『秘密保護法案』のヤバさについて、ついこの間の事例その他

『秘密保護法案』のヤバさについては、
多方面の人がさまざまな見地から警鐘をならしている。
法律というのは、一度出来てしまうと拡大解釈するに易しく、
弊害が表れてきても、変更や廃棄は実に難しいものだ。
最悪の事例がこの国にはあるけれど、
最悪とは言えないにしても最悪につながる事例もある。
以下、メモとして。

ついこの間の事例からの指摘。
流れは同じに見える。
「強制しない」と首相が約束した国旗国歌法。それがつくった今の社会

きょう、何か書くことがあるとすれば、この国旗国歌法の「その後」だ。要するに、政府の姿勢や法律の解釈などは、時代の変遷とともに変わっていくのである。小渕氏の答弁と「その後」は、まさにそれだ。

秘密保護法案に関しては、閣僚や関係省庁の幹部、自民党の主要メンバーらが、あちこちでいろんなことを言っている。「TPP交渉」は特定秘密になる と言ったり、ならないと言ったり、原発情報は入る・入らない。ひと言で言えば、法案を出したくせに、既にバラバラなのだ。首相が言い切った事柄がわずか 10数年で消えてしまう実例を見ていると、政府要人の見解さえ統一できないこんな法案が通ったら、その先には、いったい何が待っているのか、分かったもの ではない。

いまの政府の約束は、将来への約束では決してない。そんな実例は、今まで、さんざん見せ付けられてきた。それとも、この法案に限っては、何か特別な 担保でもあるというのだろうか。だから、「知る権利」に配慮するからとか、そんな言質にもならぬ言質と交換に、単なる行政官庁を国会の上位に持ってくるよ うな法律をつくってはいけないのだと思う。

「強制はしない」と首相が明言したことが、少しも効力になっていないこの国。
「知る権利は守られる」って言われてもねえ…。

誰もが指摘している「国民主権と基本的人権を侵害する」に加えて、
内田樹は、自民党の改憲ロードマップがホワイトハウスから認められないため、
改憲の実質を獲得するためのものである、と言う。
特定秘密保護法について (内田樹研究室 11/8)

行政が特定秘密の指定を専管すれば、憲法上国権の最高機関であるはずの国会議員の国政調査権も空洞化する。
国民にしても「秘密保護法違反」の罪で訴追された場合、自分が何をしたのかを明かされぬままに逮捕され、量刑の適否について議論の材料が示されないまま判決を下され、殺人罪に近い刑期投獄されるリスクを負うことになる。

前にも繰り返し書いてきたとおり、自民党の改憲ロードマップは今年の春、ホワイトハウスからの「東アジアに緊張関係をつくってはならない」というきびしい指示によって事実上放棄された。
でも、安倍政権は改憲の実質をなんとかして救いたいと考えた。
そして、思いついた窮余の一策が解釈改憲による集団的自衛件の行使と、この特定秘密保護法案なのである。
解釈改憲は文言をいじらないで、事実上改憲して、アメリカの海外での軍事行動に参加する道を開くことである。
憲法をいじらないで、内閣法制局の憲法解釈に任せるなら、実際に海外派兵要請がアメリカから来て、その適否の判断が喫緊の外交課題になったときに「ぐずぐ ず議論している余裕なんかない、待ったなしだ」というお得意のフレーズを連打して、無理押しすることができると踏んだのであろう。
とりあえず、それまでは「アメリカと一緒に海外で軍事行動をするぞ」というのは政権担当者の心の中の「私念」に過ぎない。
成文化されない「心の中で思っていること」である限り、中国や韓国もこれをエビデンスベーストでは批判することができない。
特定秘密保護法案は放棄された自民党改憲案21条の「甦り」であることがわかる。
改憲草案21条はこうであった。
「出版その他一切の表現の自由は、保障する。
2 前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。」
特定秘密保護法は「公益及び公の秩序」をより具体的に「防衛、外交、テロ防止、スパイ防止」と政府が指定した情報のことに限定した。
現実にはこれで十分だと判断したのであろう。
例えば、私の今書いているこの文章でも、それが防衛政策や外交政策の決定過程についての政権内部での秘密に言及したものであり、「重大な国防上の秘密を漏洩し、外敵を利することで結果的にテロに加担している」という判断はできないことはない(私のような官僚的作文の名手に任せてもらえれば、そのようなフ レームアップはお安いご用である)。
私とて大人であるから、政府が国益上公開できない秘密情報があることは喜んで認める。だが、秘密漏洩についての法的措置は多くの法律家が指摘するとおり現行法で十分に対応できている。
現に、重大な国防外交上の秘密漏洩事案は過去にいくつかあったが、いずれも現行法によって刑事罰を受けている。この法律がなかったせいで防げなかった秘密漏洩事例があるというのであればそれをまず列挙するのが立法の筋目だろう。
だが、そのような事例はひとつも示されていない。
これまで存在したが罰されずに見逃されてきた事例について、それを処罰する法律を立法するのは筋目が通っている。
けれども、これまで存在しなかった犯罪について、それを処罰する法律の制定が国家的急務であるという話はふつうは通らない。
秘密保護について言うなら、これまで官僚たちが大量の秘密文書を廃棄して、国民の知る権利を妨害してきたことを処罰する法律を制定することがことの順番だろう。
この事例はまさに1945年の敗戦時の膨大な文書廃棄から始まって、開示請求に対して「みつかりません」とか「なくしました」とか「燃やしたようです」というような木で鼻を括ったような対応をしてきた官庁まで無数の事例がある。
これを許さない法律の制定であるなら、私も大歓迎である。
だが、今回の法律のねらいはそこにはない。
逆である。
「行政の失態や誤謬」にかかわる情報開示が特定秘密に指定されれば、行政への批判は事実上不可能になる。
これがきわめて強権的で独裁的な政体に向かう道を開くことであるという判断に異を唱える人はいないだろう。

さらに、近隣アジア諸国とのからみで見ると…。

安倍政権の狡猾さは、この特定秘密保護法が「果されなかった改憲事業」の事実上の「敗者復活戦」でありながら、アメリカのつけた「中国韓国を刺激するな」という注文については、これをクリアーしていることにある。
強権によって国内の情報統制を行うという点について、この両国は日本に「そのような非民主的な法律を作るのはよろしくない」と批判できる立場にない。
言ってもいいが、国際社会からも国内からも冷笑を以て迎えられるだけだろう。
だから、表現の自由の抑圧はいくらやっても、東アジア諸国(シンガポール、ベトナムはじめそのほぼすべての国が現在の日本よりも表現の自由において民主化が遅れている)から「非民主的なことはやめろ」という抗議が来る気づかいはない。
それどころか、日本のような豊かで安全な国でさえ、治安のために強権的な言論統制が必要なのであるから、治安の悪いわが国においておや、という自国の強権的統治を正当化する根拠として活用することができる。
つまり、まことに気鬱なことであるが、日本の民主化度を「東アジアの他の国レベルまで下げる」ことは世界的に歓迎されこそすれ、外交的緊張を高める可能性はないのである。
というわけで、安倍政権は改憲プランを放棄した代償に「東アジアに緊張関係を作り出さずに改憲の実を取る」という宿題に「集団的自衛権」と「特定秘密保護法案」を以て回答したのである。
かなりの知恵者が政権中枢にはいるということである。

今でさえ欧米並みの民主国家からほど遠い日本、
この法案が跋扈するとしたら、欧米並みからは遠ざかり
近づくのは表現の自由がない独裁国家ばかり…。

内田氏は翌日にはニューヨークタイムズの社説を紹介している。
特定秘密保護法案について(つづき)(内田樹研究室 11/9)

NYTは10月30日の社説で「日本の反自由主義的な秘密保護法案」(Japan’s illiberal secrecy law)という記事が掲載されていた。illiberal は「リベラルでない」という政治的な意味の他に「狭量な、教養のない、下品な」という人格の瑕疵についても用いられるきわめて否定的な形容詞である。

とりあえず全文を読んで頂こう。

「日本政府は国民の知る権利を冒す秘密保護法案の制定をめざしている。この法律はすべての政府省庁に防衛、外交、防諜、対テロにかかわる情報を国家 機密に指定する権限を賦与するもののだが、秘密の指定要件についてのガイドラインが存在しない。この定義の欠如は政府があらゆる不都合な情報を秘密指定で きるということを意味している。
提案された法案によると、機密を漏洩した国家公務員は10年以下の懲役刑を受ける。このような規定があれば、公務員は秘密公開のリスクを取るよりは文書を秘密に区分するようになるだろう。
現在まで、情報を“防衛機密”に指定できる権限を持っていたのは防衛省のみであるが、その記録は底なしの闇に消えている。2006年から11年にかけて防 衛省が秘密指定した文書は55000あるが、そのうち34000が文書ごとに定められた非公開期間の終了後に廃棄されている。情報公開された文書はただ一 件だけである。
新法案はこの非公開期間を無限に延長することを可能にするものである。そればかりか、国会議員との秘密情報の共有についての明確な規定がないため、政府の説明責任はいっそう限定的なものになる。
法律はさらに「無根拠」(invalid)で「不当な」(wrongful)な方法で情報収集を行ったジャーナリストに対しても5年以下の懲役を科すとしている。このような脅迫によって政府の実体は一層不明瞭なものとなるだろう。
日本の新聞はジャーナリストと公務員の間のコミュニケーションが著しく阻害されることを懸念しており、世論調査は国民がこの法律とその適用範囲に対して懐疑的であることを示しているが、安倍晋三首相はこの法律の迅速な制定を切望している。
安倍氏はアメリカ式のNSC(国家安全会議)のようなものを設立したがっているのであるが、これはワシントンは日本が十分な情報管理が果たせないのであればこれ以上の情報共有はできないということを通告したためである。
安倍氏が提案している安全会議の6部局のうちの一つは中国と北朝鮮を管轄し、他の部局は同盟国その他の国を管轄する。
この法案制定の動きは安倍政府が中国に対して示している対立姿勢と政権のタカ派的外交政策を反映しているが、法律は市民の自由を侵害しかねないものであり、東アジアにおける日本に対する不信をいや増すことになるであろう。」

書かれている内容は日本の新聞が報道していることとほとんど変わらない。
問題はこれがNYTの社説だということである。
4月の記事がそうであったように、NYTの安倍政権の政策批判はワシントンの意向を迂回的にではあるが示している。

この記事がこれからあとの安倍政府の動向にどう影響するのか、今の段階ではまだわからない。

「アメリカに迷惑はかけませんから」とこのまま一気にごり押しするか、アメリカとの情報共有体制を整備するための法案に当のアメリカからクレームがついたのは想定外だったからちょっと様子を見ようか、政権内部では今そういう相談をしているはずである。
まことに切ないことではあるが、私は「アメリカのクレームに屈して」政府がこの愚劣な法案の成立を断念することを願っている。
そのようにして、日本人は「アメリカの裁定に従うことが、日本にとっての最適解である」という信憑を刷り込まれて行く。
安倍首相の真意が奈辺にあるか私には忖度のしようがないが、彼が与えられたすべての機会を駆使して「アメリカへの完全従属」へと日本人を押しやるマヌーヴァーに成功していることは、わが身を省みても事実である。

 

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