キュレーションサイトに拾われて

数日前、ここで書いた記事のタイトルがTwitterで流れてきて驚いた。
|Provai.ciao と、サイト名も入っている。
リンクをクリックすると、とあるニュースキュレーションサイトに行く。
私の記事の抜粋が、文末表現などを若干変えて掲載されている。
が、引用元の紹介もリンクもなし。

夜中だったので頭も働かず、流してくれた人に、これは自分の書いた記事で全文はこっちにあるよ、と引用リツイートした。彼はほどなく本記事のリンクもツィートしてくれて、それで少し気分は良くなったけれど、やはり釈然としないものは残った。

私は勝手にその人をフォローして、勝手に記事にも登場させたりしているし、彼は勝手にキュレーションサイトの記事を流して、そのサイトは私の記事を勝手に拾ってコンテンツを作っていた。この勝手さは私自身も行使している勝手さではある。

FBのシェアさえ「ひと言断ってくれ」と言う人がいて、個人的にはそれはかったるいよぉ、と思っていた。だから無断引用自体に目くじら立てているわけではない。ネット上に流したものはそうやって流れていくものだと思う。思うけれど、自分のコンテンツが拾われて、黙って他のサイトの一コンテンツとしてでかい顔をされてるのは腑に落ちない。

このキュレーションサイト、連日かなりの量の記事を流していて、Yahooニュースなどから持ってきたものはきちんと元記事のリンクを記載している。私の記事は単純な記載忘れなのか、それとも個人ブログと大手サイトで二重基準なのか。

一発文句をフォームから送ろうかとも考えて、その前にふとTwitterアカウントを覗いてみた。フォロー、特にフォロワーを見てのけぞった。みーんな(とは言わないけどえんえんと)アダルト系。それで問合わせを辞めた。サイトの作りに一見いかがわしさはない。が、「しっかりはしてないなあ」感はある。

こういう変な感触というのは少しサイトをあちこちしてみるだけですぐにわかるものだ。たとえば、メールフォームからではなくコメントを入れてみようと思って「コメントを書く」をクリックしても、コメント欄が出てこない。大手サイトから持ってきた記事はそもそもコメントを受け付けていないものが多く、それならすべてコメント拒否にすればいいのに、奇妙である。

ということで、コメントで元記事のリンクを送る、という手も効かない。私としては引用元の明記と元記事へのリンクが最低かつ必要十分ルールだと思うので、気持ちをすっきりさせるためにもやはりメールフォールから送るか、と思案しつつ。だって、これが二重基準としたら、あたしら個人ブロガー、なめられてるってことですぜ。

とぶつぶつ言いながら、キュレーションについて。そういえば3.11の後、原発関連のネット情報をまとめておきたくてNAVERを始めた。結局挫折しちゃったけれど、代わりにはてなのブックマークを同目的で使っている。私のやりたいことはキュレーションというほど大それたものではなくて、単に自分の必要な情報を集めておきたい、ということだったし、手間ひまがかかるNAVERでは続かなかったものが、はてぶの簡便さゆえに続けていられる。

あの時、キュレーションの可能性みたいなものを感じたんだった。で、こんな記事。
「キュレーション」大人気 メディアの支配始まるか(日経 2014.7.4)

Yahooニュースもキュレーションニュースサイトだ、と言われて、あっと思った。たまたま今日旅関連のサイト「TABIZIN」をはてぶ! から引っ張り出して見ていたのだが、これもそうだ。他にどんなところがあるんだろうと、ANTENNAを覗いてみた。

こちらは立派なサイトであった。件のいかがわし系サイトとは雲泥の差。目利きになるには本物を見ないといけないのは、骨董屋だけではない。そもそも引っ張ってくる元サイトとちゃんと契約していて、それをしっかりと紹介している。各記事は概要だけで、記事左上に引用元サイトへのリンクアイコン(バナー)が置かれ、ポップアップで簡単なサイト情報が出る。「さらに見る」ボタンバーでは元記事そのものへ飛ぶ。これなら「コンテンツを拾われて勝手に持ってかれた」感はないし、元サイトにとってのメリットも大きい。

TABIZIN を読み返そうと思ったのは、外部ブロガーを募集していたからだ。で、どんな記事が旅コンテンツとしてキュレートされているのかを見てみようと思ったのだ。旅専門ブロガーや現地在住者が目についた。主流は写真で、読みごたえのある記事は少ないけれど、見栄えはいい。登録された外部ブログは全てTABIZINが目を通し、セレクトして掲載、とあるから、こういう基準なんだろう。なるほどねえ。

新聞、テレビ、オンラインメディア、個人のブロガーによる多様な情報発信により情報量が多くなったことで、情報を整理、編集して新たな価値や意味を与えるキュレーションが必要になった。

キュレーションサービスは、コンテンツを作る側からは「ただ乗り」との批判があった。各社ともコンテンツ制作者との協力関係を模索している。
(上記日経記事)

キュレーションサイトとしては集めるコンテンツの質を高め、信頼性を得ることと、社会的役割を担うことが課題だ、と記事はまとめられているが、コンテンツ作成側になんらかのメリットをもたらすシステムやルールを作ってそれを定着させることも、必要だと思う。このようなルールがきちんと守られていることも、信頼性のバロメーターになる。

けれども、私のコンテンツを拾っていくようなサイトは、無くならないだろうとも思う。ネット世界では、その気になればこれくらいのサイトは誰にでも作れてしまう。WPのプラグインにはごっそり記事を取得できるものがあって、あるサイトの全記事を自分の記事のように手間なく拾うことも出来る。そこから適当にパラグラフをカットし、文末の語調をいくつか変えれば、著作権には抵触しないと、やつらは考えている。こういったサイトはいずれ淘汰されるのかもしれないけれど、「ただ乗り」問題はやはり残りそうだ。アフィリエイトのためという強烈な動機もあることだし。

だが私が気になったのは、そこそこの質のコンテンツが(TABIZIN外部ブログとか)、元サイトへのリンクだけで良しとするブロガーから得られるとしたら、ライターの仕事はどうなってしまうのだろう、ということだ。

友人のライターが最近ブログ記事を受注するようになった。日に何本も依頼が来るらしいが、問題はその料金である。1000字だろうが4000字だろうが取材して書く手間は変わらない。だが、一律いくらのその金額はかなり低かった。それでも彼女は専門的な記事を書ける人なので、まだましだという。彼女のようなプロがプロとしての料金をコンテンツで取れなくなってしまったのは、間違いなくもっとリーズナブルに、あるいは元記事へのリンクだけで、コンテンツが入手できてしまうようになったからだろう。

誰もがインターネットやスマホアプリで色んな事ができるようになって、それはそれで面白いけれど、プロがタツキを奪われるのはやっぱり悲しい(彼女だけでなく、私の仕事も同じく)。

 

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