◆イスラムの怒り 内藤正則 集英社新書 2009.5
イスラムは何に対して怒るのか。
ワールドカップでのフランスのジダンのエピソードは印象的だ。
それほど敬虔ではないモスリムであっても、
これだけは譲れないという線があり、
それを超えた攻撃(と本人が感じた)ものに対しては、
たとえ暴力に訴えてでも反撃するのだ、という。
つまり、アラブ・イスラム社会においては、
このようなイスラム的価値観が、
西欧的な価値観などより優先されるということだ。そしてこの価値観が、
おそらく日常的には西欧化された移民世代にまで、
しっかりと引き継がれているということ。
第三章 西欧は、なぜイスラムを嫌うのか
古代ギリシャの知恵は、直接、ヨーロッパには伝わらなかった。ローマは、理屈っぽい古代ギリシャの学問より、実践の諸学を尊んだ。では、誰が古代ギリシャの豊かな知恵をヨーロッパにつたえたのか。
実は、ニケーア(ニカイア)やエフェソスの公会議で異端にされてしまったキリスト教徒やユダヤ人たちが、だんだん東方へと渡って行って、バグダード(今のイラク)を都とするイスラム王朝、アッバース朝のカリフ(王でありイスラムの正当な後継者)に保護されて、アラブ・イスラム世界に、その知恵の体系を伝えたのである。
ヨーロッパが、ユークリッドやアルキメデスなど古代ギリシャの「理性」を知るのは、それから数百年後の十二世紀ごろのことである。多くは、直接ギリシャ語の原典から学んだのではない。いったんギリシャ語からアラビア語に訳され(一部は古いシリアの言葉を経由してアラビア語に訳された)、それが十二世紀ごろに、ようやくヨーロッパの学問言語だったラテン語に訳されたのである。
ずいぶん遠回りして、古代ギリシャの文明はヨーロッパに伝わった。しかし、この遠回りがあったからこそ、アラブ・イスラムの文明と古代ギリシャの文明が交わり、のちにヨーロッパ近代文明へとつながっていくのである。
ところが、近代以降のヨーロッパの知識人たちは、自分たちの文明の先祖が、あたかも古代ギリシャにあるかのように言う。今でも、そういう歴史認識は浸透している。アラビアの都、バグダード経由で「理性」を学んだことなんて、すっかり忘れてしまった。いや、単に忘れたのではない。十八世紀から十九世紀にかけて、世界の覇者となったヨーロッパが中東・イスラム世界を支配していくために、この歴史を消してしまったのである。
教皇が、キリスト教徒となったビザンツの皇帝と、「古代ギリシャの理性」を結びつけたのは、どう見ても無理な話だった。それだけならともかく、イスラムの始祖ムハンマドを侮辱する皇帝の発言を引用したのである。
案の定、世界中のムスリムは激しく反発した。イスラムの始祖であり、神の啓示を授かったムハンマドを、「信仰と暴力を結びつけた」張本人だと断言されては、怒るのも無理はない。
もう一つ問題がある。暴力と信仰との結びつきを批判したいのなら、キリスト教徒の十字軍にも言及すべきだった。
(フランス革命の啓蒙主義などを経て)人々の行動や思考も、キリスト教的道徳から離れていった。キリスト教的な規範に縛られずに発想することは、人々に大きな自由をもたらした。そのことが悪いとは思わない。しかし、他方で神の教えに従い、神の御恵みにすがって生きる人々を軽蔑するようになる。勿論その軽蔑は同胞だったキリスト教徒に向けられたし、ユダヤ教徒にも向けられた。
さらに20世紀の末になると、ヨーロッパに急増したムスリムの移民が狙い撃ちにされた。敬虔なキリスト教徒でさえ、啓蒙主義の人たちには軽蔑の対象だったのだから、中東やアフリカから移住した異教徒が、軽蔑と差別の対象にならないはずがない。
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