『イスラーム文化』

『イスラーム文化』–その根底にあるもの
井筒俊彦/著 岩波文庫 1991.6

とりあえず付箋箇所のメモのみ。

Ⅰ宗教 Ⅱ法と倫理

『コーラン』というただ一つの聖典がある。そこからすべてが出てくる。源が一つであり、しかもそれが神の言葉という動かしがたい絶対性を持ったものだから、そこから出てくるものも一つかと思うと、とんでもない。解釈の仕方によって何が出てくるかわからぬのです。

神と人との人格関係は、あくまで主人と奴隷との関係なのであります。人間を神の奴隷ないしは奴僕とする、このイスラーム的考え方はイスラームという宗教の性格を理解するうえで決定的重要性を持つものでありまして、それがどのような宗教的意義を持っているかということにつきましては、私は『イスラームの生誕』その他の著書や論文で詳しく論究してまいりました。……どうしても申し上げておかなくてはならないのは、それが人間の神に対する無条件的自己委託、自分をすっかり相手に任せきること、奴隷のように、奴隷が主人に対するように、何をどうされても、ただひたすら向うの思いのままという絶対他力信仰的な態度を意味するということ、そしてそれがイスラームという宗教の実存体験的中核をなすということであります。人間が自分で主体的に努力して己の救済に至ろうとする、いわゆる自力的態度は、ここでは全く成立する余地がありません。

第一、イスラーム(isulam)という言葉自身、アラビア語としては、すでに語源的に自己委託、引き渡し、一切を相手に任せること、という意味なのであります。つまりイスラームは宗教的には「絶対帰依」以外のなにものでもあり得ないです。

前期メッカ期は、全体を包む雰囲気が異常なまでに終末論的であって、天地終末の生々しいヴィジョンの醸し出す重苦しい雰囲気の中で、宗教が人間個人個人の信仰の深刻な実存的問題として浮かび上がってくるということに特徴があります。人間がたった独りで神の前に立つ。宗教とはここでは神の前に一人で立った人間の実存の根源的な在り方を意味します。メディナ期との比較で申しますと、宗教がなまの人間的体験であって、まだいささかも制度化されていない、ということであります。

では、人間が独りでその前に立つ神とはどのような神なのか。……唯一の。全知全能の人格神です。そういう唯一の、生きた人格的神と人間とが人格的関係に入る、その関係が、契約という形をとるのであります。……この性質だけは前期、後期を通じて変わりません人間が神と契約を結ぶ、つまり神と契約関係に入る、簡単に言えば、それが信仰であり、宗教であるのです。

但し、同じく契約ではありましても、前期と後期の間には非常に大きな違いがあります。神と契約を結ぶ人間が、個人であるか共同体であるか、つまりこの契約関係が実存的であるか社会的であるか、ということからくる違いです。

共同体の宗教として確立されたイスラームの最も顕著な特徴の第一として、私は普遍性、あるいは世界性という性質を挙げたいと思います。もともと、血のつながりによって統一された社会は閉ざされた社会であります。今イスラームが血縁関係をもって社会構成の至上の原理とすることをやめて、代わりに共通の信仰をその位置に据えたということは、イスラームに普遍性、統一性、世界性を与えることになりました。その発端においてアラブの宗教であったイスラームは、突然ここに人類全体に呼びかける世界宗教になったのであります。血のつながりとか、結党の良しあしが全然問題にならない世界、どんな人種、どんな民族でも構わない。簡単に言えば、だれでもその気になりさえすればイスラーム共同体の一員となれるのです。

こういいましても、勿論、イスラーム共同体が、どこにでもある普通の人間集団と少しも変るところがないということではありません。逆に、イスラーム共同体は神によって特別に選ばれた特別の人間集団です。……最高のの宗教を授けられた最高の共同体–我々はここに一種の選民思想を見出すのでありまして、この意味ではイスラーム共同体の観念にも明らかにユダヤ人のそれに似た選民思想の要素があるといわなければなりません。

イスラーム法とは、神の意志に基づいて、人間が現生で生きていく上での行動の仕方、人間生活の正しいあり方を残りなく規定する一般的規範の体系でありまして、それに正しくしたがって生きることがすなわち神の地上経綸に人間が参与することであり、それがまた同時に神に対する人間の信仰の具体的表現となるのでありまして、その意味でイスラーム法がすなわち宗教だといわれるのであります。

今現生を正しく構築するとか、人生を正しく生きるとか申しましたが、ここで正しくとは、勿論、神の指示どおりに、神の意志に従って、ということです。この意味でイスラーム法とは人間生活の正しいあり方に関する神の意志そのものを法的に体系化したもの、契約化したもの、構造化したものです。ですからイスラーム法は、全体として、命令と禁止の体系であります。神の意志とは要するに神の命令であり、その否定が禁止なのですから。ある一定の犯罪的状況を想定しておいて、それに一定の刑罰を当てはめるというのでは全然ありま線。終始一貫して、何をせよ、何をするなという体系なのです。

ところが、イスラームの歴史のかなり早い時期に、法律に関する限り聖典解釈は絶対にしてはいけないと、聖典解釈の自由が禁止されました。具体的には西暦九世紀の中ごろのことであります。それ以来、現在まで禁止されたままです。

個人が自由に『コーラン』と「ハディース」とを解釈して、法的判断を下すことを、法学の述語で「イジュティハード」(ijtihad)と申します。イジュティハードというのは、普通のアラビア語では「努力」という意味ですが、述語としては今申しましたような特殊な意味があります。そのイジュティハードが公に禁止されてしまう。人間生活に関するあらゆる重要な問題はもう出尽くして待ったし、それに対する法的解決も完全についてしまった。もはや議論の余地は全くない。だからもうこれからは個人が自分勝手に独立に『コーラン』や「ハディース」を解釈して、法的判断を下すことはいけない。すべて昔の権威者が解釈してくれた通りに、それに従って判断すべきである、というわけであります。
この事態をイスラーム法学の述語で「イジュティハードの門の閉鎖」、自由解釈の門が閉じられた、と申します。……ここに至ってイスラーム法体系は完全に固定されてしまします。そこには柔軟性を欠いた、そして冷酷なまでに整然たる体系があるだけです。聖典の自由解釈を禁止てしまったおかげで、イスラームが収拾すべからざるアナーキーに陥ることだけは避けられました。しかしその代わり、活発な論的思考の生命の根を切られてしまったイスラームは、文化的生命の枯渇という重大な危機に身をさらすことになるのであります。事実、近世におけるイスラーム文化の凋落の大きな原因の一つはそれであったのです。
十九世紀の半ば以来、閉鎖されたイジュティハードの扉をもう一度開かなくてはならないという声が、イスラーム世界の処々方々に上がり始めました。目まぐるしく変わる世界情勢に機敏かつ柔軟に対応して生存していくだけのたくましい生命力を得るためにも、どうしても聖典をどんどん新しく解釈して、新しい事情に適応したような形で解釈していく自由が必要だというのであります。

それにつけても思われますのは、最近イスラームのルネッサンスということが各方面で叫ばれていることです。イスラーム教徒からも局外者からも、イスラームのルネサンスという言葉を近頃よく聞きます。……イスラーム自身の立場としてはそう簡単ではありません。イスラームの枠をかなぐり捨ててしまうならいざ知らず、そうでない限り、どうしてもここでイジュティハードの問題に突き当たるのであります。

いわゆるイジュティハードの門をはじめから全然閉じることをしなかったイランのシーア派イスラームだけは例外といたしまして、アラブの世界では未だにイジュティハードの門は開かれてはおりません。ですから、昔のままのイスラーム法ではどうしても現代世界ではやっていけないと信じる人々は、イスラーム法を潔く見捨てまして–ということは、スンニー派的に考えれば、イスラーム共同体を立ち去ってということですが–西欧主義者になる、そして西洋の近代法で生きていくほかはありません。これは今の現代イスラームの抱えている大きな問題の一つであります。この問題を将来に向かてどう解決していくのか、それは現代の、少なくともスンニー派、つまりイスラーム大多数の人たちが当面している課題なのであります。

……共同体の宗教となり、イスラーム法という形に固定されるに至ったイスラームは、外面的には実にがっしりとした文化構造体になりました。しかし、その代り宗教画社会制度化し、政治の場となり、信仰の実存的なみずみずしい生命力は失われて枯渇しそうになってきたことも、また否定できない事実であります。まさに信仰の危機です。立法主義は形式主義だとよくいわれます。確かに立法主義が極端に走れば、宗教は形式に出し、形骸化いたします。イスラームはその立法性において完成すると同時に、精神性において死んだと主張する人々はこの点を鋭く突きます。しかしイスラームがその精神性において死んで島田と判定するのは、いささか乱暴に過ぎるのではないかと思います。なぜならば、イスラームの内部には最初期から宗教のこのような形式化に真正面から反対し、それと対決してきた精神主義の大潮流がありまして、現代もなおその生命力をいささかも失っていないからであります。(それは)立法主義を根底からひっくり返してしまうような。猛烈な実存的内面主義の傾向です。もともと宗教を外側から固めていこうとする立法主義と、宗教を人間実存の内面的深みに据えて、それによってイスラームの精神性を守っていこうとする精神主義、この二つの互いに正反対の傾向の間に醸し出される矛盾的緊張があったからこそ、イスラームは独自の文化構造体にまで発展することができたのだと私は思います。

 

Ⅲ 内面への道

……『コーラン』の前期=メッカ期の性格が一つの文化パターンを、そして後期=メディナ期の性格が、もう一つの全く別の文化パターンを、同じ一つのイスラームの枠内に矛盾対立的に生み出していくということでありまして、そこのこの分割の大きな重要性が認められるのであります。
ところで私は前回、『コーラン』前期、すなわちメッカ期の顕著な。というより決定的に重要な特徴として、そこでは宗教が、最後の審判の終末論的ヴィジョンを背景とする人間の個人的、実存的決断にかかわる事柄であるということを指摘いたしました。要するにメッカ期のイスラームは一つの瀬咽喉体系として有機的に組織され制度化された歴史的宗教ではなくて、人間個人個人の生々しい宗教的室損の在り方に直接につながるものでありまして、己の罪悪性を自覚した人間主体が、神の呼びかけに対してどう決断し、どう応えていくかという信仰の問題でありました。……「内面への道」といいますのは、大体においてこのメッカ期のイスラームの系統をひく文化パターンであります。

「内面への道」と申しますからには、それは当然、「外面への道」を対立項として予想しております。「外面への道」とはここでは、……共同体(ウンマ)への道、すなわち『コーラン』後期=メディナ期の精神に基づく文化パターンとして、宗教を社会化し、政治化し、法制化し、そしてついにはそれを……シャリーア、つまりイスラーム法にまで仕立てあげていった正統派ウラマーたちの道のことです。イスラーム法の堅固な形式的枠組みでがっしり外側を固めた共同体の宗教として、イスラームを盤石の礎の上に打ち立てたウラマーたち、彼らの立場こそ、今回の主題である「内面への道」を取った人々の目から見れば、まさしく「外面への道」と呼ばれるにふさわしい者なのであります。
「外面への道」と申しますと、何か軽蔑的に響きましょうし、また事実、「内面への道」を代表する人たちにとっては軽蔑どころか憎悪の対象ですらあるわけですけれど、客観的に見れば決して「外面への道」の文化パタン、ごく大ざっぱに見てイスラームにおけるアラブ的文化パタンと呼んでしかるべきものであると思いますが、このアラブ的文化パタンは、何と言いましてもイスラーム文化の基本でありまして、もしこの基礎がなければ、イスラーム文化はイスラームの文化ではありえなかったろうと私は思います。

ウラマーたちがイスラームを社会制度的形態に発展させつつあったちょうどそのころ、それと並んで、その全く逆の方向に向かって、内面的視座とでもいうべきものを重視していこうとする立場が、イスラーム文化形成の底流として強力に働き始めており㎥した。ここで内面と申しますのは、感覚や知覚や理性では全然とらえることのできないジブの隠れた次元、事物の存在の真相、深みというようなことでありまして、一切の事物にこの意味での内面、真相を認めて、それを探求しようといたします。どんなものにも普通の人の目には見えない深みがある、深層がある。勿論、宗教にもそういう意味での内面があるはずです。「内面への道」をとる人たちのことを、ウラマーに対してまして一般にウラファーと申します。

……内面化された宗教を第一義的なものとするウラファーたちは、ウラマーたちのシャリーア至上主義、すなわち宗教としてのイスラームをそのままシャリーアと同一視し、法則宗教と考えるウラマーの立方的精神に反発し、これと激しく対立するに至ります。それがいかに激烈な、というより惨烈な対立であったことか。計り知れない命がそのために失われ、イスラーム文化を紅に染めました。イスラーム文化の苦渋に満ちた陰鬱な側面であります。
しかしその反面、……この二つの全く相反する文化パターンの矛盾的対立があったからこそ、イスラーム文化は全体として外面と内面、精緻を極めた形式と深い形而上的霊性とを共に備えたひとつの渾然たる文化構造体となることができたのだともいえるのであります。

イスラームの公のかおともいうべき顕教……の一番大切な、中心的基礎概念、あるいはキーワード、「シャリーア」(イスラーム法)に対しまして、イスラームの秘密の顔ともいうべき密教のほうで中心的位置を占めるキーワードはハキーカ…。
ハキーカとは普通のアラビア語では真理とか、実態とか、実装とか、リアリティーとかいう意味。今私がご説明している問題のコンテクストでは、一応「内的心理」とか「内面的実在性」とで訳したらいいかと思います。とにかく、「シャリーア」と「ハキーカ」、この二つのキーワードを通じて、「外面への道」を行くウラマーの宗教間と、「内面への道」を行くウラファーの宗教間とが、イスラーム文化史の中においてこの上もない鋭さで対立するのであります。

シャリーアの奥には、それを不可視の次元で支え、それを通じて自己を表現している内的、精神的実在性、つまりハキーカがある。ハキーカの自己表現の形、あるいは場所であるからには、シャリーア、すなわちイスラーム法はそれ相当の存在理由をもって存在しているはずでありまして、「内面への道」を行く内面主義の人たちも、一概にシャリーアが悪いとは申しません。

「内面への道」の二つの違った系統、その一つはシーア派的イスラーム、もう一つはスーフィズムの名で西洋で知られておりますイスラーム神秘主義であります。

(シーア派については)なかで文化的に一番重要なもの、十六世紀の初めから現在までイランの国教として目覚ましい活躍をしてまいりました「十二イマーム派」と呼ばれる一派にだけに絞ってお話しいたします。

神の言葉の内面に「秘密の意味」を認めるシーア派の人々にとっては、『コーラン』は一つの暗号書です。読んで字の如し、という普通の書物でないことはもちろん、単なる宗教書でもありません。全編これ暗号に道が、暗号で書かれた書物であります。『コーラン』の言葉はふつうアラビア語ですが、その表面の意味の裏側、あるいは内側に隠れた精神的意味がある。ハキーカがある。つまりこのアラビア語は暗号言語なのです。

こういうふうに考えるとなりますと、シーア派はたちまちイスラームの常識と正面衝突することになってしまします。と申しますのは、イスラームは本来、聖俗不分、つまり存在の神聖な次元と世俗的次元とを区別しないのが建前です。この根本原則によって現世を全部そっくり宗教的世界の中に取り込みまして、その上に共同体(ウンマ)というものを樹ち立てる、それがオーソドックスの生き方であります。ところが、シーア派のタアウィール(外面的意味から内面的意味に移る解釈学的操作)の立場に立ちますと、どうしてもタアウィール以前に人が見ていた世界は世俗的な世界であって、……タアウィールの後に現れてくる世界が聖なる世界だということにならざるをえない。第一、外面派のウラマーたちのように、イスラームのを共同体の宗教として社会化し、法制化し、政治化すること自体が、本来純粋に内面的であるはずのイスラームを世俗化すること以外の何ものでもないわけです。つまりスンニー派の構想するようなイスラーム的世界は、宗教的世界ではなくて、実は政治的権力の葛藤の場であり、まぎれもない世俗的世界であるということになる。こうしてシーア派は、その根本的立場上、生徒族とを発揮る区別するのでありまして、この点においてスンニー派と完全に対立します。
スンニー派の見方では、現世がそっくりそのまま神の国、少なくとも本来的には神の国であるべきものなのです。そこに聖も俗も区別はない。だから人間生活の現実がもし罪と悪とに汚れているとしても、それは偶然的、偶有的な汚れであって、人間の決意と努力次第で正しい形に立て直していけるものであります。……このスンニー派的な現世行程、現世構築の態度を、シーア派はそのままの形では決して正しいものとは認めません。シーア派は根本的にイラン的です。彼らにとって現世は存在の聖なる次元と俗なる次元との葛藤の場、というよりむしろ、現世は–ターウィールによって内面化され、象徴的世界として見直されない限り–完全に俗なる世界であり、存在の俗なる次元を代表するものとして、存在の天上的な次元とあくまで戦うことを本姓とする悪と闇の世界である、と考えられるのであります。善と悪、光と闇の闘争という古代イラン、ゾロアスター教の二元論的世界表象が、きわめて特徴ある形でイスラーム化されてここに働いていることが認められます。ただゾロアスター教的に言論と異なるところは、この闇と悪の現世が、そのハキーカ的深層においては、そのまま善と光の聖なる存在次元であるということです。しかしながら、これは存在のハキーカを体認した霊性的達人の見処でありまして、一般人にとっての現世は決して光の国ではありません。
……現世は闇の国です。本当の宗教的世界、つまり光の国は、世俗的世界の暗闇の内面にひそむ存在の聖なる秩序、つまりハキーカだけなのであります。ですから人は何をおいても、まずこの存在の聖なる秩序を探り出してこなければならない。そしてそれの光で世俗的世界を聖化しなければならない。なぜなら『コーラン』の内的意味こそ、存在の聖なる秩序を象徴的に支持するものであるのですから。

しーは的霊性の最高権威者をイマームと申します。イマームの字義は「前に行く人」「先導者」ということ。スンニー派の圏内での用法としては、金曜日の集団礼拝の会衆の前方に立って礼拝の儀式を指導する人を指すのがふつうで、またイスラーム史の初期には、「教皇(カリフ)」の同義語として使われもしました。しかしシーア派では。イマームという言葉にはこれとは全く違った、重々しい意味がある。……シーア派的世界全体(あるいは全存在界)の冷静的最高権威者という意味です。イランの「十二イマーム派」は、人類の歴史にそのようなイマームが十二人だけあらわれたと信じる人々です。

このような観点から見られたイマームは、『コーラン』、すなわち神の啓示の言葉の内的意味、精神的意味、つまりハキーカを大任した人であります。……したがって、また一般の人々を『コーラン』の内的意味の深層にまで導いていくことのできる暗号解読者、内的解釈学の権威でもあります。神的暗号書『コーラン』を解読するということは、普通の暗号書を解読するのと違います。ふつうの暗号の場合は、それが組織的、整合的に解読され、意味されている内容が解読されればそれでいいわけですが、『コーラン』の場合には、単にその内的意味を理解し、理解させるだけでなく、解読者は自分の解読した内的意味の開示する内的世界そのもの、聖なる世界、存在の形而上的、精神的ハキーカとおのれ自身が一体となり、そのうえ、他の人々をその世界に導き入れることまでできなくてはならない。そういう意味での権威者で、イマームはあるのです。
一体どこからイマームにそんな権威が生じてくるのか。ここでシーア派な、内面主義者の本領を発揮しましてこういいます。そもそもイマームなるものは、預言者そのものの内面なのである、と。預言者の内面。内と外との違いこそあれ、預言者とイマームは同じ一つの実在だというのです。預言者とイマームはもともと同じ一つの神的光明、神の光–イスラームでは「光の光」すなわちあらゆる光(複数)の究極の光(単数)と申しますが–宇宙の根源的光に淵源する二つの違った光です。預言者はこの究極の光源から外に向かって発出する光、イマームは内に深くこもる光、それだけの違いです。

外面的、つまり預言者として公然と表に現れた預言者と内面的預言者、すなわち一般の人の目には見えない形而上的預言者性を深層に秘めた人、こうなると、すこぶる異端くさくなってきます。少なくとも正統派の立場から見れば、まぎれもない異端です。外面的と内面的の区別はあるにせよ、ともかくムハンマドのほかにイスラームの預言者が何人も認められることになるのですから。

神の内面的光であるという資格において、イマームは自分自身『』コーランの内的意味であり、(そのことによって)そのまま存在世界の内的意味であり、宇宙の枢軸なのであります。こうしてシーア派の人々のイラン的超現実主義的意識のなかで、イマームは人間的存在の次元を超え、次第に宇宙的実在、宇宙の形而上的根源へと変貌していく。……感覚的現実主義者であるアラブは、一般にこのような管上げにはとてもついていけません。彼らの目には、この濃厚なグノーシス的幻想性に満ちたシーア派的思想は、とりとめもない妄想と見えます。とりとめもない妄想どころか、神に対する許しがたい冒涜とさえ映るのです。

一般ににシーア派的現象を理解する上で、どうしても心得ておかなければならないことがあります。それはイラン人が一般に本来、著しく幻想的であり、神話的であり、その存在感覚において、いわば体質的に超現実主義者、シュールレアリストであるということであります。……この点でイラン人は、感覚的で現実主義的なアラブと対照的です。しかもその同じイラン人が、いったん外面的世界、つまり現実の世界に戻ってきて、純外面的にものを考えるとなりますと、今度はたちまち極端にドライな論理的人間に早変わりしてしまう。

思考においては徹底的に論理的、存在感覚においては極度に幻想的、この二つを一つに合わせたものが、やや大ざっぱな言い方になりますけれど、一般にイラン的人間の類型学的性格です。

イスラームにとって最も重要な預言者ムハンマドすら「市場を歩き回り、ものを食う」ただの人間とするスンニー派に対立して、イマームと呼ばれる神的人間の存在を認め、それをすべてのことの根底とするシーア派は、それだけキリスト教により近いと考えていいと思います。

スーフィズムでは、シーア派のイマーム論とは違いまして、人は生まれや、血筋や、神の選びによって、あるいは先天的に、ワリー(広くハキーカに直通した人)であるのではなくて、修行によってはじめてワリーになる(というのが特徴)……。ここで修業とは最終的には神との一体化、すなわち全存在界の絶対的原点そのものと一体になって、その一体性を主体的事態として自覚するに至ることを最終目的として行われる霊性現成のための全人的鍛錬でありますが、だれも一足飛びにそんな高い境地に到達できるものではありません。この目的のために、まずそれの邪魔になる自我意識を払拭してかからなければならない。それがさしあたっての目標であります。自我の意識、我の意識の払拭とは、単に我を忘れるというような消極的なことではなくて、自分の内に自分ならぬものを見出そうとする積極的な努力です。自分とか我とかいうものを深く深くどこまでも掘り下げていく。その極点において、我の内部に、我でなく、圧死と創造的に働く生けるハキーカ、つまり神を見出し、神に合うということでありまして、これがスーフィズムのいわゆる「内面への道」の第一段階なのであります。

もともと、スーフィーは厳正に背を向けた孤独者です。ただ一人の神の前に、ただ一人で立つ、ただ一人の実存、それがスーフィーであります。シャリーアを厳守することによって、いくら外面生活をきれいに飾り整えてみたところで、内面が汚れていればなんにもならない。形式だけ完璧に道徳的に生きても、内的精神がなければ話にならないというわけです。……スーフィーはその修行道において、まず何多い手も自己否定、つまり自我意識の払拭に全力を尽くすのであります。

しかしながらmスーフィーが自己否定の道をどこまでも進んでいくうちに、思いもかけなかった不思議な事態が起こってまいります。自己否定が全く新しい積極的な意味を持ち始め、一種の自己肯定に変わってくるのです。否定に否定を重ねて自我意識を消しながら、我をその内面に向かって深く掘り下げていくと、ついに自己校否定の道の極限において、人は己の無の底に突き当たる。ここに至って人間の主体性の意識は余すところなく消滅し、我が無に帰してしまいます。自我の完全な無化、我が虚無と貸すということです。

この異常な実存的体験を、……神秘家ハッラージが、「我が虚無性のただ中にこそ永遠の汝の実在性がある」という言葉で描いております。そして同じことを、十五世紀イランのスーフィー詩人、哲学者ジャーミーは散文で、「人間的自我の消滅とは、神の実在性の権限が、人間の内部空間を占拠し尽して、その人のうちにもはや神以外の何ものもの意識も全く残さないことだ」といっております。……スーフィーの体験的事実としての自我消滅、つまり無我の境地とは、意識が空虚になりうつろになってしまうことではなくて、むしろ逆に、心的実在から発出してくる強烈な光で、意識全体がそっくり光と貸し、光以外の何ものもなくなってしまうということなのであります。ここで「心的実在」と申しますのは、「ハキーカ」、存在の絶対的、形而上的根源のことでありまして、イスラームの神秘家にあっては、このような境地でのハキーカの圧倒的な力がしばしば一種の光、この世のものならぬ霊光による意識の照明として体験されます。こういう形而上的光明体験を、神秘主義の述語で「照明体験」、アラビア語ではイシュラークと申します。

但しスーフィーはこの光の体験を……、そのまま世界現出として受け取るようりもむしろ、それを自我の神化、つまり人間が現身のまま神になること、人間的我が神的我に変質することとして受け止めます。そのような形で現出してくる存在世界を見る目は、もはや人間の目ではなくて神の目である、と信じるからです。

(九世紀最大のスーフィーバーヤジード・バスターミーの「我こそは神」といったことを指して)このような言葉が、共同体的、シャリーア的イスラームを代表するウラマーたちの耳に、鴻上もない神の冒涜と響いたことは申すまでもありません。

こうしてイスラームにおける「内面への道」はスーフィズムとともについに行きつくところまで行きついたという感があります。これでもなお、「内面への道」はイスラームなのでありましょうか。この問いに対してスーフィーは、「そうだ、これ頃本当の純粋なイスラームなのだ」と答えます。しかし、これが純粋なイスラームであるにしても、これほどまで二重化されたイスラームは、もうイスラーム自身の歴史的形態の否定すれすれのところまで来ているであります。あるいはイスラームの歴史手形態の否定そのものだといったほうが真実に近いかもしれません。

神を見た人、神になった人には、もう宗教は用がないのだと言い切ってしまうスーフィズムは、イスラーム共同体の内部にあって歴史的に危険分子として今日まで存続してまいりました。しかし、つねに危険視され、白梅されつつも、スーフィズムがイスラームに精神的深みと奥行きを与えることによって、イスラーム文化の形成に重大な寄与を為してきたことは、疑いの余地のないところであります。

イスラーム文化の三つの代表者、すなわち、第一にシャリーア、宗教法に全面的に依拠するスンニー派の共同体的イスラーム、第二に、イマームによって解釈され、イマームによって体現された形でのハキーカに基づくシーア派的イスラーム、そして第三に、ハキーカそのものから発出する光の照射のうちに成立するスーフィズム、この三つのうちのどれが一体、心のイスラーム、心のイスラーム的一神教なのか。……イスラーム文化の歴史は、ある意味ではこれら三つの潮流の闘争の歴史なのであります。……このような相対立する三つのエネルギーの間に醸し出される内的緊張を含んだダイナミックで多層的な文化、それがイスラーム文化なのだ、というふうに考えていくべきではなかろうかと思います。

 

 

 

 

 

 

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