗れたのだが、帰宅するまでネット環境も電話環境も無し。新幹線内のWifiは契約者のみとのこと。 こんなときのためにOCNのフリーWifiを設定しておこうかと、先日自宅で試すもうまくいかず。実際に対象となるWifiが飛んでいないと出来ないのかな。今度どこかで試してみよう(と思っていたのだが、UQモバイルに乗り換えることにしたので、この作業も不要になった*)。   忘れ物と落し物 今回持っていくのを忘れたのはプライオリティカード。ラウンジ利用しないと楽天カード年会費のモトが取れない。悔しい。が、たっぷりあると思っていた乗り継ぎ時間が、特に帰路ライアンエアー(フランクフルトで)荷物ピックアップに1時間かかるなど、利用する時間もなかったのだが。やはり航空券を別冊で切ると乗継がネックだなあ。 Covermarkメイクアップ用スポンジも忘れた。Canmakeのパウダースポンジが2個あったので流用。あとは爪切り。結局私は要らなかったのだが。 現地に忘れてきたものはなし(と思う)。落としたのはコートのボタン。取れやすいんだよね、あのコートボタン。何個目だろうか。でもまあ、ボタンくらいで済んで良かった。   *本日OCN解約、UQモバイル+iPhone SE で申し込む流れ。 もうしょうがないのだ、流れには逆らえん…。