朗報である。友人がガラケーからiPhoneに変更するというのでつらつら調べていて、分かったのである。iPhone がSIMフリーでなくても(2015年5月以前の大手キャリアiPhoneであっても)、格安SIMを差せる機種があるということ。
ただしソフトバンク以外。ドコモiPhoneであればドコモ回線を使用している格安SIMを、au iPhoneであればau系格安SIMを利用できる。ソフトバンクは回線を格安SIM会社に提供していないので、できない。
Android スマホなら格安のSIMフリー端末があるけれど、iPhoneは少し古くても高機能で信頼性も高い。中古もいいだろうし、もしあるのなら家族のお古を利用しない手はない。海外で現地SIMは使えないにしても、スマホデビューにもお試し利用にも最適である。いや、単純に二年縛りが過ぎたほとんどの人は格安SIMで(のほうが)いいんじゃないか、と思う。
友人が娘さんから譲り受けたお古の au iPhone 6、これをそのままキャリアで契約すると、月6,500円くらいか。かけ放題プランと通信プランのセットでしか契約できず、ガラケーからの乗り換えに割高感は否めない。
調べると、auではmineoかUQ mobileの格安SIMが利用可能とあった。が、UQ mobile のサイトでは動作確認機種としてiPhone6の表示が無い。一方 mineo については、なんと、au iPhoneだけでなく、ドコモiPhoneでも5s/5ⅽ以降の機種でOK とある。スゴイ。
もしUQ mobile が同様に利用できるのなら、店舗があるぶん楽かな、と思ったのだが、友人 mineo の割安感に惹かれたのか、まずはデータSIMの最低額プランにすると言っていた。家ではWifiに繋げばいいし、通話はLaLaCallでIP電話を、携帯番号はガラケーで解約月まで利用する、とのこと。
と、ここまでが年末の話。その後どうしたかなあ…。
ところで、私の身近にガラケー一筋派が一人いて、これが頑強にスマホに抵抗し続けている。彼の知人には携帯すら持たない10枚ぐらい上手の人がいて、どうせ抵抗するならガラケーもやめれば、と思うのだが、見るところ携帯なしでは一日も過ごせないようだ。
人間、時計を腕にはめて時間の奴隷となり、携帯を持って24時間、どこにいても電話(を通じての関係性)の奴隷になってしまった。スマホはと言えば、より緊密で、なのに浅く広い関係性とデータにおいて、時間軸と空間軸で人間を奴隷化してしまった。奴隷であるのは電話までで勘弁してくれよ、ということなのだろうか。
どうも第一義的には、スマホに個人的なうらみを感じているだけのようでもある。時々仕事を共にする年若い同業者が、しょっちゅうスマホ(LINEか?)でやりとりしており、これが実に不愉快なのだ。それが仕事上の(電話)連絡であれば許せるのだが、つまらん個人的なやりとりを仕事時間中にするな、こちとらおまえに日給払ってるんだぞ、というわけである。つまり坊主憎けりゃ袈裟まで、なのだ。
もう一つは、スマホに対する脅威、恐怖、あるいは嫌悪である。「より緊密で、なのに浅く広い関係性」が、プライベートな領域に土足で、かつ勝手に踏み込んでくることに対する拒否感。彼は、FBやTwitterで、今日自分は何を食べたか、どこに行ったか、体調はどうか、等々を嬉々として世に曝す行為が信じられない。もちろん、そんなもの見たくも聞きたくも知りたくもない。
それらのデータは、自分のあずかり知らぬところで浮遊し、拡散していくわけで、人がそれに平気でいられるということも信じられない。
彼もPCでは平気でGoogle検索しまくっているし、Googleアースでの下調べは仕事に必須だし、YouTubeも夕食後のまったりタイムの日課であることからして、それらの行為がデータとして集積されていることは、いやではあるが仕方がないと受け入れている。便益には意地も負ける、ということか。
思うに、PCは不要となればスイッチを切ればいいが、スマホはそれが出来ない、というのがネックのような気がする。おそらく彼は、ソーシャルネットワークとインタラクティブがダメなのだ。ソーシャルはソーシャルに徹し、だらだらプライベートをたれ流したり、押し付けたりするなよ、と。情報は情報で、こっちが欲しいものだけ、欲しいときにとりに行くよ、と。
一度古いスマホでLINEのアカウントを作ってあげたことがあった。試しに使ってみたらどうだろう、これで私とも無料電話できるし、と。作ってものの数分で知り合いの名前が友達リストに入った。携帯電話番号を入力した状態で、友だちの自動追加がオンのままだった。あわててオフにしたのだが、この経験でますます彼のスマホ嫌いが加速してしまった。友だちは削除し、進呈するつもりだったスマホはまだ私の手元にある。
彼に限らず、SNSに否定的な感情をいだいている人は案外多いような気がする。私は利用しているけれど、使い方はあまりインタラクティブではない。情報収集とごく限られた友人家族との、しかもほとんどが用事がある時のみのやり取りで、非常に限定的である。FBにあまりアクセスしなくなったのは、欲しい情報が、不要な(見たくもない)料理写真のようなものに埋もれてしまうからだ。目的投稿にたどり着く前に疲れてしまうのだ。
「親しい友達」にするとか、回避策はあるんだろうけれど、あれこれ設定しなければいけないというのがおっくうだ。しょっちゅう仕様が変わるし、あのアルゴリズムという勝手な選別もいやである。しばらくアクセスしないとなんやらかんやらメールが届く。今日は誰それの誕生日とか。おせっかいが過剰でうっとおしい。これも設定でなんとかなるんだろうけれど、ええい、面倒だぁ、とアカウントを削除してしまった知人がいるが、気持ちはわかる。
彼もまた生理的に受け付けなかったのだろう。ああいう形の「場」というものを、あるいはこちらの意図や意志に関わりなく流れていき、あるいは介入してくるシステムに対して。あれこれ設定しなければいけないわずらわしさにも。そのスピードとテクノロジーについていけない。理解できないまま使い続けることが面白いわけがない。イラつき、むかつくだけである。
彼らはもうすぐ消えていく少数派で、やがて、文字を覚えると同時にFBとLINEにアカウントを作るのが、小学校に入学手続きするのと同じくらいデフォルトの社会になるのだろうか。
それはわからないけれど、彼らも、完全に閉じた形での電話の進化系のようなSNSであれば、そしてそれがシンプルでコントロールしやすければ、使うんじゃないかとは思う。SNSとしてではなくて、単なるコミュニケーションツールとして。
いやLINEはそういう使い方出来るよ、FBだってGoogle+だって、Twitterだって出来るよ、とおそらく言われるであろう。私自身それに近い使い方をしているから、言わんとするところはわかるし、同じリクツで説得してみようともした。が、LINEで一層スマホ嫌いになった彼の返答は次のようなものであった。
ネットはPCで、電話はガラケーで充分。LINEの無料電話? タダでもあんなもん使いたかないね。
もう少し厳密に言えば、タダだからこそ使いたくない、のであろう。そういえば彼、そもそもお得と便利が(あと、おまけも)大嫌いなのであった(検索もYoutubeもタダだけど、って? この二つはもう他に換わるものが無いからね)。
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