非対称の「戦争」 — パリの「テロ」①(11/16,17 追記)

非対称の「戦争」 — パリの「テロ」①(11/16,17 追記)

今年1月にモロッコに行き、
8月にウズベキスタンに行った。
そう言うとたいていの人から、
危なくなかったですか ? と返され、
フランスのほうがよほど危ないよ、と内心つぶやいていた。
非対称の「戦争」はとっくに始まっていて、
非対称ゆえの帰結がテロだとしたら、危ないのはこっちじゃないでしょと。

Twitterから。

 

追記/11.16

何故11月13日だったのだろう? と思っていたら毎日新聞がそのわけを伝えていた。組織にとっての「特別の日」「ISにとって重要な記念日」だった、という。

ISのバグダディ指導者は昨年11月13日に、音声の声明を出した。この声明では、指導者の健在を示すとともに、リビアとエジプト、イエメン、サウジアラ ビア、アルジェリアの国内のイスラム教武装組織が忠誠を誓ってISに加わったと宣言。全IS戦闘員に「あらゆるところで聖戦を起こし、世界に火を付けろ」 と、各国でテロを起こすように呼びかけていた。(毎日新聞 11/16)

この事は欧州の治安関係者の間でも「認識されており、警戒を強めていた」、とあるが、だとしたら自体は一層深刻だ。

友人から、パリで大変なことが起きたけれど気を付けてくださいね、とメッセージが届いた。私がふらふらどこかに出かけていく人間ゆえ、心配してくれてのことだろう。それで、冒頭の数行を返信した。そしたら、自分は今年、ジャカルタとバリ島と台湾に行った、と言う。インドネシアもイスラムの国で、フランチャイズISもいるかもしれないけど、どうだった ? とは、まだ返していない。

インドネシアは中東における「非対称の戦争」の当事者ではないけれど、過激なイスラム組織はある。実際9.11以降には「テロ」もあった。
そういえば今年の2月の始め、モロッコから帰国直後に、「テロ」の起きるリスクについて書いた。後藤さんと湯川さんの殺害の衝撃からまだ立ち直っていない頃だ。私たちが「テロ」に巻き込まれるリスクについての、心のなかのつぶやきでもあった。

ISに同調する「フランチャイズ」(池内恵氏)分子がいるところであれば、イスラム圏にかぎらず、世界中どこでも日本人が「テロ」の対象になるリスクが高まったということはあるだろう。対「イスラム国」有志連合のうち空爆に参加している国で、かつ自国からISに参加している国民の多い国、国内に格差問題や差別が大きく、特に国と国民の間に、ISのプロパガンダに呼応しやすい要素や状況等で問題のある国(イスラムであるよりこれらの要素の方が大きいのではないか)において、「テロ」の起きるリスクは確かにある。
「イスラム国(IS)」と日本についてもう少し

この条件にフランスはぴたりとあてはまる。フランスはISに参加した戦闘員数でもかなり多い。実行犯はフランス人で、シリア渡航歴がある者もおり、計画はベルギーで練られた、という報道が上がっている。
同時テロ、ベルギーが重要拠点 仏軍はIS「首都」空爆(朝日デジタル 11.16)

上記記事で初めて、「今回の事件をISが直接指揮したとの見方も強まっている」という言説を読んだ。これまでは、ISはアルカイダと異なり「遠くの敵」への「テロ」行為にわざわざ出向くことはないだろう、と思われていた。今回も実行犯は「ホーム・グロウン」(池内氏)ではあるけれど、それは「ローン・ウルフ」(同)ではない、ということだ。もしそうだとすれば、この転換はものすごく大きなことに思える。「テロ」が勝手連的な無差別殺戮ではなく、計画的な「戦闘行為」にシフトしているからである。

友人からの返信には、中東で紛争が収まらない限り、テロも無くならないのだろう、とあった。確かにその通りなんだけれど、ことは中東の紛争に欧米が介入し続けているからでもあって、ウィーンで行われたシリア停戦会議に、当事者であるアサド政権も反政権側も参加しない停戦会議って何なんだ ? と思わざるを得ない。これでは21世紀の「サイクス・ピコ」だ。

そしてフランスは、15日夜、報復としてイラクのラッカを空爆した。あくまで「非対称な戦争」を遂行するぞ、という意思表示であろう。9.11後の「対テロ戦争」に、メビウスの輪のように戻ってきてしまったような気がしてならない。

戦争カメラマンの「不肖宮嶋(最近目にしないなあ)」は、アフガニスタンであったかイラクであったかの戦場取材中に、戦争は一旦始めてしまったら敵を殲滅するまで終わらない、行くところまで行くしかないのだ、と、理屈ではなく、現場から学んだ法則として語っていた。けれども今行われているこの「非対称な戦争」にも、同じ法則は当てはまるのか。

ビン・ラディンはアメリカが暗殺した。アルカイダは弱体化したかもしれない。でも、「テロとの戦い」に、アメリカも欧州も勝利できていない。この先も、きっと出来ないだろう。

大義なき武装介入も、難民流入のシャットアウトも、移民排斥も、もちろん、自国民であるムスリムに対する差別や攻撃も、状況をより強く「非対称」化するだけである。「非対称の戦争」の帰結である「テロ」は、「非対称」化の緩和の方向でしか、なくなっていかないのだと思う。

先月、「有志連合」の一員としてイラクとシリア両国への空爆に参加していたカナダが、選挙による政権交代により、この方針を翻す決定をした。

 カナダでは国民の過半数が、カナダ軍によるISに対する爆撃からの離脱に賛成した。その表向きの理由は、アメリカ主導の対IS戦闘ミッションに参加するために莫大な費用がかかってしまっているということである。

 それと関連して、アメリカ主導のIS爆撃ミッションの効果に大きな疑問も呈された。すでに1年近くも“IS主要軍事拠点”に対する爆撃を継続して きているにもかかわらず、ISの勢力は依然として健在であると。爆撃により本当にIS中枢に深刻な打撃を与えているのか? ということである。

(カナダ軍は2014年9月4日、アメリカ主導のIS軍事作戦に参加して以来、2015年10月21日までに、CF-18ホーネット戦闘機による 撃のための出撃が1055回、CC-150Tポラリス空中給油機による出動が287回。連合軍機に対して1700万ポンド以上の燃料を供給し、CP- 140オーロラ哨戒機による偵察出動は305回に上っている。カナダ軍の軍事作戦は「IMPACT作戦」と呼ばれている。)

 加えて、トルドー次期首相が公約している対IS姿勢が、カナダの伝統的な対外政策への回帰につながるとの期待も、カナダ国民の大きな支持を勝ち取った要因の1つと考えられる。

・・・

 カナダは、経済的にも軍事的にもカナダを圧倒するアメリカと陸上国境線で接している。だからこそカナダには、「日本のようにアメリカ“ベッタリ”の外交政策をとっていると、アメリカの軍事的属国に陥ってしまう」という危機意識が伝統的に存在している。
カナダ国民の選択は「米国の軍事的属国にはならない!」~米国主導のIS爆撃からカナダ軍が離脱 (JBPress 2015.10.29)

日本はどうか。
リテラの記事を挙げておこう。
パリのテロは日本も標的だった? 佐藤優も警告! 安倍政権と安保法制が国内にイスラム過激派テロを呼び寄せる(2015.11.15)

安倍安保法制が孕むリスクに日本での「テロ」は当初から言われていた。可能性としてあり得ることは確かである。けれども日本には、国家とイスラムマイノリティー個人との間に、フランスほどの層をなす軋轢はない。ISの手足となって動く兵士が、内的にも外的にも発生し成長し活動する要因が少ない。海に囲まれた辺境の島国という地の「利」もある。

ただしISが、人心への影響宣伝効果が高く、かつ攻撃しやすいところを選択肢の第一に考えれば、話は違ってくるかもしれない。また、「有志連合」でより「積極的」な役割を担うようになったり、無思慮な(後藤さん殺害に恰好の口実を与えたような)言動を指導者が取れば、ターゲットとして大きく浮上する可能性も無いわけではない。

また、日本の排外性が強まり、マイノリティーとの軋轢がフランスのように高まったり、外国人であるか日本人であるかを問わず、国内でなんらかの「怨念」を抱え込んでしまう人の犯罪としての「無差別殺戮」はあり得る。つまり、「ローン・ウルフ」犯罪はあるかもしれないけれど、こちらはイスラム「ホーム・グロウン・テロ」とは意味合いが違う(このリスク増も、安倍政権にはあるような気もするが…)。

だが、そこに政治イデオロギーがからむか否か、社会的不正義や不条理に対する絶望と怒りが、個人の「怨念」を超えた支持と共感を得られるか否か、という違いはあっても、いずれも国内問題が基部に横たわっている点は同じだ。

ところで、昨日の朝日新聞は、一面から総合、国際、社会、特集、と、全部で7ページがパリの「テロ」事件だった。今日の新聞もこれに準ずるものだし、TVのニュース各局も全て「テロ」特集だ。確かに痛ましい非道な事件で、「対テロ」としてもこれまでにない局面に入ったということはあるかもしれない。「テロ」行為の恐怖をリアルに感じさせてくれる衝撃的な事件でもある。けれども…、とやはり思ってしまう。

どこから襲ってくるのかわからない自爆攻撃や「テロ」では、シリアやイラクやアフガニスタンの民間の人々も、同じ恐怖と怒りに(そしてもしかしたら絶望に)かられているはずだ。加えて民間人を狙う、強力な破壊力を持つアサドのたる爆弾や、「有志連合」の誤爆がある。

トルコでは総選挙前のクルド系の集会で、100名を超す「テロ」犠牲者が出た。レバノンでもパリに先立つ12日に大規模な「テロ」があった。こちらはどの程度の大きさで報道されたのか。フランス国旗を掲げて追悼の意を表すのなら、これらの死者に対しても同じように悼む心を持ちたい。どうしたら「テロ」なくせるのかは、彼らの犠牲と共に考えることによってしか、解決の道筋を見つけられないのだと思う。

・パリとシリアとイラクとベイルートの死者を悼む
(NewsWeek 酒井啓子/中東徒然日記 2015.11.16)

ベイルートで連続自爆攻撃、200人以上死傷(BBC NEWS Japan 2015.11.13)

追記/11.17

昨日の追記部分にベイルートのテロの記事リンク(と言及)を追加。
酒井さんの記事も再読。

夕べから、ひとつの思いが浮上してきている。
オランドは事件直後だけでなく、その後も、「フランスは戦争状態にある」ことを強調している。当初報道でこの言葉が流れた時は、ついにISがフランス本土に戦争を仕掛けてきた、という文脈に読み取れた。

けれども、実際には戦争は「有志連合」の空爆が始まったときに始まっていたわけで、だから彼の言葉は正しくは、その戦場がフランス本土にも及んできたのだ、と取るのが正しいだろう。

ではフランス国民に、これまで、「フランスは戦争をしている」という認識はあったのだろうか。なかった、あるいは希薄だったとして、今、その認識をしっかりと持つようになったのだろうか。戦争をはじめたことに対する支持、継続することに対する支持はどうか。

私が思うのは「責任」ということである。戦争の被害の責任は、戦争をはじめた者にある。そして、それを支持した者にもある。酒井さんの記事から引用する。

(ベイルートとパリのテロの受け取られ方の差異に関して、一つ目はベイルートの事件がパリの陰にかき消されていることを挙げ、)ふたつ目は、フランスが「イスラーム国」との戦いに深く関与していることが覆い隠されていることだ。ベイルートで起きていることは「イスラーム国」の周辺として波及しても当たり前だが、遠いフランスは理不尽なテロに巻き込まれただけ、と思う。それは、違う。フランスは、堂々と「イスラーム国」との戦い(実際にはアサド政権のシリアとの戦い?)に参戦している。参戦して空爆でシリアの人々の命を脅かしているのに、フランスの人々は戦線から遠いところにいる。 だったら遠いところから近いところに引きずりだしてやろうじゃないか――。犯人が劇場で、「フランスはシリアで起きていることを知るべきだ」とフランス語で叫んだのは、そういう意味ではないか。

 

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