この国はやっぱり表現の不自由な国だということが、あらためてあっさりと証明されてしまった。
あいちトリエンナーレには興味があった。監督の津田さんと東浩紀のラジオの対談を聴いて面白そうだと思ったし、芸術展にも女性クォーター性が必要だという姿勢に共感したし、チャレンジ精神に感心もしていた。
「表現の不自由展・その後」は、開幕直前に朝日新聞の記事で初めて知った。ほう、こういうのもやるのか、とそのチャレンジングにさらに感心した。と数日後、いきなりの中止の報。
中止するにしてももう少し引っ張ってほしかったなぁ。というのは無責任な何もしない人間の言い草かもしれない。抵抗や非難は予想されていたはずだから、それを上回る程度がよほどだったのだろう、とは思う。ガソリン缶を持って…というのも、京アニの事件の直後だけに、リアルに怖い。
ではどう言えばよいのだろう。
ぴったりくる言葉が見つからないまま、いくつか批判や応援の記事を読んだ。
あいちトリエンナーレ「表現の不自由展・その後」をめぐって起きたこと――事実関係と論点の整理 (明戸隆浩 Yahoo! ニュース 2019.8.5 )
「表現の不自由展」中止で謝るのは津田大介じゃない! 圧力をかけ攻撃を煽った菅官房長官と河村たかし市長だ (リテラ 2019.8.5)
大村知事「河村市長の主張は憲法違反の疑いが極めて濃厚」…県には”京アニ放火”に言及した脅迫メールも (AbemaTIMES 2019.8.5)
「責任を感じている」のなら津田大介は監督を辞任すべきだ、という追及記事もあった。8日には、芸術展の委員長である大村知事が辞任すべきという意見。同時に、再開を求める市民団体や美術評論家連盟等の動きも報じられた。
知事の辞任要請は、おそらく、河村市長の少女像撤去要請声明は憲法21条違反だ、という大村知事の批判を受けてのものだろう。政治家が芸術作品の持つ批判精神や反権力のメッセージを否定弾圧するのは憲法違反である、と明快に言及したことは良かった。
ただ、大村知事も津田さんも、政治的な圧力に屈したのではない、と言うが、非難誹謗中傷の集中は、河村市長の発言によって肥大したとも思う。菅官房長官の助成金についての言及も同様で、こういった政治家の一連の発言=プロパガンダで、世論は動く。
よって、公金を使った芸術展だから問題なのだ、という意見が一見もっともらしく聞こえてしまう。これも、「金は出しても口は出さない」という大村知事が正しい。公金だから政府批判してはいけない、天皇性を批判してはいけない、というのはまさに検閲の思想そのもの。じゃあ民間主催の芸術展が同じことをしたら、このたび非難している人たちは「表現の不自由展」を黙って認めただろうか。このひとたちが、そんな礼節や冷静な判断のもとに、非難したりしなかったりするような輩でないことは確かである。
ガソリン缶を持っていって火をつけてやる、という内容のファックスを送った容疑者は、その後逮捕された。被害届の受理が6日、逮捕が7日と、今回も監視社会の凄さを物語るスムーズな逮捕である。でも、なんで被害届が6日なの? 一番最初に動くべきは、この脅迫に対する対処だったのではないの?
2日に行われた、中止の可能性をも示唆する会見で、まずは脅迫と脅しが犯罪行為であると強く抗議する。そのうえで、被害届を出し、犯人が逮捕され安全性が確保できるまで、という条件付きで企画展を休止にする。というシナリオはなかったのだろうか(損害賠償について触れても良いかもしれない。損害賠償は、スタッフと作家、そして鑑賞と考察の機会を奪われた来場者に対して)。
この間に、「表現の不自由展・その後」の企画意図や、作品の主張や意味を発信する。現場ではより丁寧な見せ方を工夫する。東浩紀が反省し、謝罪した点を修正するのだ。
東浩紀氏が謝罪 あいちトリエンナーレ「企画アドバイザー」、今年度の委嘱料辞退を申し出
(Jcast ニュース2019.8.8)
もしかしたら検討されたのかもしれない。ただ、より大きな混乱や対立を招くと予想されるし、トリエンナーレ全体に対する影響も考えなければならない。膨大な労力が必要にもなる。とにかく早く事態を解決する一番楽な選択をした、ということだろうか。
でも、上記のような「中止して様子を見る」が取れなかった一番大きな理由は、開催継続に対する底ざさえに信頼がおけなかったから、ではないのか。まっとうな批判ですらない、感情的な非難と脅迫の声の大きさに対する、支持と応援の声の小ささ。津田さんや東浩紀の反省点は確かにあると思う。でも同時に、私たちも、支えられなかった、動かなかったことを反省すべきである。負けたのが誰かは明らかだ。私たち、なのである。
公式サイトでこの企画展の作品の一部を見ることができる(8月8日現在)。
表現の不自由展・その後
一点一点眺めてみた。一番問題視されている「平和の少女像」。今まではブロンズの少女像しか知らなくて、慰安婦という歴史事実やその存在に正面から向き合わない日本に対しての抗議のシンボル、としかとらえていなかった。マフラーをまいたり、バスに乗せたり、アメリカにも設置されたり、そういった抗議に誠に都合のよいわかりやすいシンボル。
彩色された本作品は、マフラー巻きのブロンズ像よりかんじが良い。好みや評価は別として、シンボルとして貼られたものをはぎ取って眺めることができた。実物を見るのは大事で、オリジナルを見るのはもっと大事だ。解説には少女像の名称は「慰安婦像」ではない、とある。
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